「恥」#3 SNS2023/01/06 08:25


>私たちは「恥」というとネガティブに捉えがちだ。
 
 SNSでの晒し上げ(online shaming)、それに関連
 したキャンセル・カルチャーが進み、新しい形で
 他者を阻害している。
 恥の最も破壊的な面に、現代的なアレンジが加え
 られているのだ。誰も私たちのことを後ろ指さす人
 がいない時でさえ、私たちは自分で自分に後ろ指
 をさす。

 SNSは多くの不快な区別を招き寄せ、自分で自分
 を辱めるようにしてくる。私たちは隣人、同僚だけ
 でなく、全世界の人々と自分とを比較してしまう。

 もっと違う生き方をすべきだったなどと、何と簡単
 に思い込んでしまうことだろう。自分の人生を「成
 功」と見做すためには、ビル・ゲイツや
 ジェフ・ベゾスのような神話的高みに達しなければ
 ならないのだろうか。

>向社会的恥がポジティブで健康的な効果をもた
 らしてくれるのは、私たちのナルシズムの荒々し
 い部分を削り取り、支援的な社会的なネットワー
 クをより密接に結びつけ、依存的な傾向を抑制す
 るからである。

「恥」#2 家族間における徹底的正直さ2023/01/05 07:44


>ドーパミンの洪水のような世界で、向社会的恥
 の原則を家庭生活に取り入れようと、先ず徹底
 的な正直さを家族の価値観の中核に据えること
 ・・・自分の振る舞いで徹底的正直さのモデルを
 示す・・・

 自分がもがき苦しんでいることについて、子ども
 たちに心を開いて正直に話すなら、彼らにも心を
 開き正直になれる余地を与えることになる。その
 ためには、いつも何か間違ったときには認めよう
 という覚悟と意志を持っていなくてはならないだ
 ろう。

 自分の恥を受け入れ、償うことを厭わないよう
 にしなくてはならない。
 自分自身について積極的かつ正直に見直して
 いくことで、他者に正直なフィードバックを与える
 力を持てるようになり、もっとそうしたいと思うよ
 うにもなっていくのである。

>辱めることがない、この種の徹底的な正直さは、
 自らの強みと弱みを教える(自分を正確に評価
 する技術を高める)よう励ますことができる。
 自分の得意なことと得意でないことを知ることで
 賢い意思決定ができるのだ。

 お互いに正直でいることは、恥が生じることを
 防ぎ、親密さが増すきっかけとなる。欠点がある
 にも拘らず受け入れられた時、他人と深く繋がっ
 ているという感覚から温かい感情が迸りでるも
 のである。親密さを作り出すのは、間違いを一
 緒に直していこうとする意志なのだ。

>この種の親密さの増大は、脳内でドーパミン
 を放出させることになる。しかし、安っぽい
 快楽によるドーパミンの迸りとは違って、親密
 さによる迸りは適応的で、私たちに瑞々しさと
 健康を与えてくれる。

「恥」#1 AAモデルの効用2023/01/04 07:57

   from 『ドーパミン中毒』

>AAの主な効果は、「脱・恥のサイクル」であった

 「自分は一人ではないんだと認識したよ。私の
  ような人がたくさんいた。アルコール依存症で
  苦しんでいる医者がたくさんいたんだよ。完全
  に正直になっても受け入れてくれる場所がある
  と知ることは、信じられないほど重要だった。
  それは自分を許し、何か変化を起こすために
  必要な心理的余地を与えてくれたんだ。人生
  を前に進めるような気がした」

>恥(向社会的恥)がなければ社会はカオス状態と
 なってしまう。それ故に、違反行為に恥を感じるこ
 とは適切でよいこととされているのだ。

 さらに向社会的恥は、私たちは皆欠点があり、間
 違いを犯すもので、許される必要があると考える。

>向社会的恥のサイクルでは、
 摂取→恥の意識→徹底的な正直さ→受容と共感
 →償うための行動(リスト)→居場所のある実感
 →摂取減少へ

 ※破壊的恥のサイクル:
  摂取→恥の意識→「嘘」の告白(避けられたり、
  避けられないようにするため)→孤立の深まり
  →過剰摂取へ

>AAは、自分の弱さを曝け出せる安全な場所

 12ステップに基づき、毎日、自己点検を繰り返
 していると、自分自身の欠点がより理解できる
 ようになるだけでなく、他人の欠点に対しても
 より客観的に評価して対応できるようになる。
 自分自身に責任を持てば、他人にも責任を持
 たせることができる。恥をかかせるのではなく、
 恥を活用することができる。

「偽りの自己」2023/01/03 08:17

from 『ドーパミン中毒』

>「偽りの自己」とは、耐え難い外からの要求や
 ストレスに対する防御として作り上げる人格の
 こと(ドナルド・ウィニコット提唱)だ。
 彼は、偽りの自己を作ることで深刻な空虚感を
 味わうことになると言っている。

>SNSは現実からかけ離れた人生の物語を簡単
 に作り出せるし、もっと作り出すように促しさえし
 て、偽りの自己の問題を深刻化させている。

 現実の経験が理想からかけ離れていると、自分
 に距離を感じ、現実を非現実のように感じる。
 自分が作り上げた偽りの像と同じくらい偽物だと。
 それは恐ろしい感覚で、自殺念慮につながって
 しまうことが多い。
 結局、現実感を持てなければ、人生を終わらせて
 も大したことがないように思ってしまうのである。
 
>偽りの自己に対する解毒剤は、確かな自己で
 ある。徹底的な正直さは、そういう自己に辿り着
 くための手段だ。私たちを現実に結びつけ、この
 世界に実在していると感じさせてくれる。それはま
 た自分がついてきた嘘を維持するのにかかる
 認知的負荷を減らし、今、この瞬間に自発的に
 生きられるよう心のエネルギーを解放してくれる。
 
  「周囲をなんとかしようとすることを止めると、
   爽やかな気持ちになってきて、いいバラン
   スが見つかり、自発的に動いている自然界
   や自分の中にある自然とつながっていると
   いう感覚が持てる」
     (マーク・エプスタイン)

AA-12ステップの実際性2023/01/02 09:21


  from 『ドーパミン中毒』( A. Lembke)


>AA (Alcoholics Anonymous) のずば抜けて優れた
 標語の一つは、「私には責任がある」である。
 「責任」に加えて、AAはその理念の中心に「徹底
 した正直さ」を置いていて、この二つを一緒に
 やっていく。

>その回復プログラム「12ステップ」の四番目は、
 参加者に「徹底的に恐れず、道徳面で自分自身
 の棚卸しをする」ことを求めている。
 これは、個人が自分の性格的欠点を隈なく見直
 し、それらの欠点が問題にどう繋がってきたかを
 見出すことを意味する。

>五番目は、「告白」のステップである。
 「神に対して、自分に対して、他の人間に対して
 自分の悪いところを偽らずに正確に認める」
 ことを求める。

>このシンプルで実践的で体系的なアプローチは、
 実際に人をガラリと変えてしまう力がある。
 
 (著者自身が)母親に対する怒りを解消する手段
 として取り組んだ結果・・・その経験は自己変容を
 もたらした(特にステップ4と5が顕著)。

 人生で初めて、母が如何にダメな母親かではなく、
 私たちが緊張した関係になってしまった理由、
 自分の責任を考えた。

 それから書き出すという苦痛な作業を行った。

  「苦しんで、苦しんで、真実の中に入って行く」

 ことで、自分の性格的欠点と、それが私たちの
 緊張関係にどう関わってきたかということが見え
 るようになった。真実は、「私が心配性で、怖が
 り」ということだ。

>12ステップに取り組んでから、これらのことが
 ハッキリ見えるようになって、憤りが消えた。母
 への怒りという重荷から自由になった。

The Twelve Steps Of Alcoholics Anonymous2023/01/01 08:58


『ドーパミン中毒』(A. Lembke)を読んでいたら、
「真実を語ることには苦痛が伴う」のは、
「私たちは人生の最初から嘘をつくようにデザイン
 されている」から、「みな嘘をついて」おり、これが
依存症からの回復を妨げているばかりでなく、
人生をより良く生きることの妨げとなっていると
指摘されている。

そこで、再掲(2021/06/21)となるけれども、AAの
12ステップを以下に掲げる。

1. We admitted we were powerless over alcohol
— that our lives had become unmanageable.

2. Came to believe that a Power greater than
ourselves could restore us to sanity.

3. Made a decision to turn our will and our lives
over to the care of God as we understood Him.

4. Made a searching and fearless moral inventory
of ourselves.

5. Admitted to God, to ourselves, and to another
human being the exact nature of our wrongs.

6. Were entirely ready to have God remove all
these defects of character.

7. Humbly asked Him to remove our shortcomings.

8. Made a list of all persons we had harmed, and
became willing to make amends to them all.

9. Made direct amends to such people wherever
possible, except when to do so would injure
them or others.

10. Continued to take personal inventory and
when we were wrong promptly admitted it.

11. Sought through prayer and meditation to
improve our conscious contact with God as
we understood Him, praying only for knowledge
of His will for us and the power to carry that out.

12. Having had a spiritual awakening as the result
of these Steps, we tried to carry this message
to alcoholics, and to practice these principles
in all our affairs

Copyright ? 1952, 1953, 1981
by Alcoholics Anonymous Publishing
(now known as Alcoholics Anonymous World
Services, Inc.) All rights reserved.

コヘレトの言葉#182022/06/21 09:12

>「生きる」と「生かされる」

 (へベルは神から与えられた束の間の時
=神からの賜物)

 「知恵ある者の言葉は/突棒や打ち込まれた釘に似
ている」[12:11]。
 この目に見えない「打ち込まれた釘」がなければ、建
物は崩れ落ちてしまう。知恵ある者の言葉とは、その
ように私たちの世界を深いところで支えてくれている。
 そして、「あらゆる隠されたことによって、すべての業
が裁かれる」と書かれて終わる。(若松)

 「シャーパト」(裁かれる)は、「神が支配する」と訳した
ほうがよいので、「すべての業を神は支配しているの
です。そして神がなさることは、始めから終わりまで、
人間には分からないのだ」と読んでいる。(小友)

 宗教は、あなたが生きているのではなくて、他の力
によって支えられていることを、私たちに考えさせる。
(若松)

[詩12:6]
  主は言われます。
  「虐げに苦しむ者と呻いている貧しい者のために
   今、私は立ち上がり
   彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」

[詩126:5-7]
  涙のうちに種蒔く者は、喜びのうちに刈り取る。
  種を携え、泣きながら出て行く者は、束を携え、喜
びながら帰ってくる」

 この一節に出会った時、私は人生の困難に直面して
いました。「涙のうちに種蒔く者」という文字に、私の
内面に浮かんできたのは、「涙」という種を蒔きながら
生きている者の姿だった。それも、私の心のなかで、
誰にも気づかれないで泣いている男の姿です。その男
の涙が種子になって、私の心のなかに蒔かれる。今、
私は確かにそれを刈り取っている。泣いていたのは、
私ではないのです。それはイエスだったかもしれないし、
私を守護する聖人あるいは死者だったのかもしれない、
と今は思っています。私たちは人生を「自分」という時間
軸の中で考えがちです。でも実際にそれが起こっている
現場は、多くの先人たちの助けと私たちの未来への希
望から成り立っている。それなのに、自分が感じている
現在だけの問題にしてしまうと見えなくなるものがたくさ
んある。「カイロス」の世界では、私たちの現在~過去、
現在~未来というものが一つになるような、とても豊か
 な「時」がある。
 それは同時に私たちの人生の奥に潜んでいる。私たち
 をそのような場所へ連れて行ってくれるのが、真に知恵
 ある者の言葉なのです。与えられてはいるけれども、
 気づかれないでいるもの、そういうものの中にとても大
 事なものがある。(若松)

 「生きよ。種を蒔け。束の間だけれども生きて種を蒔け。
 生きれば、いつか必ず平和の時が来る」
 というコヘレトの言葉を思い出してほしい。この闇の向
 こうに明日があります。(小友)

コヘレトの言葉#172022/06/20 09:06

>ダニエル書は逆で、やがて何が起こるかを人に伝える。
  夢を説き、謎を解く。
  現世の終末を語る。

  ※ 未来が啓示として描かれる「黙示文学」では、
    「沈黙によって示されるもの」「隠されていたものが
     顕わになる」
    ~前半は、宮廷での夢解き物語(終末の謎を解く)
    ~後半(黙示文学)は、最後に、復活の予告で締め
      括られる

 ダニエル書では、世の終わりがいつ来るのかが明らか
にされる。夢を解き明かすことによって、後に何が起こる
かが明らかにされるのである。これが黙示思想の最大の
特徴で、コヘレトの言うところとは真逆である。

 コヘレトは、ダニエル書の存在を知っていたから、「後に
 何が起こるか誰が人に告げることができようか」と、黙
示思想の最も重要なテーマを引っくり返している。黙示
思想における問題性を見据えている。黙示思想は常に
来世に価値を置くために、現世でどう生きるかが大事
なことでなくなってしまうわけです。
 コヘレトはその考え方を拒否して現世的に考えるから、
 「分からないからこそ、今、何をすべきかが大事」と言う。

 大切なことは、このように相反する書が一つの旧約聖
 書の中にあるということです。この「両方」入っていると
 いう緊張関係で考えることが、聖書を読む際に最も大
 事なことなのです。(小友)

 [ダニ2:28-9]
  だが、秘密を明かす天の神がおられ、
  この神が将来何事が起こるのかをネブガドネツァル
  王に知らせてくださったのです。王様の夢・・・
  (王様に)神は秘密を明かし、将来起こるべきことを
  知らせようとなさったのです・・・

 [ダニ12:1-4]
  その時、大天使長ミカエルが立つ。
  彼はお前の民の子らを守護する。
  その時まで苦難が続く。・・・
  しかし、その時に救われるだろう。
  お前の民、あの書に記された人々は。
  多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
  ある者は永遠の生命に入り
  ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる・・・

12:9 コヘレトは知恵を深めるにつれて、
  より多く民を教え、知識を与えた。
  多くの格言を吟味し、研究し、編集した。

12:12 書物はいくら記してもきりがない。
   学びすぎれば体が疲れる。
12:13 「神を畏れ、その戒めを守れ」
   これこそ、人間のすべて。
12:14 神は、善をも悪をも
   一切の業を、隠れたこともすべて
   裁きの座に引き出されるであろう。

コヘレトの言葉#162022/06/19 09:02

>池田晶子『あたりまえのことばかり』

 「絶望の座にある人を救うことができるのは、医療で
はなく言葉である。宗教でもなく言葉である」
 
 ※ コヘレトの「種」=「言葉」;池田の「言葉」=「愛語」
 
 コヘレトは「ヘベル」である人生に於いて、明日はない
自分がなすべきことは、種を蒔くことなんだと言う。そう
いう言葉を語ること、そういう言葉で生きること、そうい
う言葉を他者に指し示すことが大切です。(小友)

 池田は、言葉の扉の向こうでこそ、本当の幸せを掴
む事ができるという。言葉とは、本当の人生に出会う
ための扉であり、本当の自分に出会うための扉でし
た。扉であり、人生という河を渡る舟でもあった。

 コヘレトは、「沈黙の言葉」の重みを私たちに教えて
くれている。目に見えないもの、耳に聴こえないものを
見過ごしてはならないことを警告している。

 私たちは自らが蒔いた種の未来を知り得ない。そう
であれば、もっと種を蒔くことを試みたらよいと思う。
(若松)

11:4 風向きを気にすれば種は蒔けない。
   雲行きを気にすれば刈り入れはできない。
11:5 ・・・すべてのことを成し遂げられる神の業が
わかるわけはない。
11:6 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
   実を結ぶのはあれかこれか
   それとも両方なのか、わからないのだから。

8:6 人間には災難の降りかかることが多いが、
8:7 何事が起こるかを知ることはできない。
   どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。
8:8 人は霊を支配できない。
   霊を押しとどめることはできない。
   死の日を支配することもできない。
戦争を免れぬ者もない。
   悪は悪を行う者を逃れさせはしない。

8:9 私は太陽の下に起こる
すべてのことを、熱心に考えた。
   今は、人間が人間を支配して苦しみを
もたらすような時だ。

8:17 まことに、太陽の下に起こるすべてのことを
悟ることは、人間にはできない。
   人間がどんなに労苦して追求しても、
悟ることはできず、
   賢者がそれを知ったと言おうとも、
彼も悟っていない。

コヘレトの言葉#152022/06/18 08:57

>M. Luther
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私は
  リンゴの木を植える」

  Even if I knew that tomorrow the world go to pieces,
  I would still plant my apple tree.

8:6 人間には災難の降りかかることが多いが、
8:7 何事が起こるかを知ることはできない。 
  どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。

11:6 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
   実を結ぶのはあれかこれか
    それとも両方なのか、わからないのだから。

 コヘレトは、私たちが未来を知り得ない存在であること
 を強調しながら、一方で種を蒔けと言う。
 この矛盾の中にヒントが隠されいるように感じます。
  (若松)

 コヘレトが朝から晩まで種を蒔き続けることを勧めて
 いる理由は、どの種が実を結ぶか分からないからこそ、
 「朝に種を蒔き~」と言うんです。
 ここにも”逆説”の発想が潜んでいます。人生を悲観的
に考えてしまうことがあるかもしれない。それでも積極
的に生きることができる。
「悲観的」と「建設的」を「それでも」という言葉で繋ぐこと
で、矛盾する両者が矛盾でなくなるところに、コヘレトの
究極のメッセージがある。(小友)

>道元「愛語」

 「愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、
  顧愛言語を施すにあり。
  ・・・  ・・・  ・・・
  徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。
  ・・・  ・・・  ・・・
  現在の身命の存ぜらんあひだ、このんで愛語すべし、
  ・・・むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こ
  ころをたのしくす。・・・
  しるべし、愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子
  とせり。
  愛語よく廻天のちからあることを学ぶべきなり、たヾ能
  を賞するのみにあらず」

 ここでの「心」は、現代人が考える意識のことではあり
ません。もっと奥にあるものです。
 良き種を植えたいなら、悪しき種を植えないことだ、と
 道元は言う。不条理な悪しき言葉を投げかけてしまう
と、その人を傷つける。しかし逆に、真に愛のこもった
言葉を一人の人に投げかけることで、その人を救うこ
とができる。
 道元がここで語ろうとしていることは、言葉の畏れる
べき力です。私たちは敵に向かう時、とても強い言葉
を発してしまいがちですし、相手を飲み込もうとしてし
まいます。怒りの言葉であったり、恨みの言葉ではな
く、「愛語」こそが世の中を変えて行くと。(若松)