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勝ち負けから降りる2016/12/20 12:49

  from 『勝ち負けから降りる生き方』(二神能基著)

       ※ NPO ニュースタート事務局

>根底にある価値観は、
  「いい学校、いい会社」コースを順調に進んでいる人は「勝ち組」
  で、そこから外れれば「負け組」!
  だから、なんとか勝ち組コースに戻りたい。

 さらに、「勝ち組」「負け組」発想は、年収や学歴だけに留まらず、
 出世している人、活躍している人、はたまた、結婚や出産、育児
 といった日常生活の場にも、そのような傾向が見られる。

 厄介なのは、他人を「勝ち負け」というモノサシで見るばかりでな
 く、自分自身についても、それを当て嵌めてしまうこと。

 自分にレッテルを貼って悩んでいる人が大勢いる。

>時代は変わった、では価値観は?

 グローバル化による国際競争力の激化、少子化による人口減少、
 高齢化による社会負担の増加・・・
 日本社会には間違いなく、向かい風が吹いている。

 しかし、出口の見えない問題の本質は、時代は変わったにもかか
 わらず、私達の「価値観」そのものが殆ど変化していない点にあ
 る。・・・「勝ち負け」の論理が浸透したのは、暮らしが毎年豊かに
 なっていった「上り坂の時代」を、自分たちの力・成果、努力の賜
 物だと勘違いしてしまったからだ。
 
 だから、今の若者世代も、自分たちと同様に努力すれば、皆「勝
 ち組」になれると信じて疑わない。

>「勝ち負け」とは異なる価値観で生きる!

 他人や自分を「勝ち負け」で判断し、過剰な上昇志向やコンプ
 レックスで悩み苦しむのは時代錯誤・・・日本人はこれから、皆
 「負け」て行く・・・今どんなに「勝っている人」も、5年、10年と「勝
 ち続ける」ことなんて誰にも出来ない。
 だったら、最初から「勝ち負け」とは異なる価値観で生きたほうが
 生活が楽しくなり、気持ちも楽になる。


# 子どもは皆「勝ち組教育」
# 親の「正社員」志向
# 負け組は勝ち組路線に戻ろうとする
# 自己評価の耐えられない低さ
# 勝ち組はさらに勝ち組を目指す
# 歯車でさえなく、「パーツ」になった
# 社会に出る前に人生を諦める時代
# 勝ち続けないと「勝ち組」ではない
# ハッピー・リタイアこそ最大の目標
# 働く=疲れる、というイタリアの価値観
# 人はそんなに成長しない
# 降りることで、かえって強くなれる
# 仕事の成功と生活の充実はトレード・オフ
# 「小さな自分」を発見する
# ネットから離れる時間を増やす
# 家族に依存しすぎるのは危険
# 「勝ち負け」よりも「味わい」を

 してしまった

ウォルト・ホイットマン2016/12/22 16:22

cf. 「アメリカの魂を歌った詩人」
     「人間の生命を形式にとらわれない自由詩で讃えた」
    (ナショナル・ジオグラフィック誌)


「生と死」

たえずひとつに絡み合う古い素朴な二つの問題

すんでのところで分かりかけ、逃げてしまい
眼の前にあり、肩すかしをくい、組みつかれ

次々と移り行くどの時代にも解けず
次の時代へ送られ
きょう私たちの時代に届いたが
――私たちも同様に次へ送る

「死の声」

      1889年5月31日 ペンシルバニア州
                ジョンスタウンの大洪水

厳粛で異様な「死」の声
おのれに備わる勢威と権力をことごとく発揮しつつ
とつぜん名状しがたい一撃をもって襲い
――町々は溺れ――
人間は幾千人となく殺戮され
驕慢の思いをそそる繁栄のあまたの成果
物資も住居も街路も鉄橋も鍛冶場も
その一撃で砕かれて散乱するが

――しかし導きいれられるいのちは
そのまま絶えることなくつづく
(あたりに広がる光景のさ中、激しく流れ、渦を巻く
狂暴な破片のさ中で
苦しんでいるひとりの女が救われ――

赤ん坊がぶじに生まれ)

わたしは恐怖となり傷心となり、溢れ出る洪水や火となり
宇宙の総崩れとなって訪れ
しかも何の前触れもないが

(この声はいとも厳粛で異様であった)

わたしもやっぱり「神である者」の使者
そうなのだ、「死よ」、私たちはあなたを迎えて
顔を伏せ、目をおおい
老人たち、時ならずあなたのもとへ引き寄せられた若者たちを
美しい人、頑健なひと、善良なひと、有能なひと、
破壊された家庭、夫と妻、鍛冶場にいて水に呑まれた鍛冶屋を
一切を呑みつくす水と泥に沈んだ死体を
弔いの塚に集められた幾千体、そしてついに見つからず
集められることのない幾千体を悼むのだ

やがて死者たちを埋葬し、弔ったあとで

(見つけられたものであれ見つからぬものであれ、
彼らに対して忠実であり、忘れることなく
過去の悲しみに耐え、今新しく思いに沈み)

一日のあいだ―一つかのまの一瞬、あるいはひととき――
アメリカそのものが低くうなだれる
黙然と、なすところなく、悲しみのままに
戦争を、死を、このような大洪水を、アメリカよ
繁栄を楽しむ誇り高いあなたの心に深く深く抱きしめよ
わたしの歌うこの今ですら、見たまえ、死のさ中から
湿地や泥のさ中から
見る見るうちに咲きゆく花が、同情、援助、愛の証が
西部と東部から、南部と北部から、そして海のかなたから

人類が人間らしい救済のために熱い思いに
取り立てられる心と手とをさし伸べる
そして内部からは思想と教訓がさらに

あなた、つねに突き進むことをやめぬ「地球」よ
「空間」と「空気」の中を
あなた、わたしたちをとりかこむ水よ

あなた、眠っているときも活動しているときも
わたしたちの生と死の中にあまねく存在する者よ

あなた、それらのものはむろんのこと
一切に染み渡る目に見えぬ法則よ
あなた、一切の中に、一切のうえにあり、一切に染みわたり
一切のしたにひそみつつ、絶えることのない者よ

あなた、あなた、さながら手を広げて
さながら何かはかない玩具のように「人類」を支えつつ
抗いがたく、眠ることなく、平静で、活力にみなぎり
普遍的な、巨大な力よ
あなたを忘れたりすることはいともよからぬことなのだ

実はかくいうわたしも忘れていた
(進歩、政治、文化、富、発明、文明
これらをとるに足らぬ権威の衣にくるまれて)

沈黙を守りつつ、つねに支配することをやめぬ君らの力を
君ら巨大な宇宙の陣痛よ、うかつにもわたしは認識する
能力を失っていた

それこそ深く浅く私たちが浮遊し
わたしたちのひとりひとりをつなぎとめている海だというのに

「運」哲学2016/12/23 17:56

  from 本田健 『ユダヤ人大富豪の教え』

>安定を望む人に「運」はやって来ない

「運」は頑張っている人に吹く追い風

安定を求める人に運は来ない・・・「平凡な人生」を手放すこと

ポジティブな感情もネガティブな感情もある・・・失敗すれば
凹むし、良くない結果を恐れたり、ガッカリするようなことは
当たり前

ネガチブな感情は、その存在を認めて自分のエネルギーに
変えてしまう!
不安だからこそ挑戦してみたい!
「できるかどうか」がわからないからドキドキするし、面白く
感じる
不安定な状況を楽しもうとすれば、そこにエネルギーが生まれ
て、物事を成功させる「運」も引き寄せる!

>高望み厳禁!ベストは「少しだけ運がいい」

  ※ 超強運>強運>中運>弱運

ビジネスで”大勝”してはいけない!
ヒットや2塁打をコンスタントに打てる人が結果的に一番点数
を取れる

「運」は取り扱いが難しい!
「運が欲しい」と願うほど運を取り逃がすこともある。
運を願う思いが強すぎると、「今は運が悪い」ことをどうしたっ
て意識することになる。運がないと嘆く人は、「今の幸せ」を
忘れがち・・・「健康だ」「住む所や食物がある」といった今の
状況に感謝することを棚上げして、「収入が低い」「仕事がう
まく行かない」と、不満ばかりに意識がいっているようでは、
運を引き寄せることはできない。
運は「気づくもの」であって、獲得するものではない、という
側面がある。「自分は運がいい」と、静かに感謝してみてく
ださい。

>運を良くしたければ、一時的に”悪くなる”必要がある

運は”人”からやってくることが多く、そのチャンスを掴むタイ
ミングも重要で、
日頃から好印象を与える
     プレゼントを贈る
     褒める
     「ありがとう」を伝える
     声をかけたり、メールを入れたりする
正論ばかり吐くと、運は逃げて行く
キレイに負ける
    「自分の正しさ」を証明しようと考えるよりは、「自分の
     エゴ」を捨てられる人になる
聞く力を鍛える
ベストから更に一歩の努力

心の地層を掘り下げる(鶴見和子)2016/12/30 15:40

心とは?
意識とは?
「わたし」とは?

>言葉が迸り出る不思議

「脳出血で倒れた夜から、半世紀もつくっていなかった歌が湧き上
 がるように生まれてきました。いま片麻痺なのに意識ははっきり
 していて、身体が疲れるほどに集中力は増して行く。体力と脳の
 働きがまったく逆比例しています。・・・(病院のベッドで点滴して
 いる時に)まったく突然に歌が身体の底からマグマのように噴き
 出してきました。」

>心は人間だけにあるのではない

(『邂逅』多田富雄との往復書簡集に)発作に襲われたときも意識
は失わず、翌朝に小さな虫になったように感じた・・・リハビリ中に
は、鳥や草花に我が身を重ねた・・・

「感受性の貧しかりしを嘆くなり倒れし前の我が身我がこころ」

小さなことを受けて止めて感動するようになりましたし、五感も
鋭敏になって虫や花など自然を自分と近いものに感じる。

「花にも心はあるの。・・・植物は世話する人の手を感じて、生き
 死にするのです。植物にも心があって人と通じ合う。 

  荒き手と優しき手とを感じ分ける植物のこと介護さるる身

 今西錦司が晩年に、自然科学を捨てて自然学をやると宣言
 します。そしてデカルト(「我思う、ゆえに我あり」)は間違いで
 あると・・・」
 テナカス(オランダの気象学者)は「我感じる、ゆえに我あり」
 というように変えれば、人間と他の生物の二元論はなくなる
 と・・・感じるということを生物の重要な共通点とすれば、人間
 も植物も動物も同じ共生の基盤に立つことができるわけです。
 ただ、これは思想的なことであって、当時は実感は伴ってい
 なかった。倒れる前は体力がありましたから、感受性が鈍くて。
 いまは、宇宙と自分の身体という微小宇宙が一つに連動する
 感覚がある。」

>「われ」を自己の古層にたどる

「内発的発展論」(それぞれの地域がそれぞれの自然生態系
 と文化に拠って、住民みずからが発展の道筋を創出していく)
 を提唱しましたが、それは脳で考えたものでした。

  片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引受くる

◁ 内発的 ▷ を以前は社会単位、せいぜい地域単位で 考えて
 いましたが、いまは一人ひとりの内発性から出発するものとし
 て、その単位が個人に還ってきたのです。身体の機能を失っ
 て、やっと本当のことがわかるものかしら。これが初めからわ
 かっていたら、きっと脳科学とか神経医学とか生物学とか、
 学んでいたでしょうに」


中村桂子との対話では、人間一人ひとりが40億年を背負って
いると指摘・・・多田富雄への書簡では、◁ われ ▷ とは地層で
ある、とも。

「いま私は個体としての自己の崩壊を日々感じています。この
 ような中で、自分の地層を掘り下げていく作業をしているとこ
 ろなのです。・・・佐々木幸綱との対談の重要テーマのひとつ
 は ◁ われ ▷ でした。佐々木幸綱は深層の ◁ われ ▷ に到達
 しなくてはならないと考え、・・・私も、◁ われ ▷ という言葉を使
 うことなく自分を掘り下げた歌をつくりたい・・・自分の内をどこ
 までも掘り進めば、◁ われ ▷ の古層に達することができる筈で
 す。・・・自分の人生を新たに生き直すような、ぐるっと一回りし
 て、自分がいままで言ってきたことの本当の意味が、やっと
 わかる自分になったような気がします。これが私にとっての
 <回生>です。」

I Girasoli (ひまわり)2016/12/31 08:44

 ※ エンディングの「ひまわり畑」は、ウクライナのキエフ南方
    500km のヘルソンソン州

「後戻りできない過去と現実」>

(ドン河の戦闘~地獄~雪の恐ろしさは、そこへ行かなければ
 分からない)

「あのとき、僕は死んだ」~「そして別人になった」

~あれほど「死」を間近にすると、(人間の)感情さえ変わってし
  まう!

~「そこで僕は暮らした、小さな平和の中で」

 ※ 戦争によって惹起された”別離”の悲しみを心の奥底に
   懐きながら戦後を生き抜いた人々の姿