『ペスト』#132020/04/30 16:29


>こうしてすべてはまさに最大限の速度と最小限の危険性を
 もって執り行われた。そして疑いもなく、少なくとも初めの頃
 は、家族の人々の自然の感情はそれによって傷つけられた。
 しかし、ペスト流行時においては、そういう考慮は到底斟酌
 していられなくなり、後には、幸いにも食料補給の問題が微
 妙になり、住民の関心はもっと直接な顧慮のほうに向かわ
 せられた。食っていこうと思えば、行列に並んだり、手続きを
 済ましたり、書式を整えたりしなければならぬことにすっかり
 手をとられて、人々は自分たちの周りで死んでいく者の死に
 方や、またいつか自分が死んでいく時の死に方など、考え
 ている暇がなかった。
 本来一つの災いである筈のこういう物質的困難が、後には
 一つの天恵たる性質を示した。

 棺が数少なくなり、屍体をくるむ布も、墓地内の場所も足り
 なくなった。何とか考えなければならなかった。いちばん簡
 単なのは、これも相変わらず実用性という理由からである
 が、葬式を一纏めにし・・・リウーの受け持ちに関して言え
 ば、その病院はこの時期には五つの棺は使用していた。
 それがいっぱいになってしまうと、救急車がそれを積んで
 行く。墓地では、棺は空にされ、鈍色をした遺体は、この
 用途のために改造された用具小屋の中で待っているので
 ある。棺は消毒液を散布されて、病院へ持ち帰られ、そし
 てこの手順が必要なだけ繰り返される。

 こういう処理面の成功があったにもかかわらず、こうなると
 この手続が帯びる不快な性格のために、県庁は身内の人々
 を葬式から遠ざけることを余儀なくされた。
 
 墓地のはずれの、乳香樹におおわれた裸地に、巨大な墓穴
 が二つ掘られていた。男子用の墓穴と女子用のそれとが決
 まっていた。

 この墓穴のそれぞれの底には、たっぷり厚い層をなした生石
 灰が、湯気をたててわきたっていた。穴の縁には、同じ石灰
 の山が、外の空気に向かって泡を吹き立たせている。救急車
 の往来が済んでしまうと、担架が行列をなして運ばれ、裸に
 されたやや捩れ気味の死体が、ほとんど相接して並びつつ穴
 の底へ滑り落とされ、そしてその瞬間、生石灰と次には土が
 その上に覆いかぶせられるのである。
 こういうすべての作業のためには人員が必要であり、そして
 しょっちゅう、まさにそれに事欠く状態にあった。・・・多くの者
 がペストで死亡した。どんなに用心してみても、いつかは感
 染してしまうのであった。しかし、驚くべきことは、病疫の全期
 間を通じて、この職業をやる人間に、ついに事欠くことがな
 かったということである。

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