「河原のすべてのコスモスが手を振ってくれた」2018/09/19 12:38

from ドリアン助川『バカをつらぬくのだ!』
    (バカボンのパパと読む老子・実践編)

・・・仕事が見つからず、日米混成バンドは解散。小説も売れず、
ほとほと弱った気分で河川敷を行ったり来たりしていた頃、私は
心の在り方が変わる実に不思議な体験をしました。

ある年の秋です。青空が広がり、気持ちの良い風が吹いている
日でした。遊歩道を行き交う人もみんなゴキゲンな表情です。
そんななか、おそらく私は一人だけ暗い顔をして自転車を漕いで
いたのだと思います。・・・何冊書いても成果が出ないというのは
本当に苦しいことで、どんどん煮詰まっていきます。そういう時は
無性に外の光を浴びたくなるんですね。だからこそ多摩川べりを
自転車で走るわけですが、青空に見とれるのはほんの数分で、
しばらくするとまた心のなかでつまらない言葉をささやき始める
のです。

「運もなけりゃ、才能もない。やめてしまえ。すべてやめてしまえ」
「お前が何を書いたところで読んでくれる人なんているはずがな
いだろう」
「俺はもう社会から淘汰されてしまったに違いない・・・」

肉体から湧いてくるかのごとく、こんな言葉が次々と出てくるの
です。溜め息もずいぶんと交じります。それで、目の前だけを見
ながら自転車を進めました。調布市から府中市へと入り、府中
郷土の森を抜けてさらに上流へと向かっていた時でした。

なにげなく、左側の川のほうを見たんですね。そうすると、ここは
広大な河川敷があるんですが、何万というコスモスが揺れてい
ました。太陽の光がコスモスの花や葉っぱで無数に拡散され、
「燦爛たる」という表現がぴったりの風景がそこにありました。
 
その時に、なんとなく私は聞こえたような気がしたんです。

コスモスたちが、生命としてこちらを見てくれている。ささやき
かけている。

「あなたはしばらく社会からはずれてしまうだろう。人間の世界
は今、あなたを必要としない。でも、季節は巡る。私たちがつい
ているよ。がんばれ、負けるな。創作を続けなさい。なんちゃって」

すべてのコスモスが、こっちを向いて手を振ってくれているので
す。本当はただ風に揺れているだけなんですけれども、どう見
ても私を応援してくれているようにしか見えないんですね。

(中略)

河川敷の生き物たち、コスモスの群生からもらったものは、・・・
豊かで、暖かで、笑顔の底にあるような、ほんのりと愉快ななに
かです。TAOを感じるとは、あの一瞬に凝縮された感覚、生き物
の種さえ超越して共有できる大きな力なのかもしれません。