倚りかからず(茨木のり子)2018/09/21 20:00

from 『倚りかからず』

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

鶴(茨木のり子)2018/09/20 19:54

from 『倚りかからず』

鶴が
ヒマラヤを越える
たった数日間だけの上昇気流を捉え
巻きあがり巻あがりして
九千メートルに近い峨峨たるヒマラヤ山系を
越える
カウカウと鳴きかわしながら
どうやってリーダーを決めるのだろう
どうやって見事な隊列を組むのだろう


涼しい北で夏の繁殖を終え
育った雛もろとも
越冬地のインドへ命がけの旅
映像が捉えるまで
誰にも信じることができなかった
白皚皚のヒマラヤ山系
突き抜けるような青い空
遠目にもけんめいな羽ばたきが見える


なにかへの合図でもあるような
純白のハンカチ打ち振るような
清冽な羽ばたき
羽ばたいて
羽ばたいて
私の中にわずかに残る
澄んだものが
はげしく反応して さざなみ立つ
今も
目をつむれば
まなかいを飛ぶ
アネハヅルの無垢ないのちの
無数のきらめき

ウォルト・ホイットマン2016/12/22 16:22

cf. 「アメリカの魂を歌った詩人」
     「人間の生命を形式にとらわれない自由詩で讃えた」
    (ナショナル・ジオグラフィック誌)


「生と死」

たえずひとつに絡み合う古い素朴な二つの問題

すんでのところで分かりかけ、逃げてしまい
眼の前にあり、肩すかしをくい、組みつかれ

次々と移り行くどの時代にも解けず
次の時代へ送られ
きょう私たちの時代に届いたが
――私たちも同様に次へ送る

「死の声」

      1889年5月31日 ペンシルバニア州
                ジョンスタウンの大洪水

厳粛で異様な「死」の声
おのれに備わる勢威と権力をことごとく発揮しつつ
とつぜん名状しがたい一撃をもって襲い
――町々は溺れ――
人間は幾千人となく殺戮され
驕慢の思いをそそる繁栄のあまたの成果
物資も住居も街路も鉄橋も鍛冶場も
その一撃で砕かれて散乱するが

――しかし導きいれられるいのちは
そのまま絶えることなくつづく
(あたりに広がる光景のさ中、激しく流れ、渦を巻く
狂暴な破片のさ中で
苦しんでいるひとりの女が救われ――

赤ん坊がぶじに生まれ)

わたしは恐怖となり傷心となり、溢れ出る洪水や火となり
宇宙の総崩れとなって訪れ
しかも何の前触れもないが

(この声はいとも厳粛で異様であった)

わたしもやっぱり「神である者」の使者
そうなのだ、「死よ」、私たちはあなたを迎えて
顔を伏せ、目をおおい
老人たち、時ならずあなたのもとへ引き寄せられた若者たちを
美しい人、頑健なひと、善良なひと、有能なひと、
破壊された家庭、夫と妻、鍛冶場にいて水に呑まれた鍛冶屋を
一切を呑みつくす水と泥に沈んだ死体を
弔いの塚に集められた幾千体、そしてついに見つからず
集められることのない幾千体を悼むのだ

やがて死者たちを埋葬し、弔ったあとで

(見つけられたものであれ見つからぬものであれ、
彼らに対して忠実であり、忘れることなく
過去の悲しみに耐え、今新しく思いに沈み)

一日のあいだ―一つかのまの一瞬、あるいはひととき――
アメリカそのものが低くうなだれる
黙然と、なすところなく、悲しみのままに
戦争を、死を、このような大洪水を、アメリカよ
繁栄を楽しむ誇り高いあなたの心に深く深く抱きしめよ
わたしの歌うこの今ですら、見たまえ、死のさ中から
湿地や泥のさ中から
見る見るうちに咲きゆく花が、同情、援助、愛の証が
西部と東部から、南部と北部から、そして海のかなたから

人類が人間らしい救済のために熱い思いに
取り立てられる心と手とをさし伸べる
そして内部からは思想と教訓がさらに

あなた、つねに突き進むことをやめぬ「地球」よ
「空間」と「空気」の中を
あなた、わたしたちをとりかこむ水よ

あなた、眠っているときも活動しているときも
わたしたちの生と死の中にあまねく存在する者よ

あなた、それらのものはむろんのこと
一切に染み渡る目に見えぬ法則よ
あなた、一切の中に、一切のうえにあり、一切に染みわたり
一切のしたにひそみつつ、絶えることのない者よ

あなた、あなた、さながら手を広げて
さながら何かはかない玩具のように「人類」を支えつつ
抗いがたく、眠ることなく、平静で、活力にみなぎり
普遍的な、巨大な力よ
あなたを忘れたりすることはいともよからぬことなのだ

実はかくいうわたしも忘れていた
(進歩、政治、文化、富、発明、文明
これらをとるに足らぬ権威の衣にくるまれて)

沈黙を守りつつ、つねに支配することをやめぬ君らの力を
君ら巨大な宇宙の陣痛よ、うかつにもわたしは認識する
能力を失っていた

それこそ深く浅く私たちが浮遊し
わたしたちのひとりひとりをつなぎとめている海だというのに