中央区 12006/02/03 22:20

(9h30)馬喰町駅(総武本線)―区立産業会館

―薬研堀不動院(川崎大師末);本日節分会。歴史散歩とおぼしき
20数人のグループとすれ違う。

―笠間神社稲荷〈日本橋七福神の寿老神)

―水天宮(同弁財天);友人の安産を祈り、節分会の甘酒接待の恩
恵に浴する。さっぱりとした甘さで美味しくいただいた。

―日本橋公会堂―茅場橋―大原稲荷神社(坂本町公園)

―Natural Lawson;報道で聞いてはいたが、見るのは初めて。
店内の品揃えは確かに違う。焼きたてパンの温蔵庫販売や雑誌も
男性アダルト系は置いていない。照明は電球色で、柔らかい雰囲
気であった。

―中央区役所;入るとコンソルジェ方式で御用聞きさんが飛んで
きた。はい、それならここにと資料を揃えていただき、役所内を
ぶらつく楽しみは減ったが、用件はすばやく終了した。

―聖路加国際病院―東京唯一「まぼろしの壷焼きいも」;石焼いも
は、壷焼きの芸風が伝承困難のゆえに、発達したものである由。
皮はほとんど焼けていないかに見えるが、芯まで焼けている火加
減は、2時間かかるそうである。ところが、帰宅後、田舎出身の愚
妻に話したら、壷焼きをよく知っていたので、また驚いた。
―聖路加ガーデンをスルーして、明石町河岸公園;焼きいもを、
頬ばる。
―聖路加国際病院礼拝堂;20分ほど静かに座っていた。

―築地本願寺

―国立がんセンター中央病院;展望室より築地市場を望む。

――旧新橋停車場――新橋駅(16h)

オリバー・ツイスト2006/02/05 16:55

〈オリバー・ツイスト〉  ロマン・ポランスキー監督

世の荒波にもまれながら、その生まれながらの純真さを失わ
ぬために起こる苦難の物語。ディケンズの原作を文学史的に
述べれば、物語はこんな具合なのであるが、長編なので、
2時間20分にどのようにまとめるかが腕の見せ所である。
オリバーを陥れるべくブラウンロー氏宅に押入るところが、原
作とは異なって来ても、展開にスピードがあり、楽しめる。

ディケンズ的テーマである富める者や力のある者による貧者・
弱者への人間愛的な救済も描かれ、凶暴なビル・サイクスへ
は神の裁きが下される。オリバーを救おうとした愛人ナンシー
が彼により撲殺されるから、これは分かりやすい。

ところが、フェイギンのほうはそうでもない。
人の裁きで絞首刑が決まりニューゲート監獄に収監されてい
た、そこへオリバーが会いに行くところへ話が飛んでしまうか
らである。イギリス史に詳しければ、見ただけで分かるのかも
しれない。しかし、フェイギンは既に気が触れているのだが、そ
の原因がよくわからない。彼は、子どもなら油断するだろうとい
うところから少年窃盗団を組織して、子ども達を消耗品なみに
使っていた。計算づくの人間が死刑になって、精神錯乱に陥る
のであろうか。それとも、やはり、サイクスへの神の意志を見た
故なのであろうか。

自反(10)2006/02/07 21:33


祈り居る仕事は結果を見るだけと
教わりし人身罷り逝くに

自反(11)2006/02/12 21:32


考えの至らぬことのくり返し
忘れてならじ度し難きわれ

港区 12006/02/13 18:19

  JR田町駅(11h50)― (クェート大使館)

― 聖坂(高野聖が開いたと伝えられる)― 幽霊坂

― 長松寺(荻生徂徠の墓)― 魚籃坂 

― 魚籃寺(ご本尊様は、魚籃観世音菩薩ということですが、ご開
  帳の日だけということでした。塩地蔵様には、袋入りのお塩が
  多数あげられていました。)

― 泉岳寺 (赤穂藩主浅野長矩と赤穂義士四十八士のお墓で
  有名。今日は時間の関係で義士館には入らなかった。浅野切
  腹の血染めの梅とか岩、それに吉良の首を洗った井戸とか、
  ちょっと引き気味。)

― 隣接する高輪高校と泉岳寺の間の路地を抜けて、高松宮邸
  (旧細川家下屋敷。ここで大石良雄らは切腹した。)

― 三田台公園の梅が一本だけ咲いていた。

― 聖坂 ― JR田町(13h30)

縄文仮面ダンスコンテスト2006/02/14 21:30


縄文の風のたよりにあなうれし
遺跡の君は凛とおどるや

自反(12)2006/02/17 21:28


捨てに捨てそこから捨ててまた捨てる
旅に出るにはまだまだ捨てる

自反(13)2006/02/18 21:27


幻想のヴェールはがれて現われし
わたる荒野にたちすくむ我

自反(14)2006/02/19 21:25


言の葉をむついでみても力なし
思慮たらざれば飾りにすぎず

『諏訪神社 謎の古代史』2006/02/22 07:25

清川理一郎 『諏訪神社 謎の古代史』 彩流社(1995年)

文化伝播論(著者は、「波状理論」を使用)の試論として
読んだ。その波状論というのは伝播して行く過程で様々に
変化を繰り返しても、その文化の核は元のままの古い文化
として残るから、表層のベールを剥ぎ取って見ようとする
のである。

ここでは、諏訪神社の御柱祭を「巨木(神木)」の祭と捉
え、ネパールの”インドラ・ジャトラ”の柱立て祭と比較
考証を行い、紀元前2300年頃にヴォルガ下流域から南下を
開始した騎馬集団「古代インド・ゲルマン人」に行き着く。

そこで、古代インド・ゲルマン人が分岐した3方面、アナ
トリア(ヒッタイト)、インド・イラン(インド・アーリ
ア族)そしてバルカン半島以西(インド・ゲルマン族)の
宗教民俗要素を検証して、「文化の核」を抽出する。
これが波の中心部の核となり,周辺部である諏訪神社の祭
に、この核が残存しているかを調べるのである。その結果,
(イ)巨木に薙鎌を打ち込む、(ロ)神木の曳行、(ハ)
柱立ては、中心部の核そのものであり、ここに健御名方命
(諏訪神社の御祭神)は古代インド・ゲルマン人の奉祭
していた神を映していることになる。

私が、北安曇郡池田町の図書館(郷土資料室)で、諏訪
神社関連の資料に目を通していた時に、諏訪神社の発祥
に関わる原・諏訪神は「ミサクチ神」であると読んでい
た。このミサクチ神に戦勝した健御名方命が諏訪神社の
祭神となったのであるが、ミサクチ神への祭祀は神長官
守矢家により伝えられている。それを洩矢神と称してい
る。柳田国男をはじめとして、ミサクチ神と洩矢神との
重層構造に関して議論が重ねられて来ている。
ここで、重要なことは健御名方命が諏訪に来る以前に、
そこにはミサクチ神(洩矢神)がいらっしゃったのであ
り、それでは、ミサクチ神は何処から来たのかを、もう
一度波状論で解かねばならないことである。
著者はもちろんそれを試みている。

著者は、この「文化の核」を、やはり前2300年頃に発生
したセム族の移動に注目し、西アジアにおける土地神と
人格神に比定する。その発生時系列のままに二度に渡っ
て諏訪の地に及び、前者を洩矢神、後者をミサクチ神と
した重層構造と現行祭祀の関係を解き明かしている。

非常に似通ったものが中近東と日本に見られることは
事実として認められる。しかし、すべてのピースは埋
まっておらず、パズルは未完成のままである。
その謎には興味尽きないものがあり、折にふれここでも
取り上げることであろう。