感謝と懺悔の生活2017/04/18 19:03

人間は生きる苦しみを味わなくてはなりませんが、
この苦しみによって進化させていただけるので、
苦しみは喜びの種でもある。

   from 沖正弘『ヨガ叢書』より抜粋


生きるために生きている

私たちにとって一番大切なこと、一番必要なもの、一番
目的としていることは、「生きる」ということです。
生きるために生まれてきたのです。生きるためにいきて
いるのです。

体と心の自然状態

心が自然状態ならば喜びが自然に湧いてきます。目が
覚めてから寝入るまでに接する一切の縁に喜びを味わ
えるようになれば、心が自然状態を保っていることです。

この喜びを生み出すもとになり、しかも結果的なものと
なるものが感謝、懺悔、下坐、奉仕の心であります。

こういう状態になるためには、心に喜びを感じざるを得
ないように意識的な工夫をした生き方の工夫をしなくて
はなりません。喜びが中から湧いてくるような肉体的訓
練と頭脳的訓練をすることが必要です。

自然に正しく感じ、正しく考える

一つのことに喜びを感じ同時にご恩を感じ、あらゆるも
のを礼拝する心にまでなってこそ、成長した心といえる。
食べ物でも、食べておいしいなぁだけでは子供心であり
ます。同時に、食べ物のご恩を感じなくてはなりません。
しかしご恩を感じただけでは完全な感謝心は起こりませ
ん。「すみません」という懺悔心も加わらなくてはならない
のです。

  ※ 生きていたものを食べるのである

ですから、真の感謝心と懺悔心は別けられないものです。
すみませんがないとありがとうの心が生まれず、ありが
とうがないとすみませんの心が生まれません。

私たちの心はどのようにでも状態が変わっていくもので
あります。心の暗くなるような理解の仕方をすれば心が
暗くなります。心に元気の出るような理解の仕方をすれ
ば心に元気が出てきます。

この理解の仕方が正しくなることを救われる心になると
いうのです。悟り心になったから、あるいは救われる心
になったからといって自分の状態や環境が一ぺんに
変わってくるものではありません。

同じ環境や状態の中におりながら、昨日までは悲しくて
仕方なかったことに対して、今日は嬉しくてありがたくて
仕方ないという心に変わってくるだけです。これが救わ
れの状態です。

ですから、私たちは意識的にどんな環境どんな状態に
おかれても、喜びがひとりでに出てくるような理解の仕
方を身につけなくてはなりません。このために正しい知
性を身につけることが必要です。自然に正しく感じ正し
く考えることができるのが悟りの境地です。