バクチは人生の教科書である#12019/01/11 09:54

阿佐田(哲也)流「いい負け」とは:

阿佐田さんは五十歳になったとき、「これからはやりたいことはなん
でもやる。五十歳紀年としてかたっぱしから女に子どもを産ませるんだ」と言った。
(立川競輪場で)その日のレースは、僕(嵐山光三郎)は五勝二敗。
収支はプラス七万円くらいだった。阿佐田さんは全レースをはずした。・・・「今日は、いい負けだった」・・・負けを取りにきたのだ。それ
も、自然体の負けを取りにきたのであった。

阿佐田さんは、一日毎に勝ち負けを表をつけていた。一日のうち、
いいことが一つあると一勝で、嫌なことが一つあれば一敗だ。それ
ぞれの日の勝ち負けを決める。例えば、五勝四敗とか五勝六敗と
いう具合だ。これを続けると、毎日の運の流れがわかる。その流れ
を読んで勝負に出る。運は気まぐれで、人間の意志とは関係なく
やってくる。運はあらゆる人間に対して平等である。それにもかか
わらず、運が強い人と、運が悪い人がいる。それは、運を見る目が
あるかないかにかかわっている、というのが阿佐田さんの考え方だ。

誰もが運を呼び寄せようとするが、運は気まぐれで呼んでも飼い猫
のようにはやって来ない。とすれば、こちら側から運に擦り寄って行く
しかない。・・・一日ずつの勝敗表(運のバイオリズム)をつけ、勝ち、
勝ち、勝ち、と勝ちの日が三日も続くと、阿佐田さんは外を歩かない。三連勝した後は、負ける確立が高い。・・・連勝した時は、自然に負
けがくるようにひたすら待つ。ところが、あせるあまりワザと負けると、天が下している運をいじることになる。運の神様に逆らうことは最悪
である。わざと負ける人間は、イザ勝とうとしても勝つことはできない。・・・自分にいい運が来るのをひたすら待つ。その時を逃さず一
気に勝負に出る。その運の読み方で、すべての勝負が決まる。

勝ち、勝ち、勝ちと来ているときは、いい負けが来ると、・・・(今度
は)(強力な)運が来る・・・その運を待とうと・・・

相場師はなぜ負けるか:

相場は命がけのギャンブルだが、負けた人に共通しているのは、
攻めて攻めて攻めまくる性格である。引き時を知らない。・・・引くと
いう発想がない。・・・そして最後は大負けして終りとなる。

(このギャンブルの魔力に引き摺り込まれるムズムズする虫を抑
えるには)競輪競馬は日収以内でヤレ、ということ・・・年収365万
円の人は一日一万円が上限・・・一日分がその人の能力であり、
格である。分をわきまえずに能力以上の金をつぎ込むのは思い
上がりである。思い上がった者が敗れる・・・

ギャンブルには、運がつきまとう。勝てば、その運はなにものかの
代償である。勝ったその分、別のところで損をしている。気がつか
ないところで損をしている。気がつかないところで負けている。「禍
福はあざなえる縄のごとし」で災いと幸運は表裏転換する。大穴を
当てたときに注意しなければいけないのは当然のことである。また、
ギャンブルで負けた日は、そのぶん、なにかいいことがある。負け
て喜ぶのがプロのギャンブラー心理なのだ。

やくざの大親分は、賭場で負ける。負けて大金をポンと払って大
物ぶりを見せる。賭場で勝ってばかりいる親分は、大親分になれ
ず、あまり勝ち続けるとうらまれて殺される。

勝負は一日単位である。負ければ負けたで次の日に頑張る。
それで負ければ、また次の日がある。一日でチャラにする。