星新一の場合#32021/01/31 07:45


>公務員試験に合格したのに、採用の話が一向に
 こなかった。タイミングが悪く、緊縮財政が取られ、
 政府職員の大幅整理が行われている最中だった
 のである。しかも、父親からは「役人なんかになる
 な」と言われ・・・そんな時、取締役を務めていた異
 母兄が、詐欺にあって大きな損失を出して退任す
 ることとなる。入れ替わりの形で、新一が取締役
 営業部長に就任した。昭和24年12月のことである。

 翌年、星一は会社再建の資金を確保するため、
 ペルーに所有していた土地の売却交渉に半身
 不随の身をおしてアメリカに渡るも、旅先で体調
 を崩し、結局、ロサンゼルスの病院で客死して
 しまう。
 父親の跡を継いで社長に就任することとなった
 が、それは地獄のような日々の始まりだった。
 老獪な星一でさえ持て余していたのである。未だ
 駆け出しの新一の手に負える筈もなかった。それ
 でも新一はこの難局を打開すべく、策を練ったよ
 うだ。ただ、新一は経営者には向かない弱点を
 抱えていた。
 それは自らが交渉し、決断を下すことに自信がな
 かったため、様々な代理人を使ってしまったことだ。
 (代理人たちの暴走が)収拾のつかない事態を引
 き起こしていく・・・困難を極めた時期、新一はごく
 短い短編を雑誌に投稿し始めていた。それ以外
 に彼の逃げ場所だったのは、碁会所や映画館、
 銀座のバーだったという。そこで知り合った女性
 に、バーを一軒出させてやり、自らもそこをよく利
 用した。

 結局、新一は社長の座を一年ほどで譲り、窓際
 副社長の座に退いた。この閑職への引退が、結
 果的に見れば幸運に繋がる。時間的に余裕が
 でき、会社にいる間、新一は月に20種類の雑誌を
 読んで過ごした。
 主に芸能誌である。そんなことで時間を潰しなが
 らも、「今日あたり死のうかな」と日記に書き付け
 ることもあった。彼の逃避願望は限界に近づきつ
 つあった。

 そんな時に出会ったのが、朝日新聞に掲載され
 た「日本空飛ぶ円盤研究会」発足の記事で、新一
 も入会することになる。同会の同人誌として発刊さ
 れたのが『宇宙塵』で、日本初のSF専門の雑誌が
 誕生した。・・・親一の本名を新一と改め、気分を
 一新して、作家として活動を始めていく。
 そしてできあがった最初の作品が『セキストラ』で
 ある。その斬新なアイデアと新聞記事を並べた
 だけという表現方法の奇抜さに、読者は度肝を
 抜かれた。小さな成功とはいえ、それが新一に
 とって大きな足掛かりとなったことは間違いない。
 『セキストラ』発表から僅か一ヶ月ほどで、彼は
 取締役副社長の座からも退き、星製薬の経営
 から一切足を洗うことになる。
 「私には経営的手腕もないし、再建する意欲も
 ない。同族会社そのものなので、私がその権
 利をすべて放棄すれば、現在会社と個人が所
 有する資産の分配で、社員たちの退職金とす
 べての借金は賄えると思う」

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