宗教的生活2017/04/16 20:25

宗教とは、

(1)世の中を見るのに、いわゆる固定観念の枠を外すということ

(2)現実がよく見えるようになること

(3)同時に、生きるために、それが真の力となること

以上の三つこそ、宗教の持つ真の力と言えよう。

「宗教的信」とは、

単なる観念ではなくて、その人の全的充実に至らしめている
生命の根源力に外なるまい。
それ故その人の「宗教的信」の検証は、ひとえにその人の生
活そのものが実証するわけで、その人が何を説き、如何なる
ことを書いたか等とは全く無関係というを得む。

自己に会い、自己を現して死のう

宗教では「自己に会え」と教える。自己に会うとはどういうこと
であろうか。

それは、自己の才能を発見(自覚)することである。
自己に会い、自己の才能を開発し、この才能に花を咲かせて、
自他共に喜べる生き方をしなくてはならない。
これが生の目的であり、その為の工夫と努力をするのが、生の
使命である。

一人ひとりが尊い存在なのである。・・・ここに、拝み合える、尊い
世界が展開するのである。この尊い世界を顕現するために、自己
を大切にしなくてはならないのである。他を愛さなくてはならない
のである。

愛するとは、良きところ(天分)を見つけ出すことである。そうして
それを育て合うことである。その長所を誉め合うことである。その
美点を喜び合うことである。個性別の尊さを拝み合うことである。
個性別、才能別、長所別の花が美しく咲き合う喜びの世界を、天
国というのであると思う。

過去やモノに執着しない

~ 挑戦すれば恐怖は乗り越えられる
~ 恐怖を乗り越えるには実戦第一

  (恐怖は幻想です)

人生最後の瞬間に後悔すること

~ もっと自分が生きたい人生を生きればよかった
~ 直感に遵えばよかった
~ 家を買わなければよかった
~ 怖がらずにもっとリスクを取ればよかった
~ 明日からやろうを止めればよかった


  from  森信三、沖正弘に拠る

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