『ペスト』#232020/05/13 16:03


>時と共に増大する食料補給の困難の結果として、その他
 にも種々不安の的となる問題があり得た。投機がその間に
 介入して来て、通常の市場には欠乏している第一級の必需
 品などがまるで作り話みたいな値で売られていた。貧しい家
 庭はそこで極めて苦しい事情に陥っていたが、一方富裕な
 家庭は殆ど何一つ不自由することはなかった。
 ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、
 市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴ
 イズムの正常な作用によって、逆に人々の心には不公平の
 感情がますます先鋭化されたのであった。もちろん完全無欠
 な死の平等性だけは残されていたが、しかしこの平等は誰
 も望む者はいなかった。

>飢えに苦しんでいた貧しい人々は、ひとしお深い郷愁を
 もって、生活の自由であり、パンも高くない、近在の町々や
 田舎のことを考えていた。
 自分たちに十分な食糧を給することができない以上は、
 当然退去することを許してくれるべきであるという、そんな
 感情が彼らにはあった。その挙げ句、一つの合言葉が流
 布するに至った。
 「パンか、しからずんば空気を!」

>(タルー)「最も悪いことは、彼らが忘れられた人間であると
 いうこと、そして彼ら自らそれを知っているということである。
 彼らを知っている連中も、他のことを考えいているので彼ら
 のことは忘れてしまっているのであり、これは十分理解しう
 ることである。彼らを愛している人々はどうかといえば、これ
 もまた、彼らをそこから出すための奔走や計画に精魂を尽
 くさねばならぬので、彼らのことを忘れてしまっている。出所
 させるというそのことばかり考えている結果、もう出所させ
 る当人たちのことは考えていないのである。
 結局最後のところで気がつくことは、何びとも、最悪の不幸
 の中においてさえ、真実に何びとかのことを考えることなど
 はできないということである。何故なら、真実に誰かのこと
 を考えるとは、即ち刻々に、何ものにも、家事の心配にも、
 蠅の飛んでいるのにも、食事にも、痒さにも、心を紛らわ
 されることなく、それを考えることだからである。ところが、
 蠅や痒さというものは常に存在する。それ故、人生は生
 きることが困難なのである。そして、この人々はそれをよ
 く知っているのだ」

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