アモリ人#11997/04/01 19:05

「古代シリア」
(『岩波講座 世界の歴史1』)1969年

アムル人の移住
(前3千年紀の終り~前2千年紀)

アムル人の移住による動乱によって、多くの有力な都市
(ウガリト、ビュブロスなど)が、この時代に灰燼に帰した。
・・・しかし、徐々に先住民と融合・合体を行い、数世紀
の空白期間において、前1900年頃より、前代に全く負う所
のない新しい青銅器時代中期・後期の都市文化の担い手
(特に冶金術)になった。
その後、「海の民」による破壊の時期まで継承された、この
都市文化こそが「カナアン文化」の名に値するとケニヨンは
主張している。

※ アモリ(アムル)人:原カナアン
マリ
ハンムラビ (古バビロニア王国)
アララク
カルケミッシュ
(ハツォル)
アムル王国(南部シリア)

アモリ人#21997/04/02 19:12

「アモリ人」第五章
(ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』)

--p.163--
「カナン方言」は「アモリ語」の地方派生にすぎない。
カナン人(シリア・パレスティナのL.B.A.)と結び付けられる文化
要素は、アモリ人に遡る要素の一地方的発展である。
従って、アモリ人とカナン人は、起源、文化、あるいは到来の時
期の点からも、二つの民族に分けられるべきではない。しかし、
「カナン人」という語が、前二千年紀中頃から、以前「アモリ人」と
いう語で呼ばれていた住民の一部を指すようになったのである。

--p.166--
※ シュメール語>マルトゥ
 アッカド語 >アムル

(ウル第三王朝時代)
ニップールに近い家畜集収センター、ドレーヘムにおいて、マル
トゥ人たちは主に羊と山羊の供給者として登場(遊牧民生活)す
る。一般的な観点からは、発祥の地にごく近い、北部の場所(ド
レ-ヘム、イシン)においては、マルトゥ人たちは外国人として資
料に現れ、ウルの行政機関との接触も交易的なものであった。
他方、シュメール本国においては、マルトゥ人たち定住者として
現れ、特定の仕事を通して、ウルの行政機関の命に服していた。
ここでは、現地社会に同化する過程にあった移住者である。

--pp.168-169--
シリア(アモリ人の出身地)出土考古資料:
青銅器時代の遊牧生活は農業と牧羊とを兼業した「二形態」社会
に属するグループによる短い距離の季節移動であった。二つの構
成要素の間の分化は単に技術経済的なもので、遊牧民と農民は
共に一つの民族集団を形作っていた。

アモリ語とカナン語の差異は、前二千年紀中葉まで認められない。
・・(前1600年以降)・・アモリ語の総体的統一性が崩れて幾つもの
方言に分解をはじめ、前一千年紀に入ってアラム語とカナン語を
区別するに至った。

--pp.170-171--
初期青銅器時代最後の段階(前三千年紀後期)にあった諸都市
(エブラ、アルマンヌ、アムク、ハマ、他)は、造形芸術にメソポタ
ミアの影響が認められる豊かな文化と、宮殿、神殿、要塞に見ら
れる発展した建築技術をもっていた。
都市の発達、農業経済、王室主導型の政治組織、メソポタミアの
各中心地との商業的外交関係といったような性格は、中期青銅
器時代(前二千年紀前半)のシリア・パレスチナ文化にも見られる。
マリとアララクⅦからの出土テキストを読むと、この文化がほとんど
アモリ的な民族基盤を持っていたことが分かる。

初期青銅器時代と中期青銅器時代の間の突然の変化・・・この中
間期および初期青銅器時代末期(と後の中期青銅器時代)の都市
文明は、アモリ人が遊牧民、あるいは一部都市住民として生活した
環境であると考えられる。

--pp.175-176--
マリ文書は、アモリ起源の西方遊牧民を、町々との接触を経て解
体していく時点においてのみならず、実際の環境の中で観察する
最初の機会を提供する。その生計は小型家畜の飼育を基礎として
いた。遊牧民も、限られてはいたが農業の経験を持っていたので、
必要な期間ある一定の場所に留まるか、あるいはグループの一部
をそこに残して仕事をさせるかした。都市国家との関係を見ると、
・・・不毛なステップよりも水と牧草を豊かに提供してくれる適切な耕
地こそ、彼らが固執した目的の地であった。他方、仕事を求めて都
市に流入する遊牧民も切れることがなかった。
カルケミッシュ、アレッポ、カトナ、アララク、ハツォルといった大中心
地は、当時の政治・通商世界に完全に組み込まれており、地方色を
保ちつつもメソポタミアの中心都市と共に、均質な共通文化に参加
していたのである。

--p.179--
前一五世紀の末になって、(アムルと呼ばれた南シリアの一地域)
は、つまりは山岳地方(レバノン山脈)であり、周辺には都市の密
集地域と農耕地があったのである。・・・人びとの遊牧民的性格、
そして今やアムル王国となった地方の孤立性が「アムル」という語
の用法と遊牧民的意味合いを結び付けるに好都合な要素である。
・・・「アムル」という語は以前、シリア全体の名称であったが、シリ
アの他の部分に特定の政治秩序が成立し、それぞれが特定の名
前を帯びるようになった後、アムルは奥地の山岳部を指示するた
めに用いられた。

--p.181--
(アムル王国に対する)強固なヒッタイト支配は変わらず、前一三
世紀末まで・・・前一二〇〇年頃にシリアに起こった大侵略と社会
・政治危機は、独立国家としてのアムルの存在に終焉をもたらし
た。

--p.187--
ビブロス北方の特定地帯としてのアムルの用法は、「約束の地」
征服の時代に特によく使われた意味である。(ヨシュア記13.4-5)

--p.188--
このヨシュア記の箇所は、「アモリ人」という語が後期青銅器時代
を通して活動的であったアムルの地域を暗示する唯一のもので
ある。

イスラエルの宗教とカナンの宗教1997/04/03 17:05

from 『概説 聖書考古学』 G・E・ライト著(1964年)山本書店

>神と神々

 神々は、その世界の成素であり力であって、擬人化され名を与え
 られた。神々の生きる本来の場はこのような自然界であり、自然
 の生きていることは、その神々の生きていることであった。

 世界の外側にそれを創造したものがいたわけではなく、世界の初
 めに関する考えは、原初の動かざる混沌の先まで行くことが出来
 なかった。この混沌は、原初の大洋または「渕」で、地上の塩水と
 真水はそこから来たと信じられていた。

 メソポタミアではこの「淵」がアプスティアマトという一対の男女に
 擬人化されて、創造は、この両者にによる性的な産出力によって
 始まった。両者は一連の神々と、当時知られていた宇宙の諸元
 素とを生み出した。神々の間で宇宙的な戦いが行われ、王をいた
 だいた軍勢が動かざる混沌を打ち破った後に、秩序は確立した。
 アプスは魔術で殺され、ティアマトは二つに裂かれて一つが天に
 もう一つが地になり、神々は分かれて一半は天に他は地にあり、
 各神々に任務が課せられていた。人間は地上の卑しい仕事をな
 すべく、神々の奴隷として造られた。人間の王は神々の会議に
 より選ばれ、地上の社会的秩序の維持を申し付けられた。
 社会は人間の仕組みであり、創造や啓示の秩序ではなかった。
 生命は儚いもので、創造の戦いは新年の祭儀的な劇のなかで
 毎年戦われねばならなかった。その中で王は神々の王の役を
 演じた。

 エジプトでは、同様に一回きりの、そしてまた年々(また日々の)
 戦いがレーによって混沌と暗黒の竜に対して行われた。
 しかしエジプトにおける生命はメソポタミアのそれほど不安定で
 はなかった。勝利は常に確保され、社会と世界の秩序は安定し
 た調和のとれたもので、創造の秩序に基礎を置いていた。・・・
 原初の王レーのいます丘の、混沌の海からの隆起のそもそもの
 始まりは自瀆行為によるとされた。地上の社会秩序の安定は、
 王が人間ではなくレーの子で、受肉した神とされることにより確
 保された。

 カナンの創造の教義は、主な点では明らかにバビロンのそれと
 類似しているが、多くは不明である。
 創造は神々の王バアルと原初の混沌の竜レビヤタン(ロタン)
 またはヤム(海)との間の戦いとして記された。

 旧約では、この混沌の象徴が一連の比喩に用いられ、
 レビヤタンや海とともに蛇、ラハブ(竜)の語が用いられている。
 「あなたは、御力をもって海を分け
  大水のうえで竜の頭を砕かれました。
  レビヤタンの頭を打ち砕き・・・」 詩74-13~
 「あなたは誇り高い海を支配し
  波が高く起これば、それを静められます。
  あなたはラハブを砕き・・・」 詩89-10~
 「日(海?)に呪いをかける者
  レビヤタンを呼び起こす力ある者が・・・」 ヨブ3-8
 「その日、主は
  厳しく、大きく、強い剣をもって
  逃げる蛇レビヤタン
  曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し
  また海にいる竜を殺される。」 イザヤ27-1
 「奮い立て、奮い立て
  力をまとえ、主の御腕よ。
  奮い立て、代々のとこしえに
  遠い昔の日々のように。
  ラハブを切り裂き、竜を貫いたのは
  あなたではなかったか。」 イザヤ51-9

 これはまた黙示録の「生き物」の起源であり、その滅亡は
 「海もまたなくなった」(黙21-1)と述べられている。

~多神教徒は、創造を自然界の様々な間の闘争という方向に考
 え、また世界の秩序の維持を多くの意志の調和という行き方で
 考えた。秩序の一部の原則は創造の時に確立され、神々でさえ
 それに遵うと考えられた。人類には人類の運命があり、生まれ出
 る前にその方向は決められていた。

~聖書の信仰では、そのような世界秩序のいかなる原則も信ぜ
 ず、人類への、確定した非人間的宿命をも信じなかった。
 聖書の世界秩序は、固定もせず、永劫でもない。神は隠れたる
 世界との戦いに従事したもうので、いま見えているものが最終的
 のものではない。

~自然に関しては、最も重要なことの一つが、夜と昼の交代と季節
 の規則的な循環という秩序だった動き。
 多神教における生活と歴史とでは、その終わりなき循環には自然
 界の諸力が働いていると信ぜられた。多神教徒の基本的な宗教
 文学は地上の人間の生命にも歴史にも無関心で神々の生活に
 のみ関心があり、神々の生活とは自然界の生き方であったことを
 意味する。
 
 聖書は神を、歴史を支配する主と宣言する。神は自然の擬人化
 でもなく、自然界の如何なる成素でもない。神は唯一独立の自ら
 立つ根元でありまだ自然の創造者であって、それはすべてである。
 創造者としては造られたものからはっきり区別され、支配者であっ
 て支配されるものではない。この意味でイスラエル人は創造を闘
 争と見ることhできず、唯一の神の行為と見る。
 創世記一章は神に始まり、その神は創造の前に存在する。
 
 とはいえヘブル人の思想も、多神教の如くに、深い水の渕と原初
 の暗黒から出発している。
 渕を表すテホムという語は、もともとはバビロニヤのティアマトと
 同じ語である。けれども、この「渕」は竜でもなければ人格化され
 たものでもない。神は世界を造るとともに世界の時、昼と夜、週、
 季節をも創造した。創造はヘブル人には神なき物質論的な型で
 はなく、時と歴史の始まりとして示された。

イスラエルの宗教とカナンの宗教#21997/04/04 12:48

>神話すなわち神々と戦いと愛の物語では、例えばバビロニヤの
 創造の詩のように、宇宙の行く道をそれに適合せしめねばならぬ
 特別な一団の説明が語られていた。
 
~「神話」という言葉を聖書独特の記述(例えば巨大な渕の中心に
 天で守られていたわずかな空間としての世界、神の活動としての
 歴史解釈、またアダムとエバ、神の契約、奇蹟、イエスの受肉と
 復活といったような多くの物語)にも当て嵌めることは、誤解を生じ 
 やすい。
 全体的に見て、多神教徒の神話と聖書ほど大きな差のあるものは
 他に類例がない。聖書は何よりも先ず歴史文学であり、人間の生
 活から隔絶したものではない。生活と歴史は自然界のリズムによ
 る循環ではなく、神の示された方向に動く。

~イスラエル人は、その歴史における特別な一事件を通じて、多神
 教徒とは別な方向に神を理解するようになった。それがExodusで
 あった。
 パロよりも大きく世界の何ものにもまして大きい一つの巨大な力が
 その民をエジプトの奴隷状態から救い出した。それを行う間に、
 神は自然の力に対する完全な統制力を示し、また少なくとも神の
 意志と目的の大綱は明らかにされた。
 こうしてイスラエルは歴史に強い興味を持ち、自らの歴史に関連
 ある文書を保存した。地上の事件は神の啓示であり、それを人々
 に告げることはその人の信仰告白だから。
 聖書における神に関する原初の見解は、歴史的事件から推論さ
 れた。これが、古代創造神話の非神話化がイスラエルに起こった
 理由で、また神はすべての主であるから唯一の創造者であると
 推論するに至った理由である。

~イスラエルの人間理解も同様に、多神教徒のそれとは非常に違っ
 ていた。人間は責任を負うべき自由を与えられているから、尊厳と
 価値をもっていた(人間の尊厳は神によリ与えられた)。
 また人間は神の「光」をもたず、神になる能力もなく、神秘的な修行
 によって神と一体になりかつ融合することさえできない。神は、
 自らが創造したものからの独立を保持する。

~イスラエルが、活動的で力の満ちた多神教徒の自然観を、拒否
 したのかどうかは疑わしい。

 創世記1章の天体は、多神教徒のように神々ではない。それは
 大空に固定された単なる神の光にすぎない。
 だが、神には神とともに超自然的な存在のあることが示されて
 いる。
  「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(1-26)
  「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった」(3-22)
 ヤコブの夢(28-10~22)は、神の地上への支配が天使や神の
 使いを通じてなされるという見解を示す。

~「神の子たち」は、カナンびとの多神教では通常カナンの神々を
 指す言葉であって、文字通りに偉大なる神々と女神たちの子供
 と信じられていた。その言葉が、神の天なる軍勢を示す言葉とし
 てイスラエルびとの社会にも取り入れられている。ここには、太
 陽・月・遊星・恒星が含まれていた。信仰の指導者たちは、神以
 外の、天地のあらゆるものへの礼拝に対して戦った。
  「天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑
   わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、
   主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである」
  (申命4-19)
 しかし天体は、イスラエルびとが諸霊なき自然界を考え始めても、
 多信教徒の諸概念を徹底的に破棄はできなかった。
  「天において/高い天で/御使いらよ、こぞって
   主の万軍よ、こぞって/日よ、月よ/煌く星よ・・・
   天の御名を賛美せよ」(詩148)