震災短歌2017/07/09 06:57

from NHK 1ch、知花くらら

思い出の校舎にひびが刻まれた
あの日のことを心に刻む (JK2年生)

思ひ浮かぶふるさとの景は
夏の日の
原発見ゆる白い砂浜
(フクイチから1.5キロ、大熊町在;両親、息子夫婦、孫の9人
 家族;孫と遊んだ砂浜は帰宅不可の場所に位置)

※ 放射線は
  世紀を越えてなお残る
  マダムキューリーの
  研究ノート (詠み人知らず)

避難の日
馬二頭に別れ告ぐ
眼で諭しつつ
馬匹車にのせる
(馬も人も、涙止まず;野馬追の馬である)

※ 英霊は祖国に還れど
  征き征きし軍馬還ることなし(詠み人知らず)

知花くらら(WFP 大使)の歌:

学校は歩いて遠く
思ひてとほく
明日は
知らぬ男に嫁ぐ

(ケニア・マサイ族の若年結婚を詠む)

乖離2017/03/11 17:36


3.11 から11.19 へ!
解離したる我かな

「なぜ日本人は住宅ローンに大金を払う?」2017/01/16 09:29

cf. <家の寿命は20年、消えた500兆のわけ>日経ビジネスオンライン
  
不動産を巡る最も不条理で深刻な問題は、木造住宅が20年で、その価
値がゼロになるという慣例である。住宅は資産とと言われているけれど
も、単なる消費財に過ぎない。
  ※ ドイツの不動産市場は7割以上が中古住宅(日本は10数%)

ドイツでは、家は資産として投資するので、住心地と同時に将来価値
を考える。
(フライブルク・ボーハン地区)家の価値を高めるために、
住民全体で街づくりを進めて来たこと。たとえ地価が上がっても、プラ
ンに記載されていなければ、住宅建設のための土地売買はできない。
厳格に適用されるため、家の価値がきっちりと保証されることになる。
この10年間の新築着工件数は年15~25万戸。総住宅数は総世帯数
とほぼ同水準の4000万戸超で推移している。受給がバランスしている
ので、インフレ上昇分は自動的に家の資産価値が高まるメカニズム
になっている。
   ※ 日本では6063万戸/5245万世帯(2013年)
      ⇒ 500兆円の資産が消失

20年で価値ゼロの慣例によって、資産が資産にならない日本。
大金を払ってワザワザ借金を背負っている!

慶長地震#22015/02/17 20:25

とりあえずの整理:
A:『国史大辞典』
B:『日本被害地震総覧』
C:『ビスカイノ 金銀島探検報告』
D:『日本史総合年表』


1596.9.5 (文禄5/慶長元年閏7月13日)

A:山城・摂津・和泉など・・・特に京都三条から伏見に至るまで
 震害最もはなはだしく・・・伏見城殿舎が崩れ落ち・・・
 『地震加藤』
 M7.0
B:伏見城天守大破、石垣崩れ、上臈73人・中居下女500余人圧死
 方広寺大仏大破
 明使と従者5〜6人大阪で死亡
D:機内大地震、伏見城天守など倒壊

1605.2.3(慶長9年12月16日戌刻) 注、1605年は1604年?

A:大津波発生。東海道〜南海道・西海道まで広い地域にわたり、
 特に津波の害を受けた地方にその被害が語り継がれている。
 津波は薩摩〜房総半島までの太平洋沿岸でおこり・・・
 M7.9
B:東海・南海・西海諸道。二つの地震が生じたものと考えられる。
 津波は、浜名湖近辺の橋本で100戸中80戸流出・・・紀伊半島
 西岸の広村で1700戸中700戸流出、阿波の鞆浦で波高30m、
 死100余人、宍喰で波高6m、死1500余人、土佐の甲浦で死
 350余人・・・
D:記載なし

1611.9.27(慶長16年8月21日辰の下刻)

A:記載なし
B:会津若松城の石垣悉く崩れ、殿守破損・・・柳津虚空蔵・立木
 観音・新宮等の神社仏寺の堂塔倒潰・大破多く、民家も多く
 潰れ(2万余戸)、死3700余。・・・
C:慶長16年10月28日(9月23日)のくだりに、「会津地方に大
 地震」の記述あり。
D:記載なし

1611.12.2 (慶長16年10月28日巳刻以後)

A:記載なし
B:三陸沿岸及び北海道東岸。震害は未発見、津波による被害が大き
 かった。伊達政宗領内で死1783人、南部・津軽で人馬死3000余。
 死者は鵜住居・大槌・横沢で800人、船越50人、山田20人、津軽石
 150人。
 大波は3回押し寄せ、海が鳴ったという。
 仙台市内の荒浜・三本塚・下飯田新開は荒地となり新田開発が行
 われた。岩沼辺では家屋残らず流出。
 相馬中村海岸に被害(死700人)
 今泉(陸前高田市)で、溺死50人。家は殆どながさる。
 宮古でも一軒残らず波にとられる。
 津波の波源は昭和8年の三陸地震の波源とほぼ一致する。
C:『ビスカイノ 金銀島探検報告』(ノート#1)
D:記載なし

慶長地震#12015/02/16 20:23

『ビスカイノ 金銀島探検報告』


陸前高田市のSさんが注目する「慶長大地震」に関する同書中
の記述:

慶長16年10月28日 於、越喜来

「海水は3m89cm余の高さをなして其堺を超え、異常なる力を
以て流出し、村を浸し・・・海水は此間に3回進退し、土人は其
財産を救ふ能はず、又多数の人名を失ひたり。此海岸の水難
に依り多数の人溺死し、財産を失ひたることは後に之を述ぶ
べし。
此事は午後5時に起こりしが我等は其時海上に在りて激動を
感じ、又波濤会流して我等は海中に呑まるべしと考えたり・・・」

同年11月1日 於、今泉(おそらく陸前高田)

「同所(今泉)にては前記の海水漲溢のため村の家は殆と皆
流され、50余人溺死したることを發見せり・・・」

但し、手元の『日本史年表』(歴史学研究会編、1993年、岩波
書店)では、

「慶長元年閏7月、近畿地方大地震(慶長の大地震)」

と載っていても慶長16年の地震は記されていない。

これもSさんが既に指摘していることだけれども、やはり不思議
なこととしてメモしておく。

『江戸から見た原発事故』#22014/10/16 12:53

>住民の生活を根こそぎにした破壊の凄まじさは、どちらも(原子爆
 弾も原子力発電も)同じだ。・・・杜撰な原発の管理がしだいに明ら
 かになると、太平洋戦争を遂行した指導部の無能ぶりが重なる。

 そもそもは地震が発生したことが、終わりの始まりだった。天災が
 起こり、人災に続いた。・・・巨大な波は易易と人智を超えた。・・・
 地震と津波の惨劇の後、原発事故のニュースが伝わってくる。全
 電源喪失という初歩的にして致命的なミスを起こして。

>広大な領域が一夜にして人の住めない土地になった。・・・
 避難途中に息を引き取る高齢者や病人も少なくない。計画してい
 た生活は途絶し、仕事を失い、生きがいもなくなった。・・・誰も
 ちゃんと書かないが、犯罪性の強い悪事に身を落とす者もいた。
 
 連帯感を表す「絆」という呪文が流行ったのは、その背後の闇を
 隠すためのものかもしれない。

 ・・・『福島原発と被曝労働』では、中世の煙突掃除と同じような作
 業が・・・それも大量の人が必要なのだ。福島第一原発では現在、
 一か月に3~5千人ほどが被曝しながら働いている。彼らの殆ど
 は下請けで、いびつな下請けの多重構造が慣習化され、それぞ
 れの段階でピンハネが行われる。
 問題なのは、このようなことが放置されていることだ。放射線被
 曝の恐怖と戦いながら働いている彼らの存在によって、かろうじ
 て再度の水素爆発が食い止められている。
  
 下請け労働者が仕事を放棄したときどうなるのだろう。
 原発の最先端で危険な労働を引き受けている人たちも、砲弾
 の飛び交う戦地を匍匐前進している兵士も、どちらも犠牲者な
 のである。
 加害者はもちろん日本神国不敗信仰をふりまいたり、原子力
 安全神話を言いつのってきた者たちだ。

『江戸から見た原発事故』(塩見鮮一郎著)2014/10/15 12:17

あの時こうしていたらの近代日本史

Chap.1 幻影エドの再現(明治の滑稽)

Chap.2 震災後の恐怖(大正の明暗)

Chap.3 近代超克ゲーム(戦前昭和の陰鬱)

Chap.4 市民と政治のたわむれ(戦後昭和の変転)

Chap.5 ついに君を見たか(平成の地獄)

>福島の原発事故の凄まじさ・・・それまで考えていなかった脅威が
 現れる・・・廃炉までにどれほどの年数と金額がかかるのか、原発
 事故の全体像がわからない。とんでもないことが進行しているの
 に、その意味が汲み取れない。底なし沼なのか、足が底につかな
 い。知りたくないという恐れがつきまとい、中途で思考が停止する。
 
 何がこのような限界状況を日本に齎したのか。

 「江戸」にカウンター・ポイントを置き、今の社会状況をハッキリさせ
 よう。江戸~明治~大正~昭和~平成・・・
 戦後の日本は維新後の日本を繰り返した。いずれも結末は暗転
 し、原子核の凄まじい惨禍に到る。

>平成の地獄

 なにもかもが坂を転がり始めた。ちょうどミッドウェイ海戦で、暗
 雲がたれこめてきたみたいだ。企業が利益を継続して上げるた
 めには、時には回り道をしなければならないと教える人はもうい
 ない。すべての企業で賃金を切り詰めたものだから、人々が消
 費に向ける金額は激減した。

 最も安易な道を探して、日本の会社は漂流した。「一国経済主
 義」を忘れると、その国は決まって退潮する。低賃金を求めて
 アジアに工場を移転するのは、相手国の富を収奪するうまみが
 あるからだ。かつての女工哀史と変わらない。

 アジアでの低賃金労働の利用は、日本国内に跳ね返って、賃
 金を抑制する作用を齎した。膨大な数の「非正規労働者」が巧
 妙につくり出され、国内にアジア的な労働市場が生まれた。
 軟弱地盤・液状化地面に立つ高層ビルが今の日本の経済であ
 る。

 「強兵」の果てに「廃墟」が訪れたように、今度は「富国」の先に
 「破綻」が待っていないだろうか。

阪神大震災メモ #142014/05/14 19:14

「二つの焼け跡」(諸井薫、『PRESIDENT 1995.3』)

「この二十世紀における二大災禍(大正12年の関東大震災、昭和
20年の東京大空襲)と比べたら、今回の阪神大震災の被害はケタ
はずれに小さいわけだが、・・・(被災した)人達の受けた精神的打
撃は、逆に比較にならないほど深く重いように思われてならない。
(中略)
大空襲も大震災も遠い歴史の一齣となってセピア色に変色し、バ
ブルはじけの平成不況とやらも、慣れてしまうとさほどのものでは
なく、・・・ボスニア・ヘルツコビナや、ルワンダでどのような殺し合
いがあろうが、チェチェンで凄惨な市街戦が続こうが、それこそ対
岸の火で・・・だが、恐怖体験はそれがどのように凄まじいもので
あったとしても、時が癒して忘れさせてくれるだろうが、時間が経
つにつれて、かえって絶望が募り、死への誘惑に駆られるという
こともあるに違いない。」

「つい昨日まで親しく往き来していた隣家の老人が、倒壊した家
屋の下敷きとなって、声も立てずに一瞬のうちに圧死を遂げ、生
き残った隣人は、その死を惜しんで泣いたが、四、五日して、自
分の置かれている状況を確認すればするほど、あっけなく圧死し
た老人をむしろ羨望し、生き残る方がはるかに地獄だったと・・・
その人は、今度六十で定年を迎え、三十八年勤めた会社を辞め、
友人のやっている小さな製靴業の下請け会社に、第二の就職が
内定していた。家は三十坪ばかりの一戸建てだが、一度建て替え
たその建築費のローンが、元利合わせてざっと六百万円ばかり残っ
ていて、後七年は返済が続く計算だ。・・・定年後ももう一ふんばり
だと自分で自分に言い聞かせていた矢先の、この降って湧いたよ
うな大地震だ。家は半壊というところだが、とても住める状態では
なく、取り壊して建て直す以外にはない。しかし、ローンの残債が
ある上にさらに新しい借金などできるわけがない。退職金も年金
も老後生活資金に当てる予定だから、他に転用はできない。さら
に参ったのは、新しい就職先である神戸市長田区にある製靴会
社が全焼し、肝腎のそこの社長である友人が焼死してしまったこ
とである。」

「考えてみれば、国や地方自治体がしてくれることといえば、ら災
して小学校の避難所にいる間の食事の面倒くらいなもので、一段
落すればおしまいだ。仮設住宅とやらも一時的なもので、生活を
建て直すまでどうぞお使いくださいというものでもない。その人が
私に言ったしめくくりの言葉はこうだった。
『・・・結局平和ボケなんですな。・・・所詮人生は、自分のことは自
分で守るしかないんですよ』」

阪神大震災メモ #132014/05/05 19:10

「1.17書かれざる首相官邸」
(麻生幾、『文藝春秋'95.3』)

(時間系列に関する記述は引用符を略して引用する)
午前5時46分  発災
午前7時    首相起床
午前8時前   公邸出発→ホテルオークラ(味の素名誉会長との
朝食会)
午前9時19分  官邸に戻る
午前9時20分  月例経済報告関係閣僚会議
午前9時50分  警察庁から初めて被害の具体的情報発表:「死
者22人、負傷者222人」
午前10時    兵庫県知事から自衛隊に対して出動要請
午前10時4分  定例閣議
午前10時39分 防衛庁長官と官房長官らが官邸入りして対応協議
開始
午前11時5分  21世紀地球環境懇話会
午後12時7分  政府与党首脳会議
午後2時7分  首相執務室にて、国会施政方針演説検討会(河野
副総理、武村蔵相、羽毛田主席内閣参事官)
午後4時    阪神大震災緊急記者会見

「新聞では『政府の対応が決まってから記者会見をした方がいい、
とする事務方の反対を押し切り、自ら陣頭指揮をとる決意を示した』
などと首相リーダーシップにエールを送っている。しかし事実はまった
く逆で、実は村山首相は、記者会見を翌18日の午後にセットするよう
事務方に指示していた。それがなぜ急に開かれることになったかと
いうと、後藤田正晴元副総理や自民党の重鎮二人から村山首相に
直接、電話が入ったからである。
・・・(首相は)親に叱られた子供のようにしゅんとなり、あわてて記者
会見を開くことになった、というのが真相である。」

「今回の大震災では、官邸にとって不運な出来事があった。こうした
災害の場合、・・・関係省庁から報告を受け、かつ指示する役目は、
警察庁から出向している首相秘書官が負うことになっている。ところが、金重首相秘書官は当時、たまたま父親の葬儀のため、福岡県小
倉市内の実家に帰っていたのである。・・・問題は、バックアップ態勢
がなかったことだろう。
金重秘書官が不在なら、自動的に大蔵省から出向している内政担
当の秘書官が首相の「災害担当補佐官」となる。・・・今回の「災害
担当補佐官」が当初、情報収集を必死に行った形跡はみられないし、首相や官房長官もそれを指示していない。」

《気象庁の動静》

午前6時5分 「地震情報第1号」緊急FAX→国土庁、気象庁
(第1号の内容は<京都などで震度5>)

「この第1号FAXは、国土庁に詰めている情報連絡要員といっても、
その実体は民間警備員である。その民間警備員から、コンピュータ
ーに自動的に組み込まれたシステムによって国土庁主要幹部の自
宅の電話とポケベルが一斉に鳴らされ、緊急招集がかけられた。」

午前6時19分 「地震情報第2号」→国土庁、気象庁
(内容は<神戸、淡路島は震度6>)

《防衛庁の動静》

午前6時  中央指揮所から緊急第1報(電話)→防衛庁主要幹部
陸上自衛隊中部方面総監部方面隊「第一種勤務態勢」
午前6時30分  同隊、全隊員非常呼集と同時に「第三種非常勤務
態勢」中部方面航空隊、小型観測ヘリコプター2機が被災地上空を
飛ぶ(手持ちビデオによる撮影)
午前11時  災害対策関係省庁会議(22省庁の被害情報交換)で、
防衛庁は情報発表せず。現地情報を上げたのは、気象庁、消防庁、
資源エネルギー庁と郵政省だけ。・・・(上げれば)いいというもの
ではない。例えば、消防庁のそれは、「死者1人。負傷者54人。道路
5箇所。水道断水132戸。電気停電210戸」であった。

「駐屯地に帰ってきた偵察ヘリ要員、撮影したビデオカメラを机の
上に置きっ放しにして別の場所に行ってしまった・・・関東地域での
大災害の場合は、偵察ヘリが撮影した映像が、・・・中央指揮所に
自動的に送られ、指揮官はリアルタイムで被災地の状況を見るシ
ステムになっている。ところが関西地域はこのシステムがまだない
ため、航空機などで緊急に運ぶ必要があった」

午後3時  同テープ東京着

《警察庁の動静》

午前6時30分 地震災害対策室設置、大阪府警本部と兵庫県警
本部に機動隊出動命令発令

「大阪府警本部と兵庫県警本部、さらに徳島県警本部から、偵察
のためのテレヘリが現地に飛んでいた・・・このテープも十七日中
には警察庁に届けられていない。テレヘリは、東京ならすぐに警察
庁四階のオペレーション・ルームに電送され、警備担当者は大き
な画面でリアルタイムで被害状況を見ることができる。ところが、
関西にはまだシステムが完成していないのです」


以上に付け加えると、警察庁は独自のマイクロ回線を有し、大地
震でも破壊されず、通信に支障はなかった。けれども、現場の警
察官は想像を越える被害に遭遇し、救助活動にすべての労力を
割いてしまった。消防庁は災害時優先回線は確保されていたが、
現場の自治体が機能していなかった。また、衛星通信回線は10
時から13時まで不通。さらに消防防災無線は現地停電で使用不
能であった。
このような状況であったればこそ、首相が指示を出さなければな
らなかった
のである。

阪神大震災メモ #122014/04/20 19:07

「兵庫県知事からの発言」
(貝原俊民、『文藝春秋 '95.3』)

(編集部前言:・・・混乱の中、被災者たちが切に願ったのは、行政
の危機管理能力の発揮ではなかったか。自衛隊への出動要請が
遅すぎたのではないか?防災計画に不備はなかったのか?情報
収集のまずさ、初動態勢の遅れなど、兵庫県行政の問題点を指
摘する声も多い。当事者である知事は、巨大地震に直面して何を
考え、どう対処しようとしたのか。・・・貝原知事に胸中を問う。)

「いくつかの誤解は解いておきたい。午前十時、自衛隊に対して出
動要請をだす。後に国会で、十時とは遅い、という話が出た。しかし、
これは自衛隊と警察、そして自治体の災害対策本部との関係、そ
の仕組をご存知ない方の意見だ。
自衛隊が大々的に出動するには、知事からの正式な要請が必要
となる。しかし、自衛隊というのは、知事が出動要請をしてから準
備を始めるというものではない。災害が発生すれば、現場の各担
当者同士ですぐに連絡をとりあう。今回も、六時三十分の時点で、
すでに警察から自衛隊に情報が入っている。また七時には県の職
員と自衛隊の間で交信が始まっている。『大変な事態なのでいず
れ出動を要請する。準備してほしい』という話をしているのだ。・・・
十時というのは、自衛隊としてもおおよその状況を掴み、出動準
備が整ったから、いよいよ知事から要請してください、という時刻
なのだ。」

ここまでは、概ね、お説の通りである。

「専門家の方々が、このような直下型の大地震を想定していな
かったのと同様に、私たちもまた全く想定していなかった。・・・
(県が想定していたのは)震度六でも、震源地が遠方であるとい
う想定だった。」

「また、自衛隊との連携が悪く、訓練もしていなかったのではない
かという批判もあるが、そんなことはない。たとえば平成六年八月
四日には、私が本部長としてマグニチュード七.五、震度六を想定
した総合防災訓練を自衛隊と合同で行っている。」

「が、今さら何を言っても弁解にしかすぎない。・・・」

前提でまともなことを言っているからといって、流されないように
注意が必要である。
先ず、自衛隊との合同訓練である。毎日新聞のデータベース
(兵庫県版があるので)を引いてみたが、この訓練は出て来ませ
ん。もちろん、震災以前における合同訓練は記事としてはありま
せん。しかし出典不明ながら、別の情報として、同年同月・日の
尼崎市総合防災訓練に、伊丹普通科36連隊、京都府第3施設
大隊と大阪府中部方面航空隊から約60名の自衛隊員が参加し
ています。おそらくこれだけだと思われます。これで、十分か否か
は色々な考え方があるでしょう。

次に、直下型の大地震を想定していた者はいなかった、と仰って
います。ならば、次のような記事はどのように読めばよいのでしょ
うか。

「陸自作成の『大震災・阪神地区編』が想定していた「被災」の酷
似点」(『サンデー毎日 ’95.2.26』)

「その調査書は『大震災地誌・京阪神編」という・・・(作成者は)中
部方面隊総監部(伊丹市)・・・紀伊半島沖で発生する海洋性巨大
地震を想定した《阪神地区編》と、京都府付近で発生する内陸性
直下型地震を想定した《京都地区編》の二編、・・・完成は昨年五
月である。」

その内容は、「長田の大火」「高架の損壊」等、「震災前に作成さ
れたこの文書は、阪神大震災後三十日の現実を驚くほど的確に
描き出し」ている、と同編集部は評価している。問題は、もちろん
これの活用のほうである。

「陸自はこの調査書を完成後すぐに、中部総監や第三師団を通
じて近畿地区の自治体に直接持ち込んでいた。受け取った自治
体は京都府、大阪府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県、そし
て京都市、大阪市、神戸市の政令指定都市である。
では、各自治体はこれをどのように扱ったのだろうか?・・・『受け
取った記憶はあるが、震災でロッカーの中がぐちゃぐちゃになっ
ていて、どこにあるか分からない。内容については思い出せな
い』(兵庫県消防交通安全課)。『そういう調査書については、記
憶がない。自衛隊への派遣要請は知事がすることになっているので、市が直接、自衛隊とお付き合いするというシステムにはなって
いない』(神戸市庶務課)。」