阪神大震災メモ #102014/04/11 17:57

「歴史はくり返す」(吉村昭、『文藝春秋 '95.3』)


関東大震災の火災は、東京市の10,485,474坪(43.5%)が焼き
払われ、全戸数483,000戸中300,924戸が焼失、死者・行方不
明者(圧死等含む)は68,660名に及んだ。吉村は、当時の一
流の学者たちがそれぞれの専門分野で震災について調査研
究を行った『震災豫調査報告』から、火災(理学博士中村清二
執筆)について以下ように記す。

「発火原因について・・・薬品落下によるものが四十四個所も
あると指摘している。学校、試験所、研究所、製造所、工場、
医院、薬局等にあった薬品類が、棚等落下して発火した。こ
とに学校からの出火が最も多く(中略)
昭和五十三年六月十二日、マグニチュード7.4の宮城県沖地
震が起った。・・・この短文を書くにあたって、東北大学に問い
合わせてみると・・・(東北大学理学部建物からの)出火原因
は薬品の落下で・・・地震による神戸市での発火原因は、いっ
たいなんであったのだろうか。生活形態が多様化し、薬品の
落下以外に思わぬものがその原因であったのかも知れず、
それを十分に突き止め、今後の教訓にしなければならない。」

「延焼をうながした最大の原因は、避難者の携行する荷物で
あったと指摘している。人々は、家財を荷馬車や大八車に載
せたり背に負うたりして逃げまどい、路上はそれらの人と荷物
によって、充満した。火がそれらの荷物に引火し、人々は荷物
や大八車等に逃げ道をふさがれて焼死、火勢はさらにつのっ
て延焼していったのである。・・・

博士は、荷物と火災について、その対策が江戸時代のそれ
より劣り、江戸時代の教訓が全く生かされていなかった、と嘆
いている。・・・(江戸)幕府は、出火時に大八車を引出す者を
厳罰に処すると警告し、宝暦十年の大火の後にも、「出火之
節 建具竝諸道具等大八車ニテ積候儀有之候ニ付 往還通
路之妨ニ相成候。前々モ相觸候處不届至極ニ付 自今見付
次第召捕」として、当人はもとより家主も処罰すると通告して
いる」


「東京大空襲で私の家も焼けたが、焼夷弾が家とその周囲
に落下した時、私はあらかじめ用意しておいた食料品、衣類
を入れたリュックサックを背負って外に出ようとした。その時、
家の奥から出て来た父が、「荷物などかつぐな。手ぶらで逃
げろ」と怒声を浴びせた。(中略)
現在、地震の折にそなえて、非常持出しの品を入れたリュッ
クサックを用意しておくのが不可欠とされている。・・・(中村
博士は)関東大震災で着のみ着のままで逃げた人たちは、
少なくとも二十四時間過ぎた頃には食物、水を口にし、餓死
した者は一人もいない。まず、火災で命を奪われぬようにす
るため、たとえ少量の物でも持ち出してはならぬ、と警告し
ている。」

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