人間における自然ということ#22019/01/21 18:58

   from ibid.

体の自然とは何か

>動物のすべては、環境に適応してその機能、形態を変えることに
  よってその生存を全うしている。けれども、人間だけは環境を人
  間に適応させることによって生きている。そのため、他の動物な
  らとうの昔に消滅してしまうようなヘナヘナの体をもって生存して
  いるものも少なくない。
  
  しかし人間もまた動物である以上、環境に適応してその機能形
  態を変化する自然の能力を有していることは同じである。それ
  故、改善した環境に住めばその改善された環境に適応し、その
  機能形態を変えることは当然である。消化しやすいように煮焼
  きした物を食べておれば、そうしないと食えなくなる。・・・消化薬
  を服せばまた消化薬を服さねば働かない消化器になってしまう。


  改善は次の改善の必要を産み、それを果たせばまた次の改善
  が必要になる。しかして何を食べても旨く、どしどし栄養を吸収
  する消化器を丈夫だというのだから、環境改善によって生じる
  変化は萎縮である。

  人間は改善に追われて、体の実質の萎縮に向かっている。萎縮
  すれば、それまで何でもなかった物が有害物と化す。輝かしい
  日光、新鮮な冷たい空気、爽やかな風も人間の敵となる。いよ
  いよ守り庇い補う技術が必要となり、そうすることでいよいよ萎
  縮する。

 
>次に、人間の生活エネルギーは、他の動物に比べて、著しく余剰
  を来たしている。その余剰エネルギーはどこへ行くのだろうか?

  他の動物なら肉体の発達とか、体力の充実とかになるだろうが、
  既に肉体労力を不要としている人間にあっては肉体の発達の
  必要もない。動物が動くのは要求の現象である。人間において
  も同様であって、そのエネルギーは欲求となり欲求実現の行動
  に人間を駆り立てる。一を得れば二を求め、三を追う。人間は
  後から後から生ずる欲求を、実現せんものとあくせくし続ける。
  涯りある生をもって涯りない欲求を追っているのだから余剰が
  あるように見えても充分ではあるまい。

  しかし、他の動物は欲求実現のためにその体を動かすのだが、
  人間生活の特徴はその大脳的行動にある。坐り込んで機械器
  具を使って、頭だけをせっせと使うのだから余剰運動エネルギ
  ーは、方向変えして感情となって鬱散するのは当然だ。遮二無
  二焦だっている姿は理性の齎すものとはいえない。余剰エネル
  ギーの圧縮、噴出といえよう。人間に安閑とした時のないのも、
  また止むを得ない。人間はその余剰によって生活に生活に混
  乱を来しているのである。

◎これも又自然の良能である。