『鉄を生みだした帝国』1997/01/23 08:02

大村 幸弘『鉄を生みだした帝国』
    (NHKブックス、1981年)


著者が、アナトリアの製鉄遺跡を捜し求めた八年間の苦闘
の経過を書き綴った。

その問題意識は、ヒッタイトは製鉄を始めた民族であるにも
かかわらず、製鉄遺跡は発見されていないところから始まり
ました。
先ず、製鉄技術を隠すために、やたらなところで製鉄が行な
われた筈はない。帝国内の最深部、つまり核心部地区で、敵
に攻め込まれないような要害の地で行なった、と推理を進め
ました。それに加えて、吹子ではなく季節風を利用した技術
であろうと文書の解読を試みました。
これらの観点から、候補遺跡を搾り出しましたが、決定打と
なりえるものはありませんでした。

また、探索の過程で、鉄剣の出土した王墓を考察し、焼土層
とそれに重なる自然堆積層から、プロトヒッタイト>ルウィ
>ヒッタイトにいたる経緯を明らかにし、その結果、製鉄技
術者集団はプロトヒッタイトで、彼らを征服民族であるヒッ
タイトが使役していたことを論じます。

しかし、鉄滓や製鉄跡は見つかりませんでした。

  「アラジャホユックの博物館に立ち寄る・・・帝国時代の
   遺物のコーナーに来ていた。・・・いつ陳列されたので
   あろうか。卵大の金属滓が四、五点ある。何度も来た博
   物館である。これに気づかなかったはずはない。・・・
   小さな真新しい白いカードの上に「デミール・ジュルフ」
   (鉄滓)と書いてある。そしてそこに前17世紀と書いて
   ある。
  「・・・ヒッタイト帝国の鉄のふるさとを追いつづけて八
   年間、その鉄が目の前にあるのである。・・・ 翌日、
   私はアコック氏を博物館に訪ねた。・・・
  「先生、あの鉄滓は、間違いなく鉄滓ですか」・・・
  「間違いありません、あれはヒッタイトの層から出土した
   ものです。それと明らかに製鉄跡といえるものも、鉄滓と
   同時に発見されています」
   ・・・その製鉄跡らしきものというのは、炉跡であり、直
   径約1メートルぐらいの円型の遺構でその床面から大量の
   鉄滓が見つかっていること・・・

著者は、八年間の探求方法が正しかったのか否かの無力感を
漂わせて筆を置きました。ここのところを20年後に、次のように
書いています。

  「・・・苦闘した末、ようやく私なりのいちおうの結論にた
   どりついた。しかし、それをいざ世の中に発表してしまう
   と苦い思いばかりが去来し、・・・自分はもしかすると重
   大な誤りを述べてしまったかもしれないという不安と、同
   時に、仮にそうであったとしても自分にはこれ以上どうす
   ることもできないという無力感ばかりであったように思う。
   結果はどうあれ、周囲の反応がどうあれ、まがりなりにも
   自分の信念を貫いて一つの結論をだしたのであるから、達
   成感のようなものを感じたかった。・・・しかし、どうし
   てもそのような気持ちにはなれなかった。自分としては可
   能な限りのアプローチをしたつもりである。しかし、どの
   ように贔屓目に見ても、完璧な証明を行ったとまでは言え
   なかった。」(『アナトリア発掘記』)

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