人間における自然ということ#12019/01/20 12:58

 from 『体壁(1)』(野口晴哉著)

人間の体は昔より丈夫になったろうか

>人間自身の智慧は、(7千万年の)積み重ねた知識と異なって50
  年か100年の働きしかない。現存の人間一人分のものでしかな
  い。
  この現存の人間は昔の人より進歩しているだろうか?
  忍耐はあるか?努力は続くか?体力は?気力は?
  積み重ねた知識の前では、智慧や感情はむしろ幼稚な存在で
  はないのか?
 
  ここで考えようとすることは、ただ人間の体は丈夫になっただろ
  うか?ということである。
  機械、器具を使わなかったら、人間は昔の人より力を発揮でき
  るだろうか?
  人間の体は果たして丈夫になっただろうか?
  傷ついたり病んだときの恢復力はどうだろうか?
  レントゲンを使ったために白血病が生じ、薬物とて体を亡ぼす
  基とならないとは限らない。消化薬、睡眠薬、栄養剤等々、次
  から次へと新薬、新療法が紹介されるのは何故か?

  理由は多くの人がそれを必要としているからだ。
  何故必要とするのか?
  体が無気力になって、何ものかに依りかからないと不安である。
  これは、医学が進歩した為に、人間の体は庇われ守られ補わ
  れると萎縮を来す性質をもっているのだから、医学の進歩とい
  うことが今日の如き体の退歩のもととなったのではないか?

>元来、体の丈夫な状態とは寒暑風湿をものともせず、食べるに
  選ばず、何でも旨く、働くに溌剌として疲れず、疲れて快く、眠っ
  て快く、守らず庇わず補わずとも、いつも元気で活き活き動作
  し、その思いも、何もせずに自づから経過して新鮮活潑となり、
  雨も風も苦とせず、いつも軽快に行動しつづけられることを言
  うのである。
  残念ながら、2、30年前の人より体力も気力も低下したと見ざる
  を得ない。その為に、庇い守ることが発達し普及し、又その為
  に弱り衰えたのである。

>しかし平均寿命が延びたという人がある。
  寿命の平均指数が上がるということは死亡数の減少を示すも
  ので、従って自然の淘汰が緩慢となったことである。ヘナヘナ
  な人間が守られ庇われて繁殖しているのであるから、寿命の
  平均指数の上昇そのものが人間の体の弱くなったことを示し
  ているとも言える。
  淘汰ということは、広く考えればこれあって進歩し、これによっ
  て体は丈夫になるとも言える。進んで強くなる機会として活用
  すべきだろう。
  淘汰が行われなくなった場合には一種の自壊現象が生じる。
  癌とか、脳溢血とか、白血病とか自壊現象に似た病気は増加
  している。これらに共通することは異常感が鈍いことであり、
  自覚症状が明瞭でない。死に至るのは再適応が困難な体の
  ためであって病気そのものの問題ではない。他の病気でも、
  再適応が行われなかったら死ぬだけだ。それ故、死に至るの
  は病気そのものより体の鈍りの為であり、体の鈍りがこれ等
  の病気の温床となっているのだと言える。

◎体が鈍って適応することが出来ずに亡びることはすべての動
  物を通じて同じである。人間だけが免れるものではない。

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