『ペスト』#152020/05/02 16:53


>日々の終わりにこの、信者たちにとって良心の吟味の時刻た
 るこの時刻は、吟味するものといえば空虚だけしかない、捕ら
 われの、あるいは流刑の人々にとっては、つらい時刻である。
 その時刻になると、彼らはいっとき戸惑い、それからまた無気
 力状態に戻り、ペストの中へ閉じこもってしまうのであった。

 これは結局のところ彼らの有する最も個人的なものを断念する
 ということであった。

 ペストの初めの時期には、彼らは、他人にとっては何の存在も
 持たないのに、彼らにとっては大いに問題であるような、些細
 な事柄がたくさんあるのに驚かされたものであったし、またそ
 れによって個人生活なるものを体験していた訳であったが、今
 では反対に、彼らは他人が興味を持つことにしか興味を持た
 ず、一般的な考えしか持たなくなり、その愛さえも彼らにとって
 最も抽象的な姿を呈するに至った。

 ・・・ペストは各種の価値判断を封じてしまった。人々はすべて
 を十把一絡げに受れ容れていたのである。・・・ともかく今や事
 態は明瞭であり、災禍はすべての人々に関することであった。
 我々はすべて、市門に鳴り響く発砲の音や、我々の生あるい
 は死亡の各段階をはっきり見切るゴム印の押捺に囲まれて、
 火事やカードや、恐怖や手続きに囲まれて、見苦しい、しかし
 登録される死を予約されて、恐ろしい煙と救急車の静かなベル
 の音の中で、皆んな同じ流刑のパンで身を養いながら、無意
 識の裡に同じような驚天動地の再会と平和を待ち設けていた
 のである。

 我々の愛は確かに相変わらずそこに控えていたが、ただ単
 に、それは用いようのないものであり、担うには重く、我々の
 内部に沈滞して、さながら罪悪か処罰のように実りのないも
 のであった。それはもう、将来のない忍従と、頓挫した期待
 であるに過ぎなかった。・・・無際限であると共に幻想のない、
 同じ諦め、同じ辛抱強さであった。

 ただ、しかし、別離に関する面では、この感情を千倍も拡大
 された尺度に高める必要があろう。この場合には、また別の
 飢餓、しかもあらゆるものを食い尽くす可能性のある飢餓の
 問題であったからである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://shoyuclub.asablo.jp/blog/2020/05/02/9453982/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。