ムスカリ2020/04/08 10:58


ツツジもハヤッ!2020/04/12 12:25


『ペスト』(カミュ)#12020/04/13 09:39

>4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは診察室から出かけよう
 として、階段の真ん中で一匹の死んだ鼠に躓いた。・・・門番に注
 意したら、ミッシェル老人の反発にぶつかって、自分の発見に異
 様なもののあることがハッキリと感じられた。

 4月28日には報知通信者は約8千匹の鼠が拾集されたことを報じ、
 市中の不安は頂点に達した。

 ミッシェル老人は一人の司祭の腕に掴まっていた。その司祭は
 パヌルー神父という博学かつ戦闘的なイエズス会士で、宗教上
 のことに無関心な人の間にさえなかなか尊敬されていた。

>リウーが病人のもとに行ってみると、片手を腹に、もう一方の手
 を首のまわりに当て、ひどくしゃくりあげながら、薔薇色がかった
 液汁を汚物溜めの中に吐いていた。しばらく苦しみ続けたあげく、
 喘ぎ喘ぎ、門番はまた床に就いた。熱は39度5分で、頸部のリン
 パ腺と四肢が膿脹し、脇腹に黒っぽい斑点が二つ広がりかけて
 いた。・・・その晩、門番は譫言を言い始め、40度の熱を出しなが
 ら、鼠のことを口走った。リンパ腺はさらに大きくなり、触ってみる
 と堅く木のようになっていた。・・・「どうもこいつは隔離して、まっ
 たく特別な手当をやってみる必要があるな。病院に電話をかけ
 るから、救急車で連れて行こう」

 2時間の後、救急車の中で、医師と女房とは病人の顔を覗き込
 んでいた。いちめん菌状のぶつぶつで覆われた口から、きれぎ
 れの言葉が洩れていた。「鼠の奴!」と。土気色になり、唇は
 蝋のように、瞼は鉛色に、息はきれぎれに短く、リンパ腺に肉を
 引き裂かれ、寝床の奥に縮こまってまるでその寝床を体の上へ
 折り畳もうとするかのように、もしくはまた、地の底から来る何も
 のかに一瞬の休みもなく呼び立てられているかのように、門番
 は目に見えぬ重圧のもとに喘いでいた。女房は泣いていた。
 「死んでしまった」と、医師は言った。

>門番の死は、人を戸惑いさせるような数々の兆候に満ちた一
 時期の終了と、それに比較して更に困難な一時期(初めの頃の
 驚きが次第に恐慌に変わって行った時期)の発端とを画したも
 のであったということができる。つまり、この瞬間から、恐慌とそ
 れと共に反省とが始まった。

『ペスト』#22020/04/14 17:58

>ジャン・タルーが取った最初のノートは、彼のオラン到着の日か
 ら始まっている。それは最初の書き出しから、町自体がこんなに
 も醜い町に来たことについての奇体な満足感を示している。・・・
 「今日、向かいの小柄な老人は困惑の体である。もう猫がいない
 のである。彼らは姿を隠してしまった」

 鼠が船から逃げ出して行く時に予想される不幸が、どんな不幸
 なのかは予見できなくとも予想することはできる。・・・この時期か
 ら、タルーの手帳は、公衆の間に既に不安を呼び起こしていた
 その正体不明の熱病について、やや詳細に硬い始めるのである。

>リウーは彼の懸念が往診の度毎に増大するのを感じた。・・・
 多くの場合、患者は凄まじい悪臭の中で死んでいくのであった。

 県庁と市庁は不審を抱き始めていた。医者たちがめいめい、
 2、3件以上の症例を知らないでいた間は、誰も動き出そうと考え
 るものはなかった。しかし、要するに、誰かが合計を出すことを思
 いつきさえすればよかったのである。合計は驚倒すべきもので
 あった。わずか数日の間に、死亡例は累増し、紛れもない流行病
 であることは明白となった。

 「どうもこれはペストのようですね」
 「ご承知かな、それに対してどう言われるか。それは気候の温
 和な国々からはもう何年も前に消滅してしまった」と、老医は
 言った。
 「消滅っていうのはどういうことを指すつもりですかね」と、リウー
 は答えた。
 「そうさ、忘れちゃいかんよ、パリでも未だ、やっと20年前にだ」

 天災というものは事実、ザラにあることであるが、しかし、そい
 つがこっちの頭上に降りかかってきた時は、容易に天災とは信
 じられない。この世には戦争と同じくらいの数のペストがあった。
 しかも、ペストや戦争がやってきた時、人々はいつも同じくらい
 無用意な状態にあった。

 愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう
 自分のことばかり考えていなければ、そのことに気づく筈であ
 る。・・・皆、自分のことばかり考えていたわけで、別の言い方を
 すれば、ヒューマニスト(人間中心主義者)であった。つまり、
 天災などというものを信じなかったのである。天災というものは
 人間の尺度とは一致しないから、天災は非現実的なもの、やが
 て過ぎ去る悪夢だと考えられる。
 ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人
 間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者
 たちが先ず第一にということになるのは、彼らは自分で用心と
 いうものをしなかったからである。
謙譲な心構えを忘れていたというだけのことであって、自分たち
 にとって、すべてはまた可能であると考えていたわけであるが、
 それはつまり天災は起こり得ないとみなすことであった。彼らは
 取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を抱いたりし
 ていた。ペストという未来も、移動も、議論も封じてしまうものな
 ど、どうして考えられたであろうか。彼らは自由であると信じて
 いたし、しかも、天災というものがある限り、何びとも決して自由
 ではあり得ないのである。

 ペストを認めたその後でも、医師リウーにとって、危険は依然、
 非現実的なものであった。一向に変わっていない市の様子を窓
 から眺めながら、彼はかの不安と称せられる、未来に対するほ
 のかな胸苦しさが身中に湧いてくるのさえ、殆ど感じるか感じな
 いくらいであった。

 、

『ペスト』#32020/04/15 16:41

>歴史に残された約30回の大きなペストは、1億近い死亡者を出し
 ていると、リウーは胸に呟いた。しかし、一億の死亡者とは一体
 何だろう。死んだ人間というもの、その死んだところを見ない限り、
 一向に重みのないものである。広く史上にばらまかれた一億の
 死体など、想像の中では一抹の煙にすぎない。

 結局は幸福に暮らしているこの市。そして、かく天下太平な、
 かくも無関心な平穏というものは、かの災禍の古めかしい幻を、
 殆ど苦もなく否定しさっていた。
 ペストに荒らされ、鳥一羽住まなくなったアテナイ。
 声もなく断末魔に喘いでいる人々の充満したシナの町々。
 汁の滴る死体を穴の中に積み上げているマルセイユの徒刑囚
 たち。・・・コンスタンチノープルの病院の、土間に密着して、湿気
 で腐りかかっている寝床の群れ。・・・ミラノの墓場における、未だ
 生きている者同士の交合。怯えきったロンドン市中における、死
 体運搬車の群れ。・・・これらのすべてのことも、未だこの一日の
 平和を抹殺するに足るほど強烈ではなかった。

 ペストはそこで止まってしまうかもしれないではないか。なすべき
 ことは、確認さるべきものを明確に確認し、無用の亡霊をついに
 追い払い、適切な処置を講ずることである。そのうえで、ペストが
 止むとすれば、それはペストなど考えられなかったか、もしくは
 誤って考えられたからである。
 もしペストがやんだら、しかもこれはもっともありそうなことだが、
 万事うまく運ぶわけだ。それと反対の場合には、ペストというも
 のがどんなものなのか、そして先ずそれに対処し、次いでそれ
 に打ち勝つための方法がないかどうか、分かるわけだ。

 リウーは窓を開けると、市の騒音がどっと漲った。・・・そこに、
 毎日の仕事の中にこそ、確実なものがある。・・・肝要なことは
 自分の職務をよく果たすことだ。

『ペスト』#42020/04/16 17:58

>リウーがしきりに主張した結果、それもまるで見当違いな主張
 のようにみなされはしたものの、県庁に保健委員会を召集して
 もらうことができた。知事は「まあ、早いこと済ますとしましょう。
 但、目立たないようにね。君は知ってるかい、県には血清がな
 いんだよ」と言った。「この病を終息させるためには、もしそれが
 自然に終息しないとしたら、はっきり法律によって規定された重
 大な予防措置を適用しなければならぬ。従って慎重考慮を要す
 る」。
 「問題は、法律によって規定される措置が重大かどうかという
 ことじゃない。それが市民の半数が死滅させられることを防ぐ
 ために必要かどうかとうことです。あとのことは行政上の問題
 ですし、しかも現在の制度では、こういう問題を処理するため
 に、ちゃんと知事というものが置かれているんです」。

>例の「特別に設備された病室」に至っては、リウーはその実状
 を知っていた。二つの分館病棟から大急ぎで他の患者たちを
 移転させ、その窓を密閉し、その周囲に伝染病隔離の遮断線
 を設けたものである。流行病の方で自然に終息するようなこと
 がない限り、施政当局が考えているぐらいの措置では、到底そ
 れに打ち勝つことはできないであろう。

>三日の間に、事実、二つの分館は満員になった。当局はある
 学校を接収して、予備の病院を準備しようとしているらしい・・・
 知事はご当人の言い草によれば、自らの責任において、直ち
 に明日から所定の措置を更に強化することにした。申告の義
 務と隔離とは続行される。患者の出た家は閉鎖され、消毒さ
 れねばならず、近親者は一定期間の予防隔離に服し、埋蔵
 は市によって営まれる。

>知事により「ペスト」が宣告され、市の門が閉鎖されてしま
 うと、自分たち全部がすべて同じ袋の鼠であり、その中でな
 んとかやっていかねばならぬことに、一同が気がついた。
 恐怖心とともに、この長い追放の期間が主要な苦痛となった。

 市門の閉鎖のもっとも顕著な結果の一つは、事実、そんな
 つもりのまったくなかった人々が突如別離の状態に置かれた
 ことであった。・・・数日後、あるいは数週間後に再開できるも
 のと確信し、人間的な愚かしい信頼感に浸りきって、この別離
 のため、ふだんの仕事から心を逸らすことさえ殆どなかった
 人々が、一挙にして救う術なく引き離され、相見ることも、また
 文通することもできなくなった。
 この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町
 の市民にあたかも個人的な感情など持たぬ者のように振る舞
 うことを余儀なくさせた。

『ペスト』#52020/04/17 16:57

>数日後に、何びともこの町から出られる望みはないことが明ら
 かになった時、人々は、病疫の始まる前に出て行った人たちの
 帰還は許されるかどうかということを、尋ねてみる気になったも
 のであった。数日の考慮の後、県庁は肯定をもって答えた。そ
 れに説明を加えて、復帰者はいかなる場合にも再び町から出る
 事はできないということを明確にした。
 それでも未だ、若干の家庭は事態を軽率に判断し、身内の者に
 再会したいという当面の欲求をあらゆる用心よりも先に立てて、
 相手にこの機会を利用することを勧めたのであった。

 しかし、極めて速やかに、ペストの虜となっていた人々は、それ
 によって近親者を危険に曝すことを理解し、あきらめてこの別離
 を忍ぼうとした。・・・別離は、もう明白に疫病の終わるまで終わ
 らないわけであった。そして、我々すべての者にとって、我々の
 生活をなしていた感情、しかも我々が十分知り尽くしていると思っ
 ていた感情が、一つの新たな相貌を呈してきた。

 妻や恋人に最大の信頼を抱いていた夫や愛人たちが、自ら嫉
 妬深い男であることを発見した。愛情に軽薄であると自認して
 いた男どもが、変わらぬ誠実さを取り戻した。母親のそばで暮
 らしながら、ろくにその顔を眺めようともしなかった息子たちが、
 絶えず思い出につきまとう彼女の顔の皺の一筋に、あらゆる
 不安と心惜しみを注ぐようになった。

 この出し抜けの、繋ぎ目のない将来の予想もつかぬ別離に
 我々はただうろたえさせられ、今なお極めて近くしかも既に
 極めて遠いその面影の思い出に抗する術も知らぬ状態で、
 今やその思い出が我々の日々を占領していたのである。
 事実上、我々は二重の苦しみをしていた。
 第一に我々自身の苦しみと、それから、息子、妻、恋人など、
 そこにいない者の身の上に想像される苦しみと。
 同時にまた、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々巡
 りするより仕方なくさせ、そして来る日も来る日も空しい追憶
 の遊戯にふけらさせたのである。・・・ペストが我が市民にも
 たらした最初のものは、つまり追放の状態であった。

『ペスト』#62020/04/18 16:23

>まさに、この追放感こそ、我々の心に常住宿されていたあの
 空虚であり、あの明確な感情の動き、即ち過去に遡り、あるい
 は逆に時間の歩みを早めようとする不条理な願いであり、あの
 突き刺すような追憶の矢であった。

 我々は、我々の別離が続く運命にあり、時間というものに対し
 て上手く折り合いをつけるよう努めねばならぬことを知る。・・・
 結局のところ、この病疫が6ァ月以上は続かないという何の理
 由もないし、ひょっとすると1年、あるいはもっとかかるかもしれ
 ないという考えを、彼らに抱かせるのである。
 そうなった時、彼らの勇気、意志、そして忍耐の崩壊は実に急
 激で、もう永久にその穴底から這い上がれないだろうと感じら
 れるほどであった。彼らはしたがって強いて心を抑えて、自分
 たちの解放の期限を決して考えまいとし、未来のほうへは振
 り向くまいとし、そして常に、いわば目を伏せたままでいようと
 した。しかし、当然、この用心深さ、苦痛を誤魔化そうとして、
 戦闘を拒否するために自ら警戒を解こうとするこのやり方か
 らは、思わしい結果は得られなかった。彼らは如何なること
 があろうとも生じさせたくないその崩壊を避けると同時に、ま
 だ事実上、来たるべき会合のイメージのうちにペストを忘れ
 得るという、結局のところかなり頻繁な瞬間を、自ら奪われる
 ことになったのである。そしてそのために、その深淵と山頂
 のちょうど中間に船を乗り上げて、彼らは生きているというよ
 りもむしろ漂流しつつ、方向もない日々と、得るところのない
 思い出のままに、自らの苦痛の大地に根をおろすことをう
 べなった暁にのみ生気を生じうるのであろうところの、彷徨
 える亡霊と成り果てたのであった。

 彼らはこのようにして、何の役にも立たぬ記憶を抱いて生活
 するという、現在に焦燥し、過去に恨みを抱き、しかも未来を
 奪い去られた。

『ペスト』#72020/04/19 16:28


>一般のこの見捨てられた状態は、長い間には結局人の性格を
 鍛え上げるべき性質のものであったが、しかし最初は先ず人を
 つまらぬことに動かされる浮薄な人間にした。・・・

 自分の感情上の何かのことを打ち明け、或いは話そうと試みた
 としても、相手のそれに対する返事は、どんな返事であろうと、
 たいていの場合、彼の心を傷つけるのであった。彼はそこで、
 その話し相手と自分とは、同じことを話していなかったことに気
 がつくのである。彼のほうは、実際、長い反芻と苦悩の日々の
 奥底から語っているのであり、相手に伝えたいと思うイメージは、
 期待と情熱の火で長い間煮詰められたものである。
 これに反して相手のほうは、ありきたりの感動や市販の商品み
 たいな悲しみや、十把一絡げの憂鬱などを心に描いているの
 である。好意的であろうと、反発的であろうと、その返事はいつ
 も的を外れていて、結局諦めるより仕方がなかった。最も真実
 な悲しみが、会話の陳腐な語法に翻訳されてしまうことが通例
 となったのである。

チューリップ2020/04/21 12:50