ローマ・カトリック教会の説く正当防衛#62022/04/22 13:21


>キリスト教における正戦論

 一般には、アウグスティヌスがキリスト教的正戦論
 の源泉と見なされている。彼はもちろん戦争そのも
 のを肯定するわけではない。「ダリウスへの手紙」で、
 剣を持って敵を殺すよりも、言葉によって戦争を終
 わらせるほうが大きな栄誉に値する、と述べている。
 しかし、複数の文書で、キリスト教徒が兵役に就く
 ことは許容しており、軍務自体が信仰に反するとは
 考えなかった。
 ・・・善を行うことを妨げるのは「軍務」militia ではな
 く、「悪徳」malitia である・・・
 アウグスティヌスは、イエスの非暴力の教えを「内
 面化」して解釈すること、つまり心の問題として解
 釈することで、やむをえない限りの暴力は正当化
 したのである。彼によれば、自分の命を守るため
 に相手の命を奪うことは間違いであるが、他者を
 助けるためには戦う義務があるとされる。私人に
 は、法律はやむをえなければ自分を守るために
 相手を殺す許可を与えるが、そうするように義務
 付けているわけではない。しかし兵士には、法律
 は単に許可を与えているのではなく、罪のない人
 を守るために不正な相手を殺す義務や、悪人の
 死刑を行う義務や、武器を使って敵と戦う義務を
 負わせている。アウグスティヌスによれば、公的
 な次元では正当な武力行使、殺人はありうるの
 であって、正しい戦争で人を殺す兵士や死刑を
 執行する刑吏は、殺人者ではないと考えたので
 ある。

 アウグスティヌスの戦争に関する要点は、
 (イ)戦争は領土拡大や相手財産の略取などの
    目的のためには正当化されないということ
 (ロ)正しい戦争は合法的な権力によって実行さ
    れなければならないということ
 (ハ)戦争で暴力を避けることができないにして
    も、その動機の中心には愛がなければなら
    ないということ
 である。

 アウグスティヌスの考えを踏まえて正戦論を整理
 し、現代にいたるその議論の原型をつくったのが、
 トマス・アクィナスである。彼は、ある戦争が正し
 いものであるための三条件を提示している。

 (イ)「正当な権威」:戦争は私人に属する仕事で
    はなく、戦争を行う際の全権と決定は君主の
    権威によらなければならない
 (ロ)「正当な理由」:攻撃される人たちには、何ら
    かの罪のために攻撃を受けるに値すると
    いった原因がなければならない
 (ハ)「正当な意図」:戦争は善を助長し悪を避ける
    といった意図のもとで遂行されなければならない

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://shoyuclub.asablo.jp/blog/2022/04/22/9489342/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。