『実践 快老生活』(渡部昇一著)2019/01/01 13:50

次なる世界を覗く ~宗教・オカルトについて~

>「未知なる世界」は存在するのか

死後の世界あるいは宗教の世界をどのように考えたらよいの
だろうか?

先ず、オカルトの世界があるかどうかを考える。
オカルトとは、科学では説明できない超自然現象のことである。
この世界がないと思えば宗教の世界もなくなる。私はオカルトの世界
はあると考えている。

~カント『視霊者の夢』
  カントは、霊魂の世界は理性ではどうにもならないから、学問の
  対象にはならない、と考えた。しかし、霊魂の世界自体を否定は
  しなかった。

~カレル『人間、この未知なるもの』
  この本を読んで、奇蹟というものについて深く考察することがで
  きた。彼は若い頃、<ルルドの泉>巡礼団に医師として加わった。
  ・・・ほとんど危篤状態の少女をルルドの水につけると、みるみる
  うちに治っていき、わずか数分で完治してしまった。・・・彼は、イ
  ンチキが多い社会ではあるが、本当の奇蹟もあり、祈りが効くこ
  ともある・・・この世の中には、「未知なるもの」があると・・・

>「神は隠れている」

神父と話して、カトリックに入るか入るまいかを考えた。
最終的には、パスカルのパンセを読んだことが決断につながった。
理性的な思考を重んじるパスカルは、神や奇蹟について真剣に考
究した。彼自身が2回も奇蹟を体験したからであった。
1654年11月23日、神の示現を目撃した
1656年3月24日、姪のマルグリットの病が瞬く間に治癒した
・・・彼女がポール・ロワイヤルの修道院にあったキリストの荊冠の
一部に目を押し当てたら、あっという間に治ってしまったのである。

パスカルは「神は隠れている」と述べる。求めなければ神は見えな
い。信じない者の前には、神は現れない。しかし、もし神がまったく
現れなければ、神を信じる人はいなくなる。
パンセの大半を占めているのは、宗教と信仰と人間の関わりであ
る。それについてパスカル自身は考え続けた。
・・・洗礼を受ける決心をし、(パスカル同様に神がいるほうにかけ)
入信に向かっての精神的秘蹟を行った。


今、私は入信して良かったと思っている。・・・改宗後も伝統的な日本
の宗教との深刻な断絶問題に悩むことがなかったことであった。・・・
日本の神道は本質的には先祖崇拝であるということ・・・先祖を尊ん
ではいけないという考え方はカトリックにはない故に、先祖崇拝の
神道はカトリックとは相反しない。

※ 日本における宗教共存である「本地垂迹」に相当するカトリック
  の考え方は、「煉獄」・・・天国に行くまでの中間的な所で、地獄の
  のように苦しむ所ではなく、・・・カトリックに改宗した人が先祖の
  ために祈りを捧げれば煉獄にいる先祖は皆天国に行けるという
  ことにした。

>宗教を信じて愚かになるのではいけない

宗教には良い面もあるが、悪い面もある。
宗教を信じるのであれば、その悪い面は信じないほうがいい。・・・
悪い面が出ると、端からみていても馬鹿馬鹿しいとしか言えないよ
うなことが起こる。・・・

宗教として信じるのなら、どちらかといえば簡単に天国に行けるもの
を信仰したい。(カトリックの場合をごく単純化してしまえば)終曲の
秘跡(サクラメント)を受けえいれば、地獄には絶対に行かないという
教えである。


 「95歳を過ぎた頃からは、死後にキリストの御許に行けるといった
  ことすら考えなくなった。死んだら虚空に消えるだけでいいじゃな
  いですか」  (中川秀恭 ICU元学長)

曽野綾子氏に、この話をしたら、「そういう方は、もう心がすべてバ
イブルに入りきっている方です」と仰った。
もし、95歳くらいまで歳を重ねれば、死ぬことさえ怖くなくなるのだと
とすれば・・・問題は、その境地に達するまでの間であろう。

『実践 快老生活』 #22019/01/02 09:25

「歳をとる」とはどういうことか?

>歳をとってみないとわからないことがある

結局のところ、自分、そして自分の愛する家族の生活は自分で守る
しかない。・・・自らの足元を着実に固め、自分の老後を充実させる
工夫を一つでも重ねたほうが良い。

>散歩好きだった私が存分に歩けなくなった

>歳をとると自然に矩をこえなくなる

この歳になると、矩をこえこえようと思っても、もうこえられないので、
ある。・・・若い女性に関心がなくなり、むしろ自分と同じくらいの高齢
の女性に関心が出てくる。関心といっても、話が合うから楽しいといっ
た意味での関心である。

>「漱石はまだ若かったんだなぁ」

この歳になってみると、『こころ』に書かれた内容はおかしいのではな
いかと思えてくる。・・・本当にそれが感動できる話なのだろうか。・・・
奥さんは訳もわからず夫婦生活を送り、子どもをもうける幸せを奪わ
れた。そして、夫に自殺されてしまったことになる。・・・
「先生」の奥さんの気持ちはどうなるのだろうか。
「先生」の懊悩などは結局は自分だけのことであって、奥さんのほう
がよほど可哀想ではないか。・・・今の私は、若い自分がなぜあれほ
ど感動したのか、よくわからない。若い頃の私は奥が深いと思って読
んでいたけれど、今ではそうとも思えない。感動するようなたいした話
には思えないのである。漱石が『こころ』を書いたのは47歳頃のこと
である。漱石よりも40歳ほども年長となった私からみれば、「漱石は
まだ若かったんだなぁ」と感じられてしまう。

私小説的な読み物は年寄りには馬鹿馬鹿しい。『道草』も実に馬鹿
馬鹿しい。歳を重ねると、若き日の悩みの多くが実に取るに足らな
いものでrあることがよくわかるようになる。

>詩は何歳になっても感動できる

詩には、自らの内なる何ものかを呼び出してくれる力があるので
あろう。

>歳をとっても記憶力は衰えない

記憶力は鍛えることができる。
おそらく50代の半ばから、ラテン語を覚えることに取り組んだこと
が、記憶力を鍛えることに繋がったからではないか、と思う。
・・・(『ギリシャ・ラテン引用語辞典』の暗記)・・・これにより、ラテン
語修行に弾みがついて、結局、50代半ばから始めて辞典を2回や
ることができた。今は、3回目に入っている。
この暗記修行の最大の収穫は、この歳になって記憶力自体が強く
なったと思えることであった。

もっとも、物忘れがなくなったわけではない。中身のあるものや、意
味通るものは、歳を取るほど暗記できるようになるのかもしれない。
80歳を超えて、今度は英詩の暗記をしたくなってきた。やりだすと
暗記するスピードがどんどん速くなって簡単に覚えることができる。

※ Anabel Lee は、ポーが40歳で亡くなった年(1849)に書かれた。
   ポー(20歳)=ヴィクトリア(6歳);結婚は27歳と13歳の時
   ヴィクトリアの享年は24歳
   She was a child and I was a child ...

  ポーは天才だった。飲んだくれの天才だけれども、
  ケルト的な空想性
  数学的な厳密性
  を兼ね備えた詩を生み出し、フランス象徴詩の先駆けのような
  存在。

>能力は鍛えられると教えてくれた露伴『努力論』

  「心は気を率い、気は血を率い
   血は身を率いるものである」

足を強くしようとするする人は、ただ、ブラブラ歩くのではなくて、
一歩一歩に心を入れれば良い。すると心に従って気が脚部に
注ぎ入り、さらに気に伴って血が脚部の筋肉に充ちるようになる。
露伴は、これは脳にも適用できるともいう。

『実践 快老生活』 #32019/01/03 09:18

健康のために大切なこと

>自分を呪っては絶対にいけない

自分で健康法を試すならば、「その健康法を実践している人が
長生きしているものを選ぶにしかざる」ということだ。
病気をした時に、如何に心の持ちようが重要・・・「畜生」と思って、
「何でこんなことに・・・」自分で自分を呪ってしまったことを、最も
反省した。

 「あなたを虐待するものは、あなたを罵ったり、殴ったりする人
 ではなく、そういうことをされるのが屈辱だと考える、そのあな
 たの考え方なのだ」(ストア派 エピクテトス)

素直に「神様が命じたのだ」と受け止め、
「こういうこともある、仕方がない」くらいに考えておく。

歳を重ねてからの病気や怪我では、どうしても「これは危ないかも
しれない、もう元の身体には戻れないかもしれない」と思う心が芽
生えてしまう。すると、不安と焦りが知らず知らずのうちに心に押し
寄せてくる。その脅迫観念が必要以上に自分の身体を痛めつけ
てしまうのではなかろうか。

>不治の病なら無理に治さないという選択肢も

歳をとってから大病になった時には、治る病気か治らない病気か
を、医者の判断を仰いだうえで、自分自身でしっかり分けて考え
るべきである。
治らない病気の場合は、苦しまない治療を第一に考えていくより
仕方がないと思う。そのように思うのは、歳をとってから手術をし
て亡くなった知り合いが二人ばかりいるからだ。・・・無理に手術を
して、身体に耐えられないほどの負荷をかけるよりも、痛みを止
める治療のみにしたほうが良い場合もあるのではないだろうか?
どうせ、いつまでも生きられるわけではない。死までの時間を自分
でコントロールできなくような、何でもかんでも手術するのではな
しに、運命に身を任せる「賭け」をしてみても良い。

>長生きをするための方法

 呼吸法(精神論的アプローチ)→「正しい調息法」塩谷信男

 栄養学(唯物論的アプローチ)→「分子栄養学」三石巌
                    ~活性酸素の重視

 真向法(長井津)身体を柔軟して血の流れをよくする


>長生きした人の話を参考にする

一番身体にいいのは仕事で成功することだ。成功して浮かれて
いては駄目だが、そうでなければ、仕事の成功が一番の健康の
益になる。その反対に、仕事で失敗することは、健康の害になる。

『実践 快老生活』 #42019/01/04 19:30

「修養」を身につけるために

老いてますます輝く「学び」と、そうではない「学び」がある。
高齢者に適しているのは「修養」(人間学)だと思う。その中心な
るものは、古典や歴史だ。

 ※ 教養→青年向き

修養について学んでいく中で気に入った短い言葉や一節を覚え
ていくことは是非お薦めしたい。
※ 『易経』のなかの気に入った箇所だけを暗記する。

>和歌がしみじみと分かる

>詩から歴史を学ぶ

『坂の上の雲』を読んで、乃木大将への評価があまりに偏って
いるのではないか、と気づくであろう。・・・乃木大将率いる第3軍
が直面したのは、極めて厳しい戦場であった。にもかかわらず、
なぜ第3軍の将兵は敢闘精神を失わなかったのか。それは乃木
の人間的魅力によるところが大きであろう。私は乃木の魅力は、
実際に会った人間でなければ理解できないものであるように思う。
その片鱗を垣間見ることができるのが、乃木の残した漢詩である。
戦場ではハッタリは通用しない。当時の将兵が、いかなる思いを
持って戦ったのかを、我々に雄弁に物語ってくれる。

>老後こそ「機械的な仕事」を心がける

毎日、決まった時間を割いて仕事に取り組むほどの意味
(生産力の高い作家たちは)一日のうちで執筆に充てる時間を
決め、機械的といってもいいほどの勤勉さで執筆に励んでいる。

>漫然と目的を絞らずにやってはいけない

「先ず書き始めることが大切」・・・漫然と目的を絞らずに乱読して
も、役に立たない。ある程度の構想を立てた上で、実際に第1章を
書き始めると、調べなければならないことが突如として次々と目に
見えるように現れてくる。疑問が生じたらチェックし、最初の構想が
間違いだとわかったら書き直す。・・・そのようにして、何時間か機
械的に取り組まないと、まともな論文など完成しない。

何の目的意識もなく漫然と雑多なものを読むだけでは、結局はうた
たかのように消えてしまって自分の中に積み重なっていくものは何
もない。

「レベル3の視点」(ギャンブラーのぶき#1)2019/01/07 08:50

from https://www.lifehacker.jp/2014/08/140824_gambler.html

17年間(注、2014年8月24日の記事)、プロギャンブラーとして活動
している「のぶきさん」のお話:

のぶきさんは、大学卒業後、アルバイトで貯めた1000万円を元出に、
ビジネスとしてギャンブルをスタート。以来17年間、世界82カ国のべ
250カ所でカジノをわたり歩き、ポーカーをはじめとする"ギャンブル"
で安定的に生計を立ててきました。

>レベル1

「自分視点で動くこと」を指します。あくまでも主眼は自分のみとなり、
自分のことに対して一生懸命に努力はできますが、あくまでも自分
のことだけで精いっぱいというレベルを指します。

>レベル2

「相手を読む視点」が加わります。ポーカーなどのギャンブルの現場
でいえば、相手のカードを読むことです。勝負で勝つためにこれは
絶対必要です。そのうえで、いろいろ対策を講じられる。つまり、"彼
を知り、己を知れば、百戦殆うからず"(孫子)ということですね。

>レベル3

自分がどういうふうに相手から見られているかを知ることです。相手
が自分についてどこまでわかっているか、どう捉えているか、または
どう評価されているか、どこまで好意的なのか読むことを指します。

僕は、"レベル3の視点"を逆手にとって、カジノとタイマン勝負してた
時期は、バカンスで着るような服装で通っていました。水の入ったバ
ドワイザーを片手に、女性を両側にはべらせて...というようなカモフ
ラージュまでは僕はしませんが(笑)、誰が見ても、日本人の普通
の観光客のような感じで行きます。カジノ側からしたら、素人同然
の"いいカモ"を装うんです。見た目のギャップが結果的にお金を生
みだします。

さらにギャンブルの現場では、たとえば僕が9点のカードを持ってい
るのに、相手は僕の策略へはまり僕のカードを5点だと読み違えて
いる場合、僕は5点のカードを持っているように演じ切り、相手をう
まく引き込んで、お金を最大限に引き出します。

通常のビジネスの現場では、"レベル3の視点"が最重要のひとつ
です。言われたことをただやっておきましたよ、はい、納品完了と
いうだけではダメだということです。手紙を添えるだけでも違うだろ
うし、相手を知り、相手にとってさらなるプラスな気持ちを提供でき
るかが重要です。だからこそ、相手の想定する2歩も3歩も先のこと
をできる限り想像して、「おもいやりのこころ」にて対応することで、
ビジネスの正のスパイラルを生み出していくんです。それが「レベ
ル3の視点」にて働くことで得られる威力です。

「捨てる極意」(ギャンブラーのぶき#2)2019/01/08 15:26

from https://www.lifehacker.jp/2016/03/160321gambler_dump.html

>「ぽいぽーい」モードで捨てる!

捨てるときに一番大事なのは、「ぽいぽーい♪」モードです。この軽快
な勢いにのって、一気に捨てまくるのが重要です。このとき、「捨てる」
という単語より、あまり深く考えずに気軽にポイポイ捨てる感覚で行っ
てください。

>引っ越しで大量のゴミを排出する!

捨てる一番のチャンスは引っ越しのときです。捨てる行為とは、選別
する判断力と集中力を要します。人は環境によって創られるもの。すっ
きり暮らすチャンスとなる「引っ越し」は、自分のベストな環境づくりを
するために非常に重要なのです。可能なら、定期的に引っ越しする
のも高度なテクニックです。

>引っ越しは自力でする!

荷物をまとめる時間を計っていましたが、いつも13分で完了しました。僕の荷物はバックひとつ分しかありません。目につくモノすべてをバックへ入れていく作業のため、たったの13分で引っ越し完了です。

これによって気づいたことがあります。自分が仮に半日で引っ越せ
ることを把握していると、まるで「どこでもドア」を持ったがごとく自由
になれるんです。すると、自分の住みたいところへいつだって移り住
み続けられます。たとえば、いきなり長旅に誘われても、半日あれ
ば用意できるのです。

あなたの自由な翼をもぎ取っているのは、所有欲もそのひとつです。
もちろん、翼なき人生もステキです。翼があるメリットの裏返しは、デ
メリットにもなります。また、翼があってもずっと同じ場所に居るなら、
そこはあなたにとって本当にステキなところだということです。

>迷ったものは捨てる!

必要になったら、また買い直せばいいのです。

>今から3ヶ月間以内に使う予定のないものは捨てる!

>思い出も過去の栄光も、記念撮影して捨てる!

ギャンブル養生訓(浅田次郎)2019/01/10 20:32

・バクチは一にも二にも努力。運だと思うのなら宝くじを買え

・あれこれやるほど簡単ではない:終生競輪一筋であった父は、
私を誘ったことが一度もなかった。「お前は競馬をやっているの
だから」というわけである。
一度ダービーの指定券が余ったので父を誘ったところ、「興味
がない」と一蹴された。

・酒と女はご法度:父は酒も飲み、女道楽もしたが、競輪場で酒
を口にしたり、女を同伴したことはなかったそうだ。

・バクチは体力。健康な体が健康な状態でなければ勝てない。

・すべてのバクチの勝敗を左右するものはテラである

・バクチは何よりも面白い。だが、他にやらなければならないこ
とは、いくらでもある。
※ バクチを学び、人間を学ぶ

バクチは人生の教科書である#12019/01/11 09:54

阿佐田(哲也)流「いい負け」とは:

阿佐田さんは五十歳になったとき、「これからはやりたいことはなん
でもやる。五十歳紀年としてかたっぱしから女に子どもを産ませるんだ」と言った。
(立川競輪場で)その日のレースは、僕(嵐山光三郎)は五勝二敗。
収支はプラス七万円くらいだった。阿佐田さんは全レースをはずした。・・・「今日は、いい負けだった」・・・負けを取りにきたのだ。それ
も、自然体の負けを取りにきたのであった。

阿佐田さんは、一日毎に勝ち負けを表をつけていた。一日のうち、
いいことが一つあると一勝で、嫌なことが一つあれば一敗だ。それ
ぞれの日の勝ち負けを決める。例えば、五勝四敗とか五勝六敗と
いう具合だ。これを続けると、毎日の運の流れがわかる。その流れ
を読んで勝負に出る。運は気まぐれで、人間の意志とは関係なく
やってくる。運はあらゆる人間に対して平等である。それにもかか
わらず、運が強い人と、運が悪い人がいる。それは、運を見る目が
あるかないかにかかわっている、というのが阿佐田さんの考え方だ。

誰もが運を呼び寄せようとするが、運は気まぐれで呼んでも飼い猫
のようにはやって来ない。とすれば、こちら側から運に擦り寄って行く
しかない。・・・一日ずつの勝敗表(運のバイオリズム)をつけ、勝ち、
勝ち、勝ち、と勝ちの日が三日も続くと、阿佐田さんは外を歩かない。三連勝した後は、負ける確立が高い。・・・連勝した時は、自然に負
けがくるようにひたすら待つ。ところが、あせるあまりワザと負けると、天が下している運をいじることになる。運の神様に逆らうことは最悪
である。わざと負ける人間は、イザ勝とうとしても勝つことはできない。・・・自分にいい運が来るのをひたすら待つ。その時を逃さず一
気に勝負に出る。その運の読み方で、すべての勝負が決まる。

勝ち、勝ち、勝ちと来ているときは、いい負けが来ると、・・・(今度
は)(強力な)運が来る・・・その運を待とうと・・・

相場師はなぜ負けるか:

相場は命がけのギャンブルだが、負けた人に共通しているのは、
攻めて攻めて攻めまくる性格である。引き時を知らない。・・・引くと
いう発想がない。・・・そして最後は大負けして終りとなる。

(このギャンブルの魔力に引き摺り込まれるムズムズする虫を抑
えるには)競輪競馬は日収以内でヤレ、ということ・・・年収365万
円の人は一日一万円が上限・・・一日分がその人の能力であり、
格である。分をわきまえずに能力以上の金をつぎ込むのは思い
上がりである。思い上がった者が敗れる・・・

ギャンブルには、運がつきまとう。勝てば、その運はなにものかの
代償である。勝ったその分、別のところで損をしている。気がつか
ないところで損をしている。気がつかないところで負けている。「禍
福はあざなえる縄のごとし」で災いと幸運は表裏転換する。大穴を
当てたときに注意しなければいけないのは当然のことである。また、
ギャンブルで負けた日は、そのぶん、なにかいいことがある。負け
て喜ぶのがプロのギャンブラー心理なのだ。

やくざの大親分は、賭場で負ける。負けて大金をポンと払って大
物ぶりを見せる。賭場で勝ってばかりいる親分は、大親分になれ
ず、あまり勝ち続けるとうらまれて殺される。

勝負は一日単位である。負ければ負けたで次の日に頑張る。
それで負ければ、また次の日がある。一日でチャラにする。

バクチは人生の教科書である#22019/01/12 10:08

ガマンはやめよう:

僕らは焼け跡の中で、みんな不良少年だった。それがいつの間に
か高度成長になり・・・円高の波をくらって、・・・気がついてみたらモ
ヌケの殻の自分がいた。足元を見透かされ、要するに、戦後民主
主義のモルモットにすぎず、「一生懸命働けば報われる」というお
めでたい半生を送ってきた。

永井荷風は三十歳で慶応大学教授となったが、・・・女と別れると
きは、弁護士を介すのが荷風流であった。・・・一代の蕩児荷風は、
最後は、破れ畳の上で、誰にも看取られずに死んだ。それが不良
老人荷風の面目である。

愛と尊敬のない家庭なんて捨ててしまえ。・・・悲しいことに、「去
勢されたオス軍団」としての自覚のなかに、ひたすら無為の日々
を過ごす・・・先ず、最初にやることは会社を辞めることだ。・・・

不良の条件:

(1)バケることから始まった・・・自分をだます味・・・いつもニコ
ニコして、決して怒らず、・・・そのぶん偉そうに振る舞い・・・そ
のうち、「独善的だ」「カッコつけている」「自己中心的エゴイスト」
と言われるようになった。そのあげく、かたっぱしから、

(2)女に嫌われるようになった。
これが不思議と不良の快感なのであった。もともと女にはもてな
かったが、さらにもてなくなった。しかし、他人にアッと言われるよ
うな女には好かれたのである。・・・不良レベルが上がったように
感じた。・・・(会社を辞めたら)女も離れて行った。女は、雑誌編集
長としての僕に好意を寄せていただけで、僕個人に好意を寄せて
いたのではない。・・・当然のことを経験するのも不良の修行になる。

(3)会社を辞める・・・怖いものはなんにもない。ただ収入がなくな
るのが困った。・・・しかし、金がないというのは、やってみると、そ
れほどどうということはない。・・・それで、

(4)コジキをした。物乞いをするわけではなく、住所不定者で、
・・・新橋のガード下に坐って一日中寝ていると・・・不良の根性を
磨いたような気になった。世間の常識を裏側から眺めると、それま
で見えないものが見えてきた。それでも一年たつと飽きてしまって、

(5)再就職をした。・・・出版社を作って・・・宣伝のために

(6)テレビに出た・・・(年収1億円時代・・・金を使ってのやりたい
放題の不良)・・・

(7)吐血した・・・(入院)・・・(株でスッカラカン)・・・

(8)バイク乗りになる・・・ぼくは正常な社会人である。・・・フツー
に暮らしながらも、世間のルールに嵌められて、お仕着せの一生
を過ごすのが嫌なだけである。ちょっと不良になればいい。

(9)ビンボー・・・五十歳になったとき、もう、ムキになって金を稼ぐ
ことはない、と決意した。・・・本当に自分本位に生きるのはこれか
らで、なにをやってもいいのだ。
ゴーガンが安定した仕事を放棄して、ある日突然「画家になる」と
言い出した・・・

バクチは人生の教科書である#32019/01/13 10:32

放浪:

西行は不良のはじまり・・・プロの不良は不良を気取ったりはしない。
不良は、自分では不良だとは思っていない。先ず自分を騙す。不良は、健全な社会的秩序に従わず、安穏な市民生活を拒否し、天然
の旅情に誘われて、意の向くまま、好きなように生きて行く存在・・・
西行は、あの、一見孤独感にみちた淋しい和歌で弱々しげに見え
るものの、実は武闘派である。武闘派に限って弱そうに見せかける。

これを真似した不良に芭蕉がいる。・・・いずれにせよ、五十歳を過
ぎてから、不良は磨きがかかる。それは、それまでの人生経験で、
やっていいことのギリギリのラインを判定できるからである。・・・芭蕉
のライバルは西鶴だった。・・・色に生きるか旅に生きるかは、不良の
大いに迷うところである。・・・芭蕉を真似て「この手でいこう」と決めた
のは蕪村と一茶(一茶の日記は性交の記録ばかり)である。・・・

「父はこれからさすらいの旅に出る」・・・妻に頼るから妻になめられる・・・妻から自立すること、それは先ず料理を作ることから始まる。
下着は自分で洗えばいい。・・・「では、さらばじゃ」と、せめて一、二
年は外国へ行って、自由気ままに暮らせばいい。・・・五十八歳で、
ひとりポルトガルへ行き、一年余の滞在をした檀一雄は、「私の放浪
癖は、私の、自分で食べるものは自分でつくる流儀の生活をいっそう
助長したし、また反対に、自分で食べるものは自分で作る流儀の生
活が、私の放浪癖をことさらに助長した」と語っている。

旅の効用は、異文化に触れることである。不良の放浪は、(先進国
ではなく)アジア、アフリカ、中東、南米がいい。なぜなら、発展途上
の国々では「昔の自分」に出会えるからである。あるいは、「自分が
生まれる前の自分」に出会える。人間は、何をやって生きていったっ
ていい。そのことがヨーク分かる。日本という国が、いかに自縄自
縛された「特殊な国」であるかが分かる。・・・アジアや中東に行け
ばそこら中に不良がいる。現代の日本人が忘れてしまった不良だ
らけだ。それも原種不良ともいうべき純不良である。

(浜松の北にある史跡「石仏畑」)風外仙人(穴風外)を埋めた場所
・・・禅宗の坊主は死に比べの芸合戦で・・・相模の成願寺~小田
原山中洞穴~真鶴の天神堂近くの洞窟(小田原藩主、稲葉正則)
~浜名湖北で、八十二歳、畑の隅に穴を掘って、そこで座禅した
死んだ。
・・・カッパドキアなら、みんなやっていることだが、真鶴だから珍しい。・・・高齢化社会にいちだんとなると、死に方のパフォーマンス
は、不良のテーマとなる。

西行の辞世の歌は、「願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎ
の望月のころ」と思われているが・・・この歌は、死ぬ半年ほど前に
詠まれたもので、西行は「きさらぎの望月のころ」(釈尊が涅槃に入っ
た二月十五日の夜)に死んでみせると、この歌で予言した。
・・・歌で予言した通りピタリと二月十五日夜に死んだ。それで定家は
驚愕し、後鳥羽院も感動して、西行の名はいっそう広まった。美事に
死んでみせるというのが不良の心意気である。それも年を取ってから
スパッとやる。

一休の愛欲生活:

一休は、だれはばからず酒肉を食らい、女色にふけった。一休こ
そ大物不良の先駆者である。やっていることは破戒僧だが、その
くせ誰からも愛された。一休は七十七歳のとき、盲女の森という女
性(四十歳位)と愛欲生活をおくり、森女のヴァギナは「水仙の香り
がする」と書いた。・・・『狂雲集』

木喰は、六十余州を廻って九十三歳まで生きた。旅に出たのは
五十六歳である。旅行する費用を捻り出すために、万人講をつくっ
て喜捨をあおぎ、十五両という大金を集めた。現実的でしたたか
・・・寺にいても雑務係で、僧侶として出世する見込みはない。そこ
で、エエイとばかり旅に出たのは、木喰の大勝負だった。恐山~北
海道西海岸~(37年間)・・・「木喰はいづくの果ての行きだおれ犬
か鳥のえじきになりにけり」

女の不良は流浪せず、町の暗がりに罠を張って待ち伏せた。女は
町に棲みつく魔物である。男は町をたらしこむ妖怪である。女をた
らしこむように町をたらしこむ。妖怪と魔物はくんずほぐれつ一体と
なって時の流れへ身をゆだねて行く。どっちも時間には敗れる。老
いには勝てない。どうころんだって、かまやしない。行き着く果てに
行き着くだけだ。・・・自分の死を見定めれば、恐いものはなくなる。