ドストエフスキーと妻アンナ#12021/01/22 07:35

    from 『愛着障害の克服』(岡田尊司)

>今の自分を受け入れるには~過去のコダワリを捨てる

 親が変わろうとしようがしまいが、最後にはその人自身が
 「かつてのプライドやこだわり」を捨てることができるかどう
 かである。
 「自分が期待するレベルのことができないのであれば、も
 う何もしたくない」と思ってしまい、投げやりになることも多
 い。そこでやはり効いてくるのが、「どん底を味わった体験」
 なのである。軌道を大きく外れ、「もはや自分の人生はこ
 れまでか」と思うような絶望的な状況を身をもって味わう
 ことによって、それまで囚われていたプライドや価値観を
 捨てることができるのである。行き詰まった時こそ、変わ
 れるチャンスなのである。また、ピンチがチャンスになり
 やすい理由の一つは、そういう時にこそ、その人に必要
 な出会いや深い絆が生まれやすいということである。
 弱っている時こそ、安心感の拠り所を求めようとする
 愛着システムが活性化しやすい。

 不安が高まった状況に対して「愛着システム」のスイッチ
 が入り、愛着行動が増加することになる。そして愛着行
 動は、出会いを引き寄せたり、人との関係を親密にした
 り、その人が今必要とする助けを齎す。愛着は個人を超
 えて備わった相互扶助システムでもある。だから、誰か
 が助けを求めようとして行なう愛着行動に対して、回避
 型の人は別として、周りの人は「求めに応えようとする
 スイッチ」が入るようにできている。それ故、相手をよほ
 ど間違わない限り、愛着行動は相手の応答行動を引き
 出し、それによって助けを求める人と助ける人の関係
 が生まれる。
 しかも、助ける行動を行うと、人は自分が助けた相手に
 愛着を覚え、特別な関係が育ち始める。多くの人は助
 けを求めて来た人の面倒を見ているうちに、その人に
 対して他人以上の気持ちを持つようになりやすいのだ。
 更に、そういう出会いにおいては、自分の一番の弱み
 やダメな部分を曝け出しているので、余計に深い信頼
 が生まれやすい。実際、人生最大のピンチにおいて、
 人生最高の出会いに恵まれるということはしばしば起
 きることなのである。

>ドストエフスキーの前半生は苦難に満ちたものであっ
 た。父親は偏執的な人格の人物で、子どもたちを極
 めて厳しく育てた。母親も早くに亡くなり、愛情不足と
 虐待の中で育ったドストエフスキーは、かなり重い愛
 着障害を抱えていたようだ。父親は農奴の恨みを買
 い、殺されるという末路をたどっている。

 可愛がられる経験を一度もしたことのない人にあり
 がちなのだが、ドストエフスキーは社交が苦手で、
 情緒不安定な上に、相手の神経を逆撫でするような
 行動が多かった。そのため、処女作『貧しき人々』
 で華々しくデビューを飾ったものの、多くの人が愛想
 を尽かしてしまい、文壇でもたちまち孤立してしまっ
 た。金銭感覚も破綻していて、目先の金欲しさに不
 利な約束をしてしまい、生活もどんどん追い詰めら
 れていった。挙げ句の果てには死刑判決を受けて
 しまう。それは、いわば見せしめのためで、銃殺刑
 の直前には、恩赦で死刑は中止されたが、精神的
 には一度死んだも同然だった。

 刑地で出会った子持ちの女性と最初の結婚をした。
 いろいろと問題の多い女性だったが、ドストエフス
 キーの大きな支えとなったことは間違いない。連れ
 子の息子を、ドストエフスキーは我が子のように面
 倒を見た。それは彼が初めて味わった家庭的な幸
 福であった。だが、女性は既に結核を抱えていて、
 病状は徐々に進行していった。
 ようやくモスクワに戻ることを許され、兄が創刊し
 た雑誌に執筆することになった。シベリアでの監
 獄生活をヒューマニスティックに描いた『死の家の
 記録』が評判になり・・・兄の雑誌が発禁処分にな
 り、更にその混乱のさなかに妻が、そして雑誌再
 刊に奔走していて兄までが亡くなってしまった。
 残ったのは莫大な借金だけだった。

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