元ターパラン開拓団員かく語りき2006/12/10 11:49

満蒙開拓団の歴史を残したビデオ映像を上映し、
それに対してのコメントを大八浪開拓団団員と
して3年間生活した方(その後は召集されて京
城守備兵)のお話を聞いた。

映像は、時折、断片的に見たことのあるニュース・
フィルムや当時のプロモーション用映画フィルムを
編集し直して、歴史物語に仕立て上げられたもの
の、第一部(開拓団入植)であった。

永田拓務大臣の演説「満州へ進め!産めよ、開けよ!
開けよ、産めよ!」から始まり、開拓青少年義勇団
や女子義優隊の集団神前結婚式、入植団員家族の
日常生活風景満載であった。いろいろ発見のある映
像であったが、ここはその話ではない。

私を含め、会場の雰囲気から、ほとんどの人が映像
自体を疑ってはいなかった、と思う。
ところが、元団員は開口一番、開拓(田畑の開墾風景)
はウソであると言った。つまり、「自分は鍬を振るったこ
となどないのだ」、と仰られたのである。

では、何があったのか?

中国人が営農している田畑を強奪に近い形で買い上げ、
それを団員に再配布したのである。つまり、渡満すれば
たちどころに20町歩の地主様になれた。元の所有者で
ある中国人を雇って耕すのだ、とのことであった。

ちなみに当時の、その方の実家は6反歩で自活すれすれ
の生活であった、ということである。
しかも、支度金が200円支給された。村役場に勤めていた
父親の月給が25円で、100円は彼に「ポッポされた」とも。

これが、15歳の少年の人生の知恵であったのか、どうかは
分からない。しかし、国策は昔も今も変わらずに行われて
いることに違いはない。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://shoyuclub.asablo.jp/blog/2006/12/10/4608262/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。