「量子力学の本心」2024/03/01 09:46

from 「今日のミトロジー」中沢新一(週刊『現代』連載中)

>2022年ノーベル物理学賞は、アスペ博士らの「量子もつ
 れ(Entanglement)」の研究に贈られた。・・・
 (この研究の真骨頂は)物理学の根幹にかかわる、重大
 な問題に焦点を合わせている。・・・
 量子もつれに、人間の意識が介入すると事態は一変(※)
 してしまう。

 ※ 量子力学はミクロのレベルでは、あらゆる物質がお互
   いに作用を及ぼしながらつながっていて、全体運動を
   行なっていると考えている。そのために初め近くにい
   て影響を及ぼしあっていた二つの物質を、無限に遠く
   まで引き離したとしても、一方に変化が起こると、その
   情報は即座に無限に遠くにいる物質に伝わっていき、
   もう一方にも変化を引き起こしていくことになる。

>意識が介入する以前には、全宇宙はお互いつながりあ
 いながら運動しているので、局所での「状態」というもの
 は、決まっていない。しかし意識は物事を「分別」しようと
 する本性を持っているので、状態がないところにも状態を
 見つけようとする。その結果、実験で一つの状態が決め
 られると、もともとそこにあった筈の全体運動は途端に
 消えて見えなくなってしまう。・・・
 人間はこの分別する知性(常識形成)を発達させたおか
 げで、宇宙の本当の姿が見えなくなっている。そうして
 本当でない宇宙の姿を「ほんもの」と妄想して、自分たち
 の世界をつくっている。

>ところが、心が分別の働きを一瞬でも止めることがで
 きると、そこにはまったく違う「無分別」の世界があらわ
 れてくる。そこではあらゆる事物は互いに関係し合って、
 孤立しているものはなく、宇宙の一部に起こった出来事
 の情報は、瞬く間に全体に波及していく。

逆発想で生きる#42024/01/17 07:06

from 本多信一『内向型人間には「逆発想」の生き方がある』

>悠々自適の人生設計

 独立したい人は、
 (イ)事業開始前に一千人以上の見込み客をつくれ
 (ロ)三年は赤字を覚悟せよ
 (ハ)扱う商品/サービスは本心から興味のあるもの
    か価値観に合うものとせよ
 (ニ)口コミ効果は開業後四年から顕著となる

 ・・・内向型人間のビジネス界での成功・発展はさして難し
 いものではありません。それは、内向型ビジネスマンは
 会社内では30~50%の力しか出していません。何故
 なら、「いつも悩んでばかりで、精力を自分の悩みに向け
 ているから」です。

>適職がなければ職業をつくる

 内向型男女は十代~二十代のうちは社会と自分との
 不適合に悩み、生きることそれ自体への疑問を抱く
 ものです。それゆえ、仕事方面ではそう伸びなくて当
 然なのです。・・・
 人生をずっと「生きるか否か」の最大のテーマに取り
 組んでいたから・・・
 三十代からでもじっくりと仕事に取り組めば三年~五年
 で、どうやら仕事に馴れてきますし、十年でプロになる
 ものです。焦らず、急がず、自己否定せず、でやって
 みてください。
 そして、十五年、二十年と努力して行くならば・・・

逆発想で生きる#32024/01/16 06:57

from 本多信一『内向型人間には「逆発想」の生き方がある』

>自分を活かす逆発想

 生きるとは、結局のところ、他人・世間のつくった基準に
 拠るのではなく、汗と涙で自己基準を打ち樹て、そこに
 居坐ることです。・・・
 貧困にたじろがず、孤独を肯定し、他人からの否定に動
 じぬ強さです。

 内向型人間は”自意識過剰”なものですから、これを直
 そうと考えず、これを活かすべきです。・・・
 ”自意識過剰”とは被害妄想をもたらすマイナスと、主人
 公性を発揮すればフリーで人生を築けるといったプラス
 面を潜在させています。自由業の世界に入り、自分の
 人生を自分で動かすようにしてみると、もう自意識過剰
 からの妄想を持たずに済むようになれました。

 評価という点に関し・・・
 内向型人間は「百人中の百人から褒められたい」という
 欲張りの人です。事実としては、十人いれば三人が認
 めてくれて、三人は否定、残りが無関心であって当たり
 前。それが常識なのです。にも関わらず、内向型人間
 はほんの一割の人たちからでも否定されるとガックリと
 肩を落とし、この世の不幸を一身に背負ったように
 なってしまいます。

 人生の勝利者を目指すことが体質的に合わない人間
 は、敗残の身を路上に横たえることになるのだ、とそ
 う覚悟を決めました。・・・
 私はいったん捨てた社会生活に戻って、少しは頑張っ
 てみようという気になったのです。(プロ野球選手の
 千本ノックのように)私も必死で文章修行を始めまし
 た。一日四千字を書く訓練を自らに課し、これだけは
 何があっても続けて来ました。・・・
 人生目標を決して忘れず、諦めぬ人生を続けて見て
 ください。そうして目標を実現させてください。必ず
 できますよ。能力不足を自覚するならば、他人の二
 倍の努力をすればよく、実現の年齢が五十歳でも
 六十歳でもいいのです。・・・
 目標を目指して努力する人生が生きている真の姿
 となる・・・

逆発想で生きる#22024/01/15 04:39

from 本多信一『内向型人間には「逆発想」の生き方がある』


>哲学(世間基準に惑わない自信)を持て

 (クリシュナムティ)「この世界とは、見る人の心の鏡に映る
 姿なのであって実体はない。・・・
 (そのような一つの見方を持つこと)それはそれでよい。
 しかし、その見方が正しいとは限らないと知って、拘らぬよ
 うにしよう」・・・
 鬱状態やニヒリズムは自分と外界との誤った関係によって
 生じる場合がかなりありましょう。・・・
 自己否定の観念が色濃くなるに連れ・・・問題は、こうした
 欝症状やニヒリズムといった不自然なものを如何にして
 取り除くか、という点です。
 ラスコリニコフは・・・乙女の愛によって蘇生しました。・・・
 私(本多)が立ち直れたのは「自分の仲間たち」の存在に
 気づき、その仲間への役立ちを人生の目標にしたことです。

 内気な人、ハンデのある人、刑余者、等といった方々と
 共生することを考えたとき、私から虚無は去って行きまし
 た。・・・人間の真の業績は「他の生命体の安寧・保持の
 ためにどの程度、努力したか」だけでありその他のことは
 カスみたいなものです。

 宗教生活の本質は、自分一人で真理について深く考え、
 他人・他の生命体への奉仕を為し、清貧な暮らし方をす
 ること・・・
 人は、人によって上方志向と下方志向の配分の違いが
 あるだけ・・・私には、「他に役立って自分の生存意味を
 確認したい」という思いがあるだけです。

逆発想で生きる#12024/01/14 06:07

 from 本多信一『内向型人間には「逆発想」の生き方がある』

>自分流生き方へのヒント

 生きるということは自分に合った考え方、発想、基準と
 いったものに基づいて、自分の生を運ぶことです。
 内向型の人達が生きて行く上での「拠るべき考え方
 (発想)」とはどのようなものでしょうか。・・・
 色と欲(外向型人間の基準)よりも、真・善・美という
 心のテーマに惹かれる・・・
 自分流の価値基準の上に、独自な生き方を創造する・・・

>自分を好きになる考え方(自己否定を断つ)

 人生は段々楽しくなる・・・
 「とにかく大切なコトは生き抜くこと」・・・
 生の肯定は、人生の成功とか不成功とかにかかわらず、
 単に長く生きることによって与えられるもの・・・
 自分流に徹した生き方がいい・・・
 「集団を離れてコッソリ生きる」ことがメイン・・・
 サブ基準には、なるべく同時代の他の生物を守る
 衣服はボロを着る
 庶民の中に友人を見出す努力をする
 権力に近づかない
 何があってもニコニコして生きる
 障害を持っている人を”代苦者”として敬う等・・・

 いい子願望を捨てましょう・・・
 世間基準と生命基準、これは相反してしまいます・・・
 それなら、どんなに悪評が立とうと、
 「自己を活かす」即ち生命基準に沿って生きるよりほ
 かに仕方がありません。
 自己の生命を全うするという唯一無二の仕事のため
 には「己れの道を行く」しかない。
 
 個性にあった哲学を持て・・・
 競争社会にあって他人となるべく競争せずに生きる
 (人の下位に下るを厭わず)
 自分を売り込もうとせず、なるべく自分の長所・才知・
 武器は隠す(隠栖)
 異性よりは造物主に愛される行為を心がける
 人間づきあいよりも「豊かな孤独」を築く
 庶民の一人として気楽に生きる
 問われたら答えることはあっても、自分からペラペラ
 としゃべらない(非口舌)
 うわべの飾りは不要(醜の哲学)
 人生苦を受け容れる
 自分に合った遊び(一人でできるもの;タイプに合う
 もの;お金が余りかからないもの)を持つ
 ”もう一人の自分”をつくる
 フーテン人生が素晴らしい

シニア・ライフ心得#42024/01/13 05:53

from 本多信一『実年を生きる』

>老いを恐れぬ発想法

 1.個性を発揮して、生きる喜びの時を持つ

  競争を避け、共生し、助け合って生きて行くような生き方

  年に半分は山に入り、染色の材料を探しては和服の染め
  に熱中する方

  草花の研究者となった方

  仏典を易しく翻訳しようと、一日十時間も机に向かう方

 2.挫折、絶望を経て一人前に;人間観を深める

  人間は失敗や挫折の中で血まみれ涙まみれとなりつつ、
  人生を生きる要諦を掴むのであり、破綻のない人生、挫
  折、失敗なき人生では全く学べない。

    どうしようもない私が生きる(山頭火)

  私は、エリートの皆さん方から定年後人生についても相談
  を受けるが、彼らには共通して地位や知にすがる思いが
  あり、
  〈 ××なしには生きられまい・・・ 〉
  という、か弱い思いがあるもので・・・収入、仕事、健康を
  失ってもたくましく生きてやる、といった庶民の気概がな
  いから、人生の強者の人々が私にはむしろか弱く感じら
  れるのである。

  人間は裸で生まれ裸で死ぬ。その中間に何を持とうと、
  それは本質的なことではない。

  人間にとって唯一の本当の仕事は生き抜くことであり、
  イノチの最期の刻まで、すべてを失っても生き抜かなく
  てはならない。

  イノチは自分のものでなく、天から借り受け、時到れば
  返すものである。

  何かを持ったということが、それなしには生きられない
  気分を育んで来たのなら、その何かは危険なものに違
  いない。

  人のするさまざまないけないことには、それ自体の中に
  何らかの意味が含まれている。酒もギャンブルも意味が
  ある。

  人は老い行くに連れ、うまく行かない人生を持った人々
  の生き方を理解し、挫折した経験の持ち主から学ぶ姿
  勢を持ち、酒、たばこ、ギャンブルに凝る人々を否定し
  ないようにしたほうがよい。自分の人生の壁を乗り越え
  られなくなってしまうから。

 3.最後の悟りのチャンス;ボケを恐れないようにする

  人間とは生来汚いものであって、糞尿は自分の意思で
  その出口の筋肉を抑えているから外へ出ないだけのこ
  とである。筋肉を弛ませたら途端に排泄が始まる・・・
  そこに人間の「決して美しくない」本質というものがある。
  そうした垂れ流しの苦の代償に「区別なき心」を得るの
  だから、ボケは決して悪いものではない。それどころか、
  人生最期のプレゼントなのだとも思う。・・・

  「自分という意識を薄れさせよう、自分がウマクヤリタイ
   という心をなくそう」と努力を重ねて行こう」

 4.自己基準づくり

  「あなた、白髪が出て老いましたなぁ」

  → 「ええ、もう老人なんですよォ、なさけないですなぁ」
     (世間基準の反応)
  → 「人間の本質はカラダでなくココロであり、そのココロ
     が円熟に向かうことはいいことですよ」
      (老子様の思索)
  → 「老いることにより、実は、裸の人に戻ることは素晴
     らしいことで、自他の区別を忘れるボケ状態への到
     達は悟りに近づくいいことだ」
     (自己基準による思索)

  ありとあらゆる方面に、自己基準を作っておくことは実に
  有用だし、生きるとは自分の基準に拠って生きることが
  求められることだと思っている。・・・
  オリジナルな自己基準作りを果たしたご老人方は案外
  といるもので、・・・彼ら、彼女らは深い人間性への洞察
  力を内在させていて・・・人間の真実在の姿に正しい見
  方を持ち、正しい思いを持つなら、老年期の精神の美し
  さを目的として生き抜いて行こうではないか。

 5.四苦八苦の意味

  釈尊の深い洞察は、人間の味わう苦悩を四苦八苦と
  喝破した。
 
  生・老・病・死苦
  愛別離苦(愛する人と別れる苦)
  怨憎会苦(嫌な人と会って別れられぬ苦)
  求不得苦(求めるものが得られぬ苦)
  五慍盛苦(エゴの思いが盛んになり苦悩すること)

  例えば、怨憎会苦を味わわずに済ませるために、「嫌い
  な人を一人も作らない」ようにしたらどうだろうか?五慍
  盛苦に苦しまぬために、「自我を削り抜けば」どうだろう
  か?といったようなことを考えるわけである。

  悟るとは人の身から仏の身に解放されると考えて・・・
  ホトケとはホドケルということ、つまり自分を縛っていた
  ものがサラリとほどけて楽になる・・・それが悟り。

 6.熟年者のみりょくは精神性にある

  いつも静かに微笑している人になる

  たとえ演技でも「他のため」に一肌脱ぐ行動をする人になる

  年少者に決して威張らぬ人になる

  あまりにも低姿勢になったりペコペコする癖のない人になる

  もはや失うものの少ない人間として、他人のピンチに
  手助けできる人になる

  お金の魔力から卒業して、自分の財を世のため人の
  ためにラクに出せる人になる

シニア・ライフ心得#32024/01/12 05:40

from 本多信一『実年を生きる』

>新環境にこう馴染む

 1.人生の醍醐味を味わうために、”新老人像”を目指す

  お金を離れて生きてみることは実に面白い。

  自宅から事務所まで歩いて通い、その途中で季節折々の
  草花の開花を楽しんだ。

  路傍の犬猫と親しくなった。

  紙に自分の考えをまとめて書きつけたり詩を作ったりする
  楽しみを持った。

  一日三善を実行した。

  庶民の方々やフーテンの人たちと付き合い、裸のつき合い
  を楽しんだ。

  人間は、「裸の人」に戻ってこそ、人生の真実在が身に染み
  て分かってくる。そして、裸の人に回帰して生きる一瞬一刻
  を自らの創造したお金のかからぬ楽しみによって支えて行く、
  それが私のいう”新老人像”の内容。

  (その後、私は)・・・文章トレーニングの結果、生意気にも
  生き方の本なども書くようになった。

 2.自己実現の基本:自分の身丈に合わせた穴を掘る

  成功と無縁に生きぬく法

  成功しないことのほうには他人を傷つけぬ良さがある・・・
  「成功せずにしかも挫折心なく淡々と生きる術」を考究
  することを生涯テーマの一つにした。

 3.浪人人生を楽しむ準備

  浪人案内

  身すぎ世すぎのための仕事を持つ

  (心身ともに健康的に)自由に生きる

  今日一日の「行動予定表」を作って紙に書き、
  それを実行する

  テレビを避けて、本を読む

  創造の楽しみを持つ

  夜は定時に就寝する

 4.夫婦の対話を重ねる

  妻を人前でバカ扱い、無能力者扱いしない。

  子どもや妻がノイローゼになったとき、叱責のアプ
  ローチを取らず、相談に乗るようにする。

  妻にも人生目的があるのだから、その実現の協力者
  になる。

 5.M(en) H(ating) 運動にご用心

  世代間対立、男女間対決が厳しくなる理由:

  地球環境悪化、ワーキング・プアなど、旧世代への
  否定的行動

  稼いでも、年寄の年金に回ってしまうことへの反発

  そこで、若者に否定されぬ”老賢人の道”を目指せ!

  若い女性に対する言葉遣いにはくれぐれも気を付け
  ること

  若い女性と対話するおりには馴れ馴れしく肩に触っ
  たりしないことなど

シニア・ライフ心得#22024/01/11 16:46

from 本多信一『実年を生きる』

>真の自由は定年後に

 1.老いて失うものなし、思うが侭に生きる

     生きながら死人となりて成り果てて
     思ひのままにする業ぞよき     
     (至道無難禅師)

   貧富、美醜、賢愚といった対立概念が消え、その果
   てに「生と死に拘る気持ち」も解消する・・・
   心の思うままに好きなことをして、しかもそれが道に
   適っている・・・
   即ち、やがて去るこの地球のため、この国のため、
   自分たちの子孫のために一肌脱ぐ・・・
   もちろん、社会運動でなくとも、自分一人でコッソリ
   やる善行に賭けるもよしである。

 2.なにをすべきかを考える

   いかに狭くとも、外に事務所を持ち、昼間はそこに
   通って、いくら低くとも収入を得ること

 3.後世への遺産として何を残すか

   子に残す私的行為ではなく、社会や世間に残す
   公的行為としての遺産である

 4.非集団型人間へ

   日本全国「相談遍路」
   国会議員や知事などに頭を下げない

シニア・ライフ心得#12024/01/10 16:30

from 本多信一『実年を生きる』

 ・納得の行く宗教観をボチボチ築く

 ・自分の死に対して、一応の考え方を築いておく

. ・老衰はジタバタせずに甘受する

 ・”貧乏のけいこ”を積んでおく

 ・「裸の人」に回帰するトレーニングを積んでおく

 ・リスク・マネジメント:

   定年後に病気になって働けなくなったら、
   → 最後は生活保護を受ける

   妻に先立たれたり、離婚を求められたら、
   → 淋しい事だが人は本来「孤独」な存在と
     達観できるように

   定年後ボケたら 
   → ボケたら自分のことも分からなくなるから、
     あまり心配はしない

 ・うまい話に乗らぬようにする

ヘレン・ケラー#92024/01/09 07:37

「スウェーデンボルグの描写によれば、天界というのは、
 単に素敵な想像を寄せ集めた世界ではなく、住むこと
 のできる実際的な世界です。
 忘れてならないことは、死というのは生命の終わりなの
 ではなく、とても重要な経験の一つにすぎないということ
 です。近くにいる人であれ遠く離れている人であれ、
 存命の人であれ亡くなった人であれ、私が地上で愛し
 た人たちはすべて私の想念の大いなる静寂の中に生
 きていて、それぞれの個性、それぞれの流儀と魅力を
 保っています。
 孤独を慰めたければ、私はいつでもその人たちを身近
 に呼び寄せることができます。

 人がこのことをなかなか信じることができないのは、
 それが証明できないからというよりも、むしろ本人自身
 が懐疑的な態度をとっているからです。
 その人の利己的な欲望が霊的な努力を圧倒してしま
 うのです。

 自分の霊的存在の本当の意味を理解せず、物質的
 な存在だけが現実だと信じるのです。・・・

 学識ある評論家の中には、私を侮蔑の臼にかけて粉々
 にしようとする人たちもあることを、私は知っています。
 彼らは私の貧しい哲学を痛烈な揶揄のかなしき(注:鉄敷)
 に乗せ、科学から選び取った理論のハンマーで鍛え
 直そうとするでしょう。『森羅万象は眼に見えないアトム
 という物質によってみずからを完成する。それが始まり
 であり、終わりなのだ』と。そうかもしれません。
 
 けれども、依然として百合の花には露が宿り、バラの花
 の奥深くには芳香が秘められ、木の葉の下では小鳥が
 翼を休めているではありませんか!
 私には死を直視することを恐れるような貧弱な信仰は
 理解することができません! 死の前で崩れ折れるよう
 な信仰は頼りがいのないか細い葦にすぎないからです。
 私は、私の魂が霊の光の中に立ち、『生と死は一つの
 もの』だと叫ぶまで、確固とした思想をもってあらゆる
 視力を超えた視力につき従ってゆきます。」
  (『光の中へ』 pp.205-208)