シックマザーを母親に持つということ2021/01/18 12:23


  from  『シックマザー』岡田尊司(2011年)ちくま選書

>シックマザーの影響は、深甚かつ永続的・・・
 基本的安心感や信頼感の土台となる愛着形成から、
 認知的、情緒的、行動的、社会的な広範な能力の発達
 にも、さらには自己感や対人観、世界観や未来観といっ
 た最も根源的な信念や生存上の方略にも、またそれら
 を含むパーソナリティの形成にも決定的ともいえる影響
 を刻印する。
 それは、多くの場合、その人自身と一体化したものとし
 てプログラムされてしまっているので、その存在や由来
 を自覚することもない。
 しかし、客観的に観察すれば、その人の行動や考え、
 感じ方を理不尽なまでに縛っていることを見出す。

 それは、あまり意識化されない影響であり、その意識
 化を助け、それを脱却することが究極的なテーマだと
 いえる。しかし、多くの子どもたちや大人になったかつ
 ての子どもたちは、それよりはるかに手前の段階で、
 何が起きているかも分からず、日々、得体の知れ
 ないものに縛られ、名状し難い不安の中で、何かに
 戦きながら暮らしているのである。

 シックマザーを母に持つということは、子どもにとっ
 て、不安と悲しみと葛藤に満ちた、最も生々しく混乱
 した体験を味わうことである。

 それは、子どもながらに人には言えないような体験
 であり、涙と苦悩と怒りがないまぜになった坩堝の
 ような体験でもある。その体験とは、例えば、首を
 絞めようとする母親から、必死でタオルを取り上げ
 ようとすることだったり、また、調子の悪い母親から
 「あなたなんか、生まれなければよかった」という言
 葉を投げつけられることだったり、あるいはまた、
 家に遊びに来た友達に、母親が変なことを言いは
 しないかと冷や冷やすることでもあっただろう。

 通常なら、子どもが味わないでいい思いを味わうこ
 とである。悲しさと不安と、時には恥ずかしさや怒り
 も混じった気持ちを、胸に秘めながら生きて来たと
 いうことである。
 シックマザーに育てられ、共に暮らして来た傷跡を、
 今も抱えているはずだ。シックマザーと生きるとい
 うことは、まさにそういうことだからだ。

 そうした体験はあまりにも混乱していて、あまりに
 も痛々しく、激しい感情が絡み合っていて、ひどく
 心を掻き乱されるか、全く向き合わず冷淡に扱う
 かのいずれかになりがちだ。
 向き合おうとすると、何ともいえない憂鬱な気持ち
 や重い気分に襲われ、考えが止まってしまうこと
 もある。
 シックマザーとの体験が何だったのか、子ども本人
 にとっても母親にとっても、また二人の関係にとっ
 ても、一体何が起きて、どういう意味を持ったのか、
 それをきちんと整理して知ることは、その体験を
 しっかり受け止めて乗り越えるために必要なので
 ある。

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