アモリ人#21997/04/02 19:12

「アモリ人」第五章
(ワイズマン『旧約聖書時代の諸民族』)

--p.163--
「カナン方言」は「アモリ語」の地方派生にすぎない。
カナン人(シリア・パレスティナのL.B.A.)と結び付けられる文化
要素は、アモリ人に遡る要素の一地方的発展である。
従って、アモリ人とカナン人は、起源、文化、あるいは到来の時
期の点からも、二つの民族に分けられるべきではない。しかし、
「カナン人」という語が、前二千年紀中頃から、以前「アモリ人」と
いう語で呼ばれていた住民の一部を指すようになったのである。

--p.166--
※ シュメール語>マルトゥ
 アッカド語 >アムル

(ウル第三王朝時代)
ニップールに近い家畜集収センター、ドレーヘムにおいて、マル
トゥ人たちは主に羊と山羊の供給者として登場(遊牧民生活)す
る。一般的な観点からは、発祥の地にごく近い、北部の場所(ド
レ-ヘム、イシン)においては、マルトゥ人たちは外国人として資
料に現れ、ウルの行政機関との接触も交易的なものであった。
他方、シュメール本国においては、マルトゥ人たち定住者として
現れ、特定の仕事を通して、ウルの行政機関の命に服していた。
ここでは、現地社会に同化する過程にあった移住者である。

--pp.168-169--
シリア(アモリ人の出身地)出土考古資料:
青銅器時代の遊牧生活は農業と牧羊とを兼業した「二形態」社会
に属するグループによる短い距離の季節移動であった。二つの構
成要素の間の分化は単に技術経済的なもので、遊牧民と農民は
共に一つの民族集団を形作っていた。

アモリ語とカナン語の差異は、前二千年紀中葉まで認められない。
・・(前1600年以降)・・アモリ語の総体的統一性が崩れて幾つもの
方言に分解をはじめ、前一千年紀に入ってアラム語とカナン語を
区別するに至った。

--pp.170-171--
初期青銅器時代最後の段階(前三千年紀後期)にあった諸都市
(エブラ、アルマンヌ、アムク、ハマ、他)は、造形芸術にメソポタ
ミアの影響が認められる豊かな文化と、宮殿、神殿、要塞に見ら
れる発展した建築技術をもっていた。
都市の発達、農業経済、王室主導型の政治組織、メソポタミアの
各中心地との商業的外交関係といったような性格は、中期青銅
器時代(前二千年紀前半)のシリア・パレスチナ文化にも見られる。
マリとアララクⅦからの出土テキストを読むと、この文化がほとんど
アモリ的な民族基盤を持っていたことが分かる。

初期青銅器時代と中期青銅器時代の間の突然の変化・・・この中
間期および初期青銅器時代末期(と後の中期青銅器時代)の都市
文明は、アモリ人が遊牧民、あるいは一部都市住民として生活した
環境であると考えられる。

--pp.175-176--
マリ文書は、アモリ起源の西方遊牧民を、町々との接触を経て解
体していく時点においてのみならず、実際の環境の中で観察する
最初の機会を提供する。その生計は小型家畜の飼育を基礎として
いた。遊牧民も、限られてはいたが農業の経験を持っていたので、
必要な期間ある一定の場所に留まるか、あるいはグループの一部
をそこに残して仕事をさせるかした。都市国家との関係を見ると、
・・・不毛なステップよりも水と牧草を豊かに提供してくれる適切な耕
地こそ、彼らが固執した目的の地であった。他方、仕事を求めて都
市に流入する遊牧民も切れることがなかった。
カルケミッシュ、アレッポ、カトナ、アララク、ハツォルといった大中心
地は、当時の政治・通商世界に完全に組み込まれており、地方色を
保ちつつもメソポタミアの中心都市と共に、均質な共通文化に参加
していたのである。

--p.179--
前一五世紀の末になって、(アムルと呼ばれた南シリアの一地域)
は、つまりは山岳地方(レバノン山脈)であり、周辺には都市の密
集地域と農耕地があったのである。・・・人びとの遊牧民的性格、
そして今やアムル王国となった地方の孤立性が「アムル」という語
の用法と遊牧民的意味合いを結び付けるに好都合な要素である。
・・・「アムル」という語は以前、シリア全体の名称であったが、シリ
アの他の部分に特定の政治秩序が成立し、それぞれが特定の名
前を帯びるようになった後、アムルは奥地の山岳部を指示するた
めに用いられた。

--p.181--
(アムル王国に対する)強固なヒッタイト支配は変わらず、前一三
世紀末まで・・・前一二〇〇年頃にシリアに起こった大侵略と社会
・政治危機は、独立国家としてのアムルの存在に終焉をもたらし
た。

--p.187--
ビブロス北方の特定地帯としてのアムルの用法は、「約束の地」
征服の時代に特によく使われた意味である。(ヨシュア記13.4-5)

--p.188--
このヨシュア記の箇所は、「アモリ人」という語が後期青銅器時代
を通して活動的であったアムルの地域を暗示する唯一のもので
ある。