阪神大震災メモ #72014/04/01 20:36


「繋ぐ-阪神大震災におけるNTTマンの対応」

(中野不二男 『PRESIDENT』1995.7&9)



貝淵関西支社長が15時頃、支社ビル13階の対策本部に15時頃
到着した。

「『支店の人間に報告しろというのは酷だから、今支社に出て来
ている人たちを中心にして、調査班を編成しなさい!150人だ。
現場の人を動かしちゃいかん。こっちから人を送り込むんだ。力
仕事でもなんでも、こっちから送った人たちが動くようにしなさい』」

18日朝、JR大阪環状線が運行開始したので、阪急電車へ乗り
継ぎ貝淵は西宮の被災地を日が暮れるまで歩き回った。上空か
らの映像と地べたの様子との違いに、被害状況の把握の難しさ
を確認した。

「回線のケーブルが切れるなど実際の被害を受けていたのは、
二十日の時点では『三万回線以上』となっていた。そして復旧の
見通しは、『一カ月前後』だった。実際の被害は、もちろんこれよ
りもはるかに多く、最終的には『十九万三〇〇〇回線』にもなる。
・・・」

20日夜10時のミーティングで一通りの報告が終わったところで、
貝淵は言った。

「『今月中に復旧させる』
ごくふつうの言葉づかいである。
『サービス回復だ。とにかく線をつなぎ、お客さんにつかってもら
う。電話線は、邪魔にさえならなければ、どこに張りめぐらそうと、
どう引っ張りまわそうとかまわない。とにかくつなぐことだ』
・・・三万回線の被害は確認されているが、それ以上はわからな
い。」

1月25日、神戸西支店、2679回線復旧完了。

1月26日、神戸西支店、3335回線復旧完了。

「(神戸西)支店長の石田は、その数字に満足はしていなかった。
(中略)現場の連中は、やっぱり工法を気にしとるな。翌早朝、石
田は修復作業を担当する協力会社の工事長たちに集まってもらっ
た。
『なんとしても目標を達成するんや。細かいことは気にせんでヨシ!
いちいちハンダもらんでもいい。工法無視や、検査もなしや。責任
はワシがとる!」

サービス回復とは、線をよじってつなぐだけで、一秒でも早くつなぐ
ことを目的としている。教科書的には”手抜き”であり、丁寧、確実
を当然のこととして生きてきた人々にとっては衝撃であったかもし
れない。

1月31日夜10時の定例ミーティング。

「『本日までに復旧を完了した回線数は、以上です。残念ながら、
まだすべての加入回線の回復は完了しておりませんが、少なくと
も一〇万回線を上回っております』
調査担当者による淡々とした報告が終わると、ひろい講堂内にぱ
らぱらと拍手が響いた。その拍手が終わらない内に、貝淵が立ち
上がった。
『みなさん、ほんとうにご苦労様でした。よくやってくれた。今度の
土曜日と日曜日は、家に帰ってゆっくりと休んでくれ。ほんとうに、
よく頑張ってくれた』
その言葉が、災害対策本部の解散であり、災害復旧本部の始ま
りだった。」

「(貝淵は)仮眠をとるために近くの社宅へ行こうと、通用門を出
た。そのとき、三〇歳になるかならないかくらいの若い男性職員
がヘルメットでボサボサになった頭をかきながら入ってきた。
『いま終わったのか?』
貝淵が声をかけると、若い職員は支社長の姿に気づいた。
『はい、応援に行ってきました』
『ご苦労さん、たいへんだったろう』
『いやぁ、貴重な経験です。私も人生観が、かわりました』
『君、まだ若いのにそんなことを』」