『読ませる自分史の書き方』#2 ― 2019/05/15 08:30
>読ませるための五つのポイント
~①自慢話を書きすぎない
自分史に共通するのは、やたらに長いということ。ですから、
先ず、「自慢話を禁ずる」ことを徹底的に自らに課すこと。
自分史の難しさは、苦労話はどうしても自慢めいて聞こえて
しまうことだ。だから、上手く行ったことや誇らしく思っている
ことばかりを書かずに、苦労したこと、辛かったこと、悲しかっ
たこと、イヤだったことも書き込んでバランスを心掛ける。
例えば、闘病記は、書くことで魂の救済になります。ある厳し
い状況と闘って、遂に打ち勝つプロセスは仔細に記すべき
でしょう。でも、その結果収めた成功とその後については、事
実をさらっと書くに留めましょう。そこで筆をすべらせると、折角
の苦労話が台無しになります。
成功した話ばかりか、苦労話も失敗談も身に降りかかった不
幸も、度を超すと自慢になるということ。自慢という我が身の
アピールです。だからこそ、淡々と事実に語らせることが大切
なのです。謙虚に控えめに書くことを肝に銘じてください。
~②自分史を復讐のツールにしない
誰もが背負っている「念」(残念;執念;怨念など)を、自分史
に盛り込むことは、決して悪いことではない。誰もが持ってい
るものですから、プレゼンテーションの仕方によっては共感し
てもらえる可能性も高く、スパイス的な役目を果たすことで
しょう。けれども、くれぐれも醜く書かないように、サラサラと
爽やかに書くことを心掛けてください。
~③事実を淡々と書く
闘病記に共通する弱点は、自己憐憫になりがちなこと。・・・
その感情を突き放し、病気に苦しむ自分の心を冷静に観察し、
病状をきちんと描写しているような事実が淡々と書かれてい
るものが読者に感動を呼び起こすのです。どうか事実に語ら
せることを心掛けてください。
闘病体験に限らず、辛い体験をされた方、悲しみの渦中に
おられる方、何かと闘っている方には、是非とも自分史を書く
ことをお薦めしたいと思う。書くことで苦しみから逃れること
は難しくても、書くことが闘う力になるかもしれない。そんな希
望を持って書いていただきたいと思う。
「事実を淡々と書く」ことで、少しでも自分の感情から離れる
・・・自己愛や偏見、差別意識が強い人の文章はどうしても
表現が過激になったり情緒過多になりがち。自分に酔ってし
まうと、対象との距離感を保つことが至難の業となってしまう
のです。
あふれそうな感情を抑えに抑えて、最後まで自分史を書き
通せば、自分を客観視する眼差しを身に着けられ、それは
必ずやその後の人生に役立ちます。冷徹な眼他人にでは
なく、自分に向けてこそ意味があるのです。
~④できるだけ本当のことを書く
いざ書き出すと、その途中で、殆どの人が「不作為の作為」
に引っかかる。あなたの筆は、イヤな思い出をすべてスルー
してしまう。・・・そして、大好きな人たちのことは、いささか美
化して書いてしまうかもしれない。・・・人間は自分にとって大
切なこと、気持ち良いことしか書き込まず、さらには無意識に
事実を創作してしまうか削除してしまう動物です。
嘘を書きたいのなら小説にすればよい。・・・でも、プロの作
家のように、最初からフィクションを書こうとしてはダメ・・・
あなたの人生をあなたが書くからこそ意味があり、そこには
できるだけ嘘がないほうがいいのです。
また、自分では気づかずに、自分のイメージを固定してし
まっているので、それが本当の自分の姿から微妙にずれ
ている人もよくいます。・・・あなたは今のあなたの姿を正し
く認識して、無理な辻褄合わせをしてはいけない。
(ホラ話は封印するとしても)自分なりに多少の演出をしても
許されると考えられる。「そのまんま」は書きたくない場合、
どんなに酷い別れ方をしたとしても、「そうせざるを得なかっ
た彼女の気持ちもわかるし、俺にも反省点がある」的な書き
方になるのではないでしょうか。
過去を美化する(男に多い)のも、なかったことにして忘れる
(女に多い)のも、人間の生命力のなせる業だから恥ずかし
いことではない。
~誰かの体験を自分の体験にしてはダメ
「パクリ」をやったらおしまい・・・昔のことを書こうとする時、
定かではない記憶を補完するために、検索をかけると、
パクルつもりはなかったけえども、情報を読んでいるうちに
自分の体験であるかのように感じて、つしつい書き写して
しまう。これは、致命的なミス。くれぐれも気を付けてくださ
い。
同時に、ブログにせよ活字になったものにせよ、自分が興味
を持って書いたテーマを他の人も同様に興味を感じて書いて
いるケースがあることも承知しておきましょう。
~⑤いい脇役を置き、脇役に照射して書く
~①自慢話を書きすぎない
自分史に共通するのは、やたらに長いということ。ですから、
先ず、「自慢話を禁ずる」ことを徹底的に自らに課すこと。
自分史の難しさは、苦労話はどうしても自慢めいて聞こえて
しまうことだ。だから、上手く行ったことや誇らしく思っている
ことばかりを書かずに、苦労したこと、辛かったこと、悲しかっ
たこと、イヤだったことも書き込んでバランスを心掛ける。
例えば、闘病記は、書くことで魂の救済になります。ある厳し
い状況と闘って、遂に打ち勝つプロセスは仔細に記すべき
でしょう。でも、その結果収めた成功とその後については、事
実をさらっと書くに留めましょう。そこで筆をすべらせると、折角
の苦労話が台無しになります。
成功した話ばかりか、苦労話も失敗談も身に降りかかった不
幸も、度を超すと自慢になるということ。自慢という我が身の
アピールです。だからこそ、淡々と事実に語らせることが大切
なのです。謙虚に控えめに書くことを肝に銘じてください。
~②自分史を復讐のツールにしない
誰もが背負っている「念」(残念;執念;怨念など)を、自分史
に盛り込むことは、決して悪いことではない。誰もが持ってい
るものですから、プレゼンテーションの仕方によっては共感し
てもらえる可能性も高く、スパイス的な役目を果たすことで
しょう。けれども、くれぐれも醜く書かないように、サラサラと
爽やかに書くことを心掛けてください。
~③事実を淡々と書く
闘病記に共通する弱点は、自己憐憫になりがちなこと。・・・
その感情を突き放し、病気に苦しむ自分の心を冷静に観察し、
病状をきちんと描写しているような事実が淡々と書かれてい
るものが読者に感動を呼び起こすのです。どうか事実に語ら
せることを心掛けてください。
闘病体験に限らず、辛い体験をされた方、悲しみの渦中に
おられる方、何かと闘っている方には、是非とも自分史を書く
ことをお薦めしたいと思う。書くことで苦しみから逃れること
は難しくても、書くことが闘う力になるかもしれない。そんな希
望を持って書いていただきたいと思う。
「事実を淡々と書く」ことで、少しでも自分の感情から離れる
・・・自己愛や偏見、差別意識が強い人の文章はどうしても
表現が過激になったり情緒過多になりがち。自分に酔ってし
まうと、対象との距離感を保つことが至難の業となってしまう
のです。
あふれそうな感情を抑えに抑えて、最後まで自分史を書き
通せば、自分を客観視する眼差しを身に着けられ、それは
必ずやその後の人生に役立ちます。冷徹な眼他人にでは
なく、自分に向けてこそ意味があるのです。
~④できるだけ本当のことを書く
いざ書き出すと、その途中で、殆どの人が「不作為の作為」
に引っかかる。あなたの筆は、イヤな思い出をすべてスルー
してしまう。・・・そして、大好きな人たちのことは、いささか美
化して書いてしまうかもしれない。・・・人間は自分にとって大
切なこと、気持ち良いことしか書き込まず、さらには無意識に
事実を創作してしまうか削除してしまう動物です。
嘘を書きたいのなら小説にすればよい。・・・でも、プロの作
家のように、最初からフィクションを書こうとしてはダメ・・・
あなたの人生をあなたが書くからこそ意味があり、そこには
できるだけ嘘がないほうがいいのです。
また、自分では気づかずに、自分のイメージを固定してし
まっているので、それが本当の自分の姿から微妙にずれ
ている人もよくいます。・・・あなたは今のあなたの姿を正し
く認識して、無理な辻褄合わせをしてはいけない。
(ホラ話は封印するとしても)自分なりに多少の演出をしても
許されると考えられる。「そのまんま」は書きたくない場合、
どんなに酷い別れ方をしたとしても、「そうせざるを得なかっ
た彼女の気持ちもわかるし、俺にも反省点がある」的な書き
方になるのではないでしょうか。
過去を美化する(男に多い)のも、なかったことにして忘れる
(女に多い)のも、人間の生命力のなせる業だから恥ずかし
いことではない。
~誰かの体験を自分の体験にしてはダメ
「パクリ」をやったらおしまい・・・昔のことを書こうとする時、
定かではない記憶を補完するために、検索をかけると、
パクルつもりはなかったけえども、情報を読んでいるうちに
自分の体験であるかのように感じて、つしつい書き写して
しまう。これは、致命的なミス。くれぐれも気を付けてくださ
い。
同時に、ブログにせよ活字になったものにせよ、自分が興味
を持って書いたテーマを他の人も同様に興味を感じて書いて
いるケースがあることも承知しておきましょう。
~⑤いい脇役を置き、脇役に照射して書く
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