ペルジーノ展 ― 2007/05/04 10:00
ペルジーノを見て、ラフェエロの話をするのも何ですが、
「書物の聖母」と呼ばれている聖母子画を見て思いまし
た。ラファエロの筆による幼子イエスはキャンパス上に
立体的に存在し、兄弟弟子の手になるマリアは平板な
線でした。
ラフェエロだけ見るより、こういう対比で見ると、彼の凄
さが実感できます。
また、ペルジーノまでが宗教画で、この後のダヴィンチ
やラファエロは芸術画なんだと、その歴史の区切りが
こんなに明解なのも不思議な気がします。
加えて、妻と出かける時の疲労感というのには独特の
ものが残ります。フとした弾みに、「イヤ、わたしは行っ
ていません」ということになりますと、薄れかけてきた記
憶をどう再建できるのか、自信が持てませんから。
「書物の聖母」と呼ばれている聖母子画を見て思いまし
た。ラファエロの筆による幼子イエスはキャンパス上に
立体的に存在し、兄弟弟子の手になるマリアは平板な
線でした。
ラフェエロだけ見るより、こういう対比で見ると、彼の凄
さが実感できます。
また、ペルジーノまでが宗教画で、この後のダヴィンチ
やラファエロは芸術画なんだと、その歴史の区切りが
こんなに明解なのも不思議な気がします。
加えて、妻と出かける時の疲労感というのには独特の
ものが残ります。フとした弾みに、「イヤ、わたしは行っ
ていません」ということになりますと、薄れかけてきた記
憶をどう再建できるのか、自信が持てませんから。
お犬様 ― 2007/05/12 21:14
高齢化に警鐘が鳴らされ、既に耳にタコが出来た感
があります。これにはペットも含まれつつあるようです。
その昔、我家でも犬を飼っていましたが、彼女は自ら
の死期を悟るや、忽然と姿を消したのでした。もちろ
ん、そういう話は日常的に溢れていて、動物というも
のはたいしたものだと感心したものでした。
昨日、拝見したお犬様は、既に足腰が立たず、乳母
車に暖かそうな毛布を敷き、お出かけの洋服を纏い、
正座をしてまっすぐ前を向き、人々の呼びかけには
超然とし、既に彫り物であるかの風格を漂わせていま
した。そう、お付きの爺やがかいがいしくお世話をして
おりましたこともお約束通りでした。
があります。これにはペットも含まれつつあるようです。
その昔、我家でも犬を飼っていましたが、彼女は自ら
の死期を悟るや、忽然と姿を消したのでした。もちろ
ん、そういう話は日常的に溢れていて、動物というも
のはたいしたものだと感心したものでした。
昨日、拝見したお犬様は、既に足腰が立たず、乳母
車に暖かそうな毛布を敷き、お出かけの洋服を纏い、
正座をしてまっすぐ前を向き、人々の呼びかけには
超然とし、既に彫り物であるかの風格を漂わせていま
した。そう、お付きの爺やがかいがいしくお世話をして
おりましたこともお約束通りでした。
汽笛 ― 2007/05/21 18:59
SLを飾りし駅で待ちあはせ
汽笛ひびきて時をめぐらす
汽笛ひびきて時をめぐらす
戒名考 ― 2007/05/22 20:00
戒名に関わる混乱がある。
戒名とは、戒を受け、仏弟子として戒を守ることを誓った者に対して
授けられる法名である。したがって本来であれば生前授戒すること
がその本義である。ところが、今は、大多数の者が臨終授戒となっ
ているために「戒名料」という名のお布施が悩ましい存在となってい
る。
その混乱の底には、次のようなものが横たわっている。
それは、仏教葬儀を行えば無条件に付与されるべき基本の戒名に
「戒名料」という条件がついたことと、追善的上位戒名の「戒名料布
施」が一部の寺で高額になったことである。しかし、これには寺院側
のリードだけではなく、民衆側のニーズもあったことが窺われる。
明治の廃物毀釈、第二次大戦後の農地開放により、寺院の経済的
基盤が失われて行った。それでも、昭和三十年代までは地域共同
体が機能していた。そこでは、寺壇関係を基にした暗黙の了解事項
としてのルールが伝統的な儀礼や宗教慣習として機能していた。
ところが、大都市周辺での急速な都市化は寺壇関係を持たない世
帯を急増させてしまい、そのような民衆は先祖信仰よりも現世主義
の傾向が強く、拝金主義的である。
また、寺院側の歴史的背景としては、江戸時代の寺請制度により恒
久的に檀家を確保することが可能となったが、その引き替えに布教
活動は禁止されてしまった。生前に行われるべき布教活動が行えず、授戒も当然のことながら開莚されることが少なくなり、臨終授戒の風
習がここに興った。
「地域社会に生まれ、地域社会で亡くなり、地域の習慣で弔われた
ような風習」が廃れた所では、寺院の経済基盤を再構築する手段と
して、葬儀が注目されるようになった。死亡時の社会的地位に依存
する葬儀、戒名の文字数の増加傾向がみられるようになり、寺壇関
係のない世帯の葬儀では、「寺への貢献」の一時払いが「戒名料」
として定着してきたのである。
浄土宗総合研究所は、平成11年に、「戒名に関する調査」を実施し、
この問題に対する僧侶の意識を聞いている。そこでは、信仰の商用
化(70.7%)、拝金主義的風潮(60.3%)、葬儀のビジネス化(49.7%)が
高い評価を得ていた。
さらに、対応としては次のような考えを打出している。
「従来の位号・院号授与は地域共同体の中で明示的ではないが
公開性をもって授与されてきた。(その)地域共同体の崩壊がし
ている地域では、僧侶と葬家の間で密室的に授与されていると
の印象が強く、位号、院号の授与基準、授与方法に公開性を持
たせる必要がある。」
今後検討すべき事項として、位号、院号の授与基準を公開し、「壇
信徒功績点制度」のようなシステムを導入しようと言うのである。
cf. 「戒名に関する調査について」浄土宗総合研究所 今岡達雄
戒名とは、戒を受け、仏弟子として戒を守ることを誓った者に対して
授けられる法名である。したがって本来であれば生前授戒すること
がその本義である。ところが、今は、大多数の者が臨終授戒となっ
ているために「戒名料」という名のお布施が悩ましい存在となってい
る。
その混乱の底には、次のようなものが横たわっている。
それは、仏教葬儀を行えば無条件に付与されるべき基本の戒名に
「戒名料」という条件がついたことと、追善的上位戒名の「戒名料布
施」が一部の寺で高額になったことである。しかし、これには寺院側
のリードだけではなく、民衆側のニーズもあったことが窺われる。
明治の廃物毀釈、第二次大戦後の農地開放により、寺院の経済的
基盤が失われて行った。それでも、昭和三十年代までは地域共同
体が機能していた。そこでは、寺壇関係を基にした暗黙の了解事項
としてのルールが伝統的な儀礼や宗教慣習として機能していた。
ところが、大都市周辺での急速な都市化は寺壇関係を持たない世
帯を急増させてしまい、そのような民衆は先祖信仰よりも現世主義
の傾向が強く、拝金主義的である。
また、寺院側の歴史的背景としては、江戸時代の寺請制度により恒
久的に檀家を確保することが可能となったが、その引き替えに布教
活動は禁止されてしまった。生前に行われるべき布教活動が行えず、授戒も当然のことながら開莚されることが少なくなり、臨終授戒の風
習がここに興った。
「地域社会に生まれ、地域社会で亡くなり、地域の習慣で弔われた
ような風習」が廃れた所では、寺院の経済基盤を再構築する手段と
して、葬儀が注目されるようになった。死亡時の社会的地位に依存
する葬儀、戒名の文字数の増加傾向がみられるようになり、寺壇関
係のない世帯の葬儀では、「寺への貢献」の一時払いが「戒名料」
として定着してきたのである。
浄土宗総合研究所は、平成11年に、「戒名に関する調査」を実施し、
この問題に対する僧侶の意識を聞いている。そこでは、信仰の商用
化(70.7%)、拝金主義的風潮(60.3%)、葬儀のビジネス化(49.7%)が
高い評価を得ていた。
さらに、対応としては次のような考えを打出している。
「従来の位号・院号授与は地域共同体の中で明示的ではないが
公開性をもって授与されてきた。(その)地域共同体の崩壊がし
ている地域では、僧侶と葬家の間で密室的に授与されていると
の印象が強く、位号、院号の授与基準、授与方法に公開性を持
たせる必要がある。」
今後検討すべき事項として、位号、院号の授与基準を公開し、「壇
信徒功績点制度」のようなシステムを導入しようと言うのである。
cf. 「戒名に関する調査について」浄土宗総合研究所 今岡達雄
夏休み推奨図書 ― 2007/05/31 20:27
昨年に引き続いて、司書職員から「クーさん、今年も書
いて」 と原稿用紙を渡された。
「中高生を念頭にしてください」と頼まれたが、昨年は
「中」は飛ばしたので、今年こそは若返りたいものであ
る。
一応、記録に留めるべく、これも備忘録替わりに再掲
しておくことにした。
『生命と地球の歴史』丸山茂徳・磯崎行雄著 岩波新書
生命の歴史について書かれた本は山のようにあ
り、地球の歴史もまた沢山ある。しかし、この二つ
の歴史を相互に深く関連づけて記述された本は珍
しい。大隕石の衝突により恐竜が滅びたことは今や
常識である。しかし、著者は地殻から外側だけの変
動による大絶滅はマイナーだ、と論じる。
では、メイジャーな大絶滅とは、いつ、どのようなもの
であったのだろうか?
いて」 と原稿用紙を渡された。
「中高生を念頭にしてください」と頼まれたが、昨年は
「中」は飛ばしたので、今年こそは若返りたいものであ
る。
一応、記録に留めるべく、これも備忘録替わりに再掲
しておくことにした。
『生命と地球の歴史』丸山茂徳・磯崎行雄著 岩波新書
生命の歴史について書かれた本は山のようにあ
り、地球の歴史もまた沢山ある。しかし、この二つ
の歴史を相互に深く関連づけて記述された本は珍
しい。大隕石の衝突により恐竜が滅びたことは今や
常識である。しかし、著者は地殻から外側だけの変
動による大絶滅はマイナーだ、と論じる。
では、メイジャーな大絶滅とは、いつ、どのようなもの
であったのだろうか?
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