「健康マニアにつけるクスリ」(新見正則)2020/01/01 13:43

  from 『Voice 2019年8月号』

>「睡眠負債」で試される自らのメディア・リテラシー

 「睡眠負債」という流行語も、商売ありきのメディア戦略の
 一環で、それは不安を煽って、大きく儲ける資本主義社会
 の仕組みを利用しているものである。
 あらゆる健康法は、資本主義社会の中で動いている以上、
 より多くのお金が回る方向へ動いていくものだ。
 このようなブームをどう見るかといえば、不安煽る作戦に
 乗るか、乗らないのか、というだけのこと。つまりは、メディ
 ア・リテラシーがなければ、メディアが流す「〇〇は健康に
 良い」という情報に乗せられるだけのこと。

>メディアの実態は、

 煙草の害は喧伝されても、砂糖入り清涼飲料水の害は
 主要メディアで大きく取り上げられてはいない。体内に
 蓄積されるアルコールの害も同様。
 
 健康情報が資本主義の論理で歪められてしまうのは、
 世界中の資本主義社会の国共通(中国も国家資本主義
 なので例外ではない)。

 長生きしなくても元気で死ねればいいじゃないかという
 社会がこの世にあれば、余計な健康情報も薬も必要ない。
 病気になったら自然治癒か死ぬのを待つのかどちらかに
 なる。

>レジリエンスが重要

 現代のストレス社会で大切なことは、それに対処する力は
 少しずつ鍛えて行き、強くなるということ。
 例えば、空腹でも、最初は堪えても段々我慢していれば、
 一食抜いても平気になる。極論すれば、二食抜いても・・・
 
 酒を飲んだり、煙草を吸って気を紛らわすのもok。身体に
 悪いことは何でも楽しくて、それはストレス解消となる。
 要は、酒や煙草でストレスが減るならば、その人にとって
 トータルで見て、リスクよりリターンのほうが大きいかもし
 れない。

>人生の目的は「幸せに生きる」こと、「死ぬまで元気でい
  る」こと

 「長生き=善」を後押ししているのが日本の医療システム
 で、これを見直す時期に来ているのではないか。その理由
 は、次の二点。

 (イ)生きている間は幸せに生き、最期はそれぞれの考え
    る幸せな死を迎えるという多様性の観点
 (ロ)超高齢化による医療費の増加と国力の低下によって、
    現行の医療介護システムを維持できなくなっている

 個人が望むなら、延命治療しないといった多様な選択肢が
 望ましい。もっと議論が必要でしょう。
 母は、点滴も胃瘻もしませんでした。一口しか食べなくても
 三ヶ月ほど生き、最期はだいぶ軽くなって、菩薩さんのよう
 な顔で旅立ちました。

「健康神話」を棄てよ(塩野七生vs.新見正則)2020/01/02 14:38

from 『文藝春秋 2020年1月号』

(新)やはり、気力が充実している方が病気になり難い。
   あまり面倒なことを考えずに、元気になれることをすれば
   いい。
(塩)自分が健康かそうでないかは、どういう基準で判断すれ
   ばよいのでしょう。
(新)直感でいいと思います。美味しく食べられて、眠れて、お
   通じが出て、「今日も健康だ」と思えれば、それで健康な
   んです。・・・データや数値ではなく、あくまで自分の感覚を
   信じたほうが良い。
(塩)健康診断とか人間ドックはやはり受けるべき?
(新)受けなくていいと思います。病院は調子が悪い時に行け
   ばいいだけの話です。調子が良い時は行かないほうが
   いい。余計な検査や治療をされるから。
   ある意味、病院も産業なので、顧客になってしまうといい
   ことない。必要でない薬を飲まされている人がたくさんい
   ます。ですから、医者に「絶対必要」「ちょっと必要」「必要
   でない」と分けてもらい、「絶対」以外は飲まなければいい。
   
(新)僕は結構、死の話もします。「あなたのいろんな訴えも、
   死んだら治るよ」と。・・・
   母は、「食べられなくなったらお迎えだ」という話を以前
   からしていたんです。ただ、何も食べなくなっても三ヶ月
   ほど生きました。とても嬉しかったのは、母が細くなって、
   臭いもなく、最期は菩薩さんのような顔で旅立ったこと
   です。点滴をすると臭いがするんです。重くなって、床ず
   れもできる。そういうのが一切なく、本当に綺麗に亡く
   なりました。・・・
   (癌などを患っている人には)「遺言状を書いたら」と勧め
  ています。そうすることで、自分の死と向き合えますし、
  他人に言いたいことも言える。
  治療について悩んだ場合に簡単なことは、医者に「あなた
  なら、どうしますか?」と尋ねることです。
  母と同じような人がいれば、「自分だったら、自分のはは
  だったら、点滴も胃瘻もしません」と言います。ところが、
  患者さんの家族の多くは、「何でもしてくれ」といってしま
  うんですね。すると、不幸なことになります。意識もないの
  に長生きして、ブクブクになってしまう。
(塩)なんだかストア派の哲学者の死みたいですね。ダメだ
  と自覚したとき、食を絶って死ぬ方を選びました。
(新)自分で死を迎えたんですね。するとボケることもありま
  せん。・・・
  今の日本では「迷惑をかけてはいけない」という風潮が強
  すぎます。迷惑をかけるのは「お互い様」と思って許してあ
  げればいい。煙草も僕は嫌いだけど、あの人は吸いたい
  のだろうと。僕もあの人に迷惑をかけているから許してあげ
  ようといった気持ちがなくなっている。悪いと分かっている
  ものをイジメ過ぎ。皆の心が何だかギスギスしている気が
  します。・・・リスクがあっても、ワクワク、ドキドキがなけれ
  ば、面白くないのに。ギスギスが一番健康に悪いんです。

口伝、あるいは人間の劣化(#1)2020/01/03 16:23

> from 『旧約聖書物語』犬養道子

 口伝という非常に重要な「記録方法」があった。

 古代史においては、どこの土地でも、一言半句の間違いなく、師
匠から弟子へと、歴史や信条や教訓は教えこまれ伝えられたので
ある。消え去り得る、紛失し得る文字よりは、口伝のほうがある意
味でずっと確かであったのである。

 口伝記録は、記録作成中も、また記録が完成した後も、当然の
こととして筆者によって読者によって声を出して語られ歌われた。
したがって、「読み」「学ぶ」とはイコール「声を出して暗誦・頌歌す
ることだ」った。
 
 この風習はイエス時代の後まで続く。さればこそ、イエス後の使
徒時代、「エルサレムとガザをつなぐ道」におりて行った助祭フィ
リポが「かなたを行く王廷風の馬車」を追いつつ、馬車に乗る人
がイザヤ預言書に「読みふけっている」のを「聞いた」(使徒行人
8章)のである。

 筆者は、口伝と言う文化形態をまだ詳しく知らなかった女学生
時代、この箇所を読んで大変不思議に思ったのを憶えている。
・・・ずっと後になって中東地方を旅し、聖書ではないがコーラン
が、朗々と暗誦されてモスクの外を行く者にも逐一聞こえてきた
時、初めてハタと実感してわかったのであった。

口伝、あるいは人間の劣化(#2)2020/01/04 16:29

> from 「二十世紀末の闇と光」井筒俊彦vs司馬遼太郎
      (1992年晩秋) in 『中央公論』

(井)若い頃私の前に二人の韃靼人が現れまして、その二人との
運命的な出会いがあったために私はアラビア語をやり、イスラム
をやって、おまけに学問というものはどういうものか、学問はかく
あるべきだ、というようなことを学んだ。

 一人は、アブド・ラシード・イブラービームという、もう百歳近い
お爺さんでした。・・・「アラビア語をアラビア語としてだけ学ぶなん
てことは馬鹿げている。イスラム抜きにアラビア語をやることは愚
劣だ。アラビア語をやるならイスラムも一緒に勉強しなければ駄
目だ」と。・・・

(馬)話すことはイスラムで、イスラムの古典が全部頭の中に入っ
ていて、本なんか持っていなかったそうですね。

(井)本なんかもちろん必要ない。

(馬)頭の中の本というのは全部、逐一暗誦された言葉なんです
ね。

(井)イブラーヒームの場合は、『コーラン』とか基礎的なものを暗
記しているわけで、何から何まで知っているわけじゃなく、全部頭
に入っているというのは第二番目のタタール人の場合です。・・・

 あるときイブラーヒームが、「わたしはもう、教えることはみんな
教えた。これ以上、おまえに教えることはない。だけど、もうじきわ
しなどとは比較にならないすごい学者が日本に来る。おまえに紹
介するから、そこへ行って習うがいい」と言うんです。

 その先生というのがタタール世界で随一の学者だった。実に面
白い人で、諸国漫遊というか、一所不在で、世界中を回って歩く。
後に、「何のための世界旅行ですか?」と聞いてみましたら、「神
の不思議な創造の業を見るためだ。それが本当の意味でのイス
ラム的信仰の体験知というものだ。本なんか読むのは第二次的
で、先ず生きた自然、人間を見て、神がいかに偉大なものを創造
し給うたかを想像すると言うんです。

 その人はムーサー・ジャールッラーハという方ですが、・・・弟子
入りしてみたものの習うといっても本もないし、どうするのかと思っ
たら、「イスラムでやる学問の本なら何でも頭に入っているから、
その場でディクテーションで教えてやる」と言うんです。

 約1000頁ぐらいの「シーバワイヒの書」(アラビア文法学の聖書、
8世紀)を習いたいと言ったら、ムーサー先生はその本を端から端
まで暗記している。その上に、その注釈本を暗記して、更に自分
の意見がある。それで、アラビア文法学を教わった。その他にも
いろいろなものを先生から教わりましたが、なにしろ本は使わな
い。全部頭の中に入っている。まあ、それはあっちのほうの学問
の習慣でもある。

(馬)古代からの習慣ですね。

(井)「これ、人間わざか」と思うほど凄い。ある時、「おまえ、ずい
ぶん本を持っているな。この本、どうするんだ」「もちろん、これで
勉強する」「火事になったらどうする?」「火事で全部焼けちゃった
らお手上げで、自分はしばらく勉強できない」と言ったら、それこそ
呵々大笑するんです。「なんという情けない。火事になったら勉強
できないような学者なのか」と。
・・・「・・・何かを本格的に勉強したいんなら、その学問の基礎テク
ストを全部頭に入れて、その上で自分の意見を縦横に働かせる
ようでないと学者じゃない」と言うんです。我々みたいに、ただ本を
読むだけでやっとみたいなのは、学者でもなんでもない。・・・

 「コーラン』と、ハディース(マホメット言行録)と、神学、哲学、法
学、詩学、韻律学、文法学はもちろん、ほとんど主なテクストは、
全部頭に暗記してある。だいたい1000頁以上の本が、全部頭に
入ってしまっている。

民主主義の土台を崩す高等教育2020/01/05 15:43

from 「私たちはどこに行くのか」(E. トッド) 
     in 『世界の未来』

フランスは共和主義的エリートの国。試験による選抜制度が
確立し、権力の座に付く人たちは、グランド・ぜコールで学ん
でいる。しかし、その最高峰と見られるENA(国立行政院)を
出た人たちがたいへん知的だというわけでもない。

そんな人たちが指導しているフランスが、経済的にも政治的
にも失敗し、より強い隣国に従属する状態にある。あのENA
を卒業し、高等教育システムが生み出す人たちの中でも更に
その上澄み部分にいるような人たちに統治されているにも
拘わらずにだ。むしろ、企業や組織の中間管理職や現場監
督や病院での看護職といった人たちの方が、マクロン大統
領よりもっと知的だと言えると思う。

もう一つ議論すべきことは、高等教育というのは、体制順応
のための制度として優れていること。何かが上手く行かなく
て、この高等教育というものが役に立たなくなっている。・・・
ひょっとしたら、このシステムは知的レベルの高い人の中で
一番創造性のない人物を選抜するための仕組みではない
かとさえ考えてしまう。

マクロン大統領は、知識人にバカにされるのではなく、自分
の方から知識人をバカにしているようだ。これまで大統領は
自分が知識人より優れているとは言わなかったものだ。
たとえば、私がシラク氏やサルコジ氏、オランド氏を愚かだ、
などと言ったとしても問題はなかった。実際は、シラク氏に
しても頭は良かった。回転は速かったし、緻密だった。サル
コジ氏も巧みだった。
マクロン氏については、あまりオリジナリティーがあるとは
言えないと思うし、彼の口から新しい考え方を聞いたことは
ない。私がそのように言うと、聞いていたジャーナリスト達
は、私がとんでもなく忌まわしいことを言ったかのように私
を見る。彼らの頭の中では、マクロン氏はおそろしく知的で
あるらしい。まるで、かつてスターリンのことをおそろしく知
的だと思い込んでいた共産党員のように。
マクロン氏は知識人ではない。ただの優等生。体制順応で、
しかも点取り虫。




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孤独と正対することで人間は成長する2020/01/06 08:49

  from 『縁の切り方』(中川淳一郎)

>隠居後に、南米でひたすらサッカーW杯の予選を撮影し、
 映像を編集し、日本のTV局に売って生計を立てている日
 本人がいると聞いた。TV局としては南米予選の映像は欲
 しいものの、わざわざカメラ・クルーを派遣するほどでもな
 い。海外メディアが撮影した映像を買えばけっこうなカネを
 要求される。それをリーズナブルな価格で売ってくれる日
 本人がいれば、都合が良い。予選時期以外に彼が何をし
 ているのかは知らないが、この生き方は羨ましい。

 隠居をするにしても、多少のお金は稼ぐ必要がある・・・
 家はこのまま借家暮らしを続ける・・・家賃は・・・

>人間は孤独を経験することによって成長できる。例えば
 海外生活だ。言葉も通じない人々、文化も体臭も作法も
 食べるものも異なる人々の中で孤独を味わう・・・

 全く使い物にならない社員で会社への貢献ポイント皆無
 の自分でも、社会との接点がないと、明らかに人間関係
 を渇望するようになる。お前一人で何ができるんだ?
 「俺には何もできません」と答えるしかない。
 社会との接点がなくなると、様々なことへの感謝が生ま
 れる。よし、そろそろ社会に復帰するか。そういう決意
 が生まれ始める。なんのスキルもない無能なオッサン
 になることを心配し始めた。

 この時に気がついたことは、「人は一瞬の思いつきでモノ
 を言う」ことと、「自分が重く受け止めたものに、他人はそ
 こまで思い入れをしない」ということだ。・・・どんなにワク
 ワクするような話がいくら来ても、それほど期待はしなく
 なった・・・様々なことへの期待値を下げる性格になってい
 く。人が傷ついたり、過度に怒るのは、期待値が高かった
 からである。

>人は出会いによって成長をし、出会いによって人生が
 次々と切り拓かれる。しかし、あなたから搾取しようと
 したり、利用すべく寄って来る蛇蝎の如き存在もいる。
 
 フェイスブックで「イイね」がたくさんつくのが幸せなのか?
 毎週末、多くの友人とBBQやパーティーをやっている状
 態が幸せなのか?家に帰れば家族の笑顔を見られるの
 が幸せなのか?
 幸せの形は無数に存在するが、これらの中でどれが自分
 にとって最も幸せなのかは、常に考えておいたほうが良い。

 一人の人間に対峙した時・・・常にその人のことを尊重し
 た上で、自分の幸せに寄与する人物か、或いは毀損する
 人かを見極める必要がある。
 日々の一つ一つの出会いが幸不幸に直結しているだけ
 に、今こそ「絆」と「孤独」の真の意を考え、必要とあらば
 縁を切る覚悟を持つべきである。自分の幸せは、「世界
 70億人の幸せ」や「日本人1億3千万人の幸せ」よりも圧
 倒的に重要なのだ。

シェークスピア劇をまとめると、2020/01/07 07:24


Comedy ends with a marriage,

Tragedy starts from the marriage.

       
         (作者不詳)

「ヒトは再び遊動生活をはじめる」(山極壽一)2020/01/23 19:22

from 『文藝春秋 2020年2月号』

>IT社会がもっと進むと、人はもっと身軽で気軽な社会を求める
  ようになって行く。ITやAIは人の生活を縛る方向のみに働くも
  のではない。逆に遊動生活を可能にする有力なツールになり
  得る。

 これまではモノを所有することで暮らしが成り立って来た。ある
 いはモノがビジネスを支える中心だった。所有するモノで人の
 価値が決まっていた。モノがステータスの象徴にもなっていた。
 
>若い人を中心に、必要なものはシェアリングして身軽になるこ
 とが大事になって来ている。・・・モノを所有しない生活は合理
 的で、モノを置いておくスペースも必要なければ、捨てる手間
 も省ける。
 大昔は人間も、モノを持たずに生活していました。・・・所有が
 価値を持つようになったのは、定住生活を始めてからのこと
 だ。

>ネット社会では、「人間のデータ化」が始まっていて、人間が
 情報としてしか扱われない場面が増えている。そうなると人
 はいろいろな形で一括りにされ、「類」に分類されてしまう。

 モノが価値を決めない時に、何が人の価値を決めるのか。

 人は、どんなに情報化が進んでも、他の人とは別の生き方を
 しなければ満足できないものだ。モノから行為に価値の重点
 が移った時、何がおきるのか?
 おそらく「モノが動く時代」が終わり、「人が動く時代」がやって
 来ると予想される。・・・もはや一か所で大量生産を効率的に
 行うことは必要がないわけだから、再び土地に縛られない生
 き方ができるようになるでしょう。

>現代の若者にとって、ネットの中で複数の自分を持つことは
 最早あたりまえのこと。違う自分になることで、色々なネット
 ワークに参加することができる。アバターになってしまえば、
 性別や年齢も楽に超えられる。複数のパーソナリティやキャ
 ラクターを使い分けることは可能だ。
 ネット社会はすっと参加できるし、すっと抜けることができる。
 組織が持続的ではなく一時的なものであって、好みに応じて
 いろいろ参加できる。

 遊動生活の魅力は、今までとは違う自分を発見することで
 もある。・・・ハラリ(イスラエルの歴史学者)とは逆に、人々
 はもっと自由になって複数の人生を楽しめるようになると予
 想する。