『実践 快老生活』(渡部昇一著) ― 2019/01/01 13:50
次なる世界を覗く ~宗教・オカルトについて~
>「未知なる世界」は存在するのか
死後の世界あるいは宗教の世界をどのように考えたらよいの
だろうか?
先ず、オカルトの世界があるかどうかを考える。
オカルトとは、科学では説明できない超自然現象のことである。
この世界がないと思えば宗教の世界もなくなる。私はオカルトの世界
はあると考えている。
~カント『視霊者の夢』
カントは、霊魂の世界は理性ではどうにもならないから、学問の
対象にはならない、と考えた。しかし、霊魂の世界自体を否定は
しなかった。
~カレル『人間、この未知なるもの』
この本を読んで、奇蹟というものについて深く考察することがで
きた。彼は若い頃、<ルルドの泉>巡礼団に医師として加わった。
・・・ほとんど危篤状態の少女をルルドの水につけると、みるみる
うちに治っていき、わずか数分で完治してしまった。・・・彼は、イ
ンチキが多い社会ではあるが、本当の奇蹟もあり、祈りが効くこ
ともある・・・この世の中には、「未知なるもの」があると・・・
>「神は隠れている」
神父と話して、カトリックに入るか入るまいかを考えた。
最終的には、パスカルのパンセを読んだことが決断につながった。
理性的な思考を重んじるパスカルは、神や奇蹟について真剣に考
究した。彼自身が2回も奇蹟を体験したからであった。
1654年11月23日、神の示現を目撃した
1656年3月24日、姪のマルグリットの病が瞬く間に治癒した
・・・彼女がポール・ロワイヤルの修道院にあったキリストの荊冠の
一部に目を押し当てたら、あっという間に治ってしまったのである。
パスカルは「神は隠れている」と述べる。求めなければ神は見えな
い。信じない者の前には、神は現れない。しかし、もし神がまったく
現れなければ、神を信じる人はいなくなる。
パンセの大半を占めているのは、宗教と信仰と人間の関わりであ
る。それについてパスカル自身は考え続けた。
・・・洗礼を受ける決心をし、(パスカル同様に神がいるほうにかけ)
入信に向かっての精神的秘蹟を行った。
今、私は入信して良かったと思っている。・・・改宗後も伝統的な日本
の宗教との深刻な断絶問題に悩むことがなかったことであった。・・・
日本の神道は本質的には先祖崇拝であるということ・・・先祖を尊ん
ではいけないという考え方はカトリックにはない故に、先祖崇拝の
神道はカトリックとは相反しない。
※ 日本における宗教共存である「本地垂迹」に相当するカトリック
の考え方は、「煉獄」・・・天国に行くまでの中間的な所で、地獄の
のように苦しむ所ではなく、・・・カトリックに改宗した人が先祖の
ために祈りを捧げれば煉獄にいる先祖は皆天国に行けるという
ことにした。
>宗教を信じて愚かになるのではいけない
宗教には良い面もあるが、悪い面もある。
宗教を信じるのであれば、その悪い面は信じないほうがいい。・・・
悪い面が出ると、端からみていても馬鹿馬鹿しいとしか言えないよ
うなことが起こる。・・・
宗教として信じるのなら、どちらかといえば簡単に天国に行けるもの
を信仰したい。(カトリックの場合をごく単純化してしまえば)終曲の
秘跡(サクラメント)を受けえいれば、地獄には絶対に行かないという
教えである。
「95歳を過ぎた頃からは、死後にキリストの御許に行けるといった
ことすら考えなくなった。死んだら虚空に消えるだけでいいじゃな
いですか」 (中川秀恭 ICU元学長)
曽野綾子氏に、この話をしたら、「そういう方は、もう心がすべてバ
イブルに入りきっている方です」と仰った。
もし、95歳くらいまで歳を重ねれば、死ぬことさえ怖くなくなるのだと
とすれば・・・問題は、その境地に達するまでの間であろう。
>「未知なる世界」は存在するのか
死後の世界あるいは宗教の世界をどのように考えたらよいの
だろうか?
先ず、オカルトの世界があるかどうかを考える。
オカルトとは、科学では説明できない超自然現象のことである。
この世界がないと思えば宗教の世界もなくなる。私はオカルトの世界
はあると考えている。
~カント『視霊者の夢』
カントは、霊魂の世界は理性ではどうにもならないから、学問の
対象にはならない、と考えた。しかし、霊魂の世界自体を否定は
しなかった。
~カレル『人間、この未知なるもの』
この本を読んで、奇蹟というものについて深く考察することがで
きた。彼は若い頃、<ルルドの泉>巡礼団に医師として加わった。
・・・ほとんど危篤状態の少女をルルドの水につけると、みるみる
うちに治っていき、わずか数分で完治してしまった。・・・彼は、イ
ンチキが多い社会ではあるが、本当の奇蹟もあり、祈りが効くこ
ともある・・・この世の中には、「未知なるもの」があると・・・
>「神は隠れている」
神父と話して、カトリックに入るか入るまいかを考えた。
最終的には、パスカルのパンセを読んだことが決断につながった。
理性的な思考を重んじるパスカルは、神や奇蹟について真剣に考
究した。彼自身が2回も奇蹟を体験したからであった。
1654年11月23日、神の示現を目撃した
1656年3月24日、姪のマルグリットの病が瞬く間に治癒した
・・・彼女がポール・ロワイヤルの修道院にあったキリストの荊冠の
一部に目を押し当てたら、あっという間に治ってしまったのである。
パスカルは「神は隠れている」と述べる。求めなければ神は見えな
い。信じない者の前には、神は現れない。しかし、もし神がまったく
現れなければ、神を信じる人はいなくなる。
パンセの大半を占めているのは、宗教と信仰と人間の関わりであ
る。それについてパスカル自身は考え続けた。
・・・洗礼を受ける決心をし、(パスカル同様に神がいるほうにかけ)
入信に向かっての精神的秘蹟を行った。
今、私は入信して良かったと思っている。・・・改宗後も伝統的な日本
の宗教との深刻な断絶問題に悩むことがなかったことであった。・・・
日本の神道は本質的には先祖崇拝であるということ・・・先祖を尊ん
ではいけないという考え方はカトリックにはない故に、先祖崇拝の
神道はカトリックとは相反しない。
※ 日本における宗教共存である「本地垂迹」に相当するカトリック
の考え方は、「煉獄」・・・天国に行くまでの中間的な所で、地獄の
のように苦しむ所ではなく、・・・カトリックに改宗した人が先祖の
ために祈りを捧げれば煉獄にいる先祖は皆天国に行けるという
ことにした。
>宗教を信じて愚かになるのではいけない
宗教には良い面もあるが、悪い面もある。
宗教を信じるのであれば、その悪い面は信じないほうがいい。・・・
悪い面が出ると、端からみていても馬鹿馬鹿しいとしか言えないよ
うなことが起こる。・・・
宗教として信じるのなら、どちらかといえば簡単に天国に行けるもの
を信仰したい。(カトリックの場合をごく単純化してしまえば)終曲の
秘跡(サクラメント)を受けえいれば、地獄には絶対に行かないという
教えである。
「95歳を過ぎた頃からは、死後にキリストの御許に行けるといった
ことすら考えなくなった。死んだら虚空に消えるだけでいいじゃな
いですか」 (中川秀恭 ICU元学長)
曽野綾子氏に、この話をしたら、「そういう方は、もう心がすべてバ
イブルに入りきっている方です」と仰った。
もし、95歳くらいまで歳を重ねれば、死ぬことさえ怖くなくなるのだと
とすれば・・・問題は、その境地に達するまでの間であろう。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://shoyuclub.asablo.jp/blog/2019/01/01/9019857/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。