『実践 快老生活』 #22019/01/02 09:25

「歳をとる」とはどういうことか?

>歳をとってみないとわからないことがある

結局のところ、自分、そして自分の愛する家族の生活は自分で守る
しかない。・・・自らの足元を着実に固め、自分の老後を充実させる
工夫を一つでも重ねたほうが良い。

>散歩好きだった私が存分に歩けなくなった

>歳をとると自然に矩をこえなくなる

この歳になると、矩をこえこえようと思っても、もうこえられないので、
ある。・・・若い女性に関心がなくなり、むしろ自分と同じくらいの高齢
の女性に関心が出てくる。関心といっても、話が合うから楽しいといっ
た意味での関心である。

>「漱石はまだ若かったんだなぁ」

この歳になってみると、『こころ』に書かれた内容はおかしいのではな
いかと思えてくる。・・・本当にそれが感動できる話なのだろうか。・・・
奥さんは訳もわからず夫婦生活を送り、子どもをもうける幸せを奪わ
れた。そして、夫に自殺されてしまったことになる。・・・
「先生」の奥さんの気持ちはどうなるのだろうか。
「先生」の懊悩などは結局は自分だけのことであって、奥さんのほう
がよほど可哀想ではないか。・・・今の私は、若い自分がなぜあれほ
ど感動したのか、よくわからない。若い頃の私は奥が深いと思って読
んでいたけれど、今ではそうとも思えない。感動するようなたいした話
には思えないのである。漱石が『こころ』を書いたのは47歳頃のこと
である。漱石よりも40歳ほども年長となった私からみれば、「漱石は
まだ若かったんだなぁ」と感じられてしまう。

私小説的な読み物は年寄りには馬鹿馬鹿しい。『道草』も実に馬鹿
馬鹿しい。歳を重ねると、若き日の悩みの多くが実に取るに足らな
いものでrあることがよくわかるようになる。

>詩は何歳になっても感動できる

詩には、自らの内なる何ものかを呼び出してくれる力があるので
あろう。

>歳をとっても記憶力は衰えない

記憶力は鍛えることができる。
おそらく50代の半ばから、ラテン語を覚えることに取り組んだこと
が、記憶力を鍛えることに繋がったからではないか、と思う。
・・・(『ギリシャ・ラテン引用語辞典』の暗記)・・・これにより、ラテン
語修行に弾みがついて、結局、50代半ばから始めて辞典を2回や
ることができた。今は、3回目に入っている。
この暗記修行の最大の収穫は、この歳になって記憶力自体が強く
なったと思えることであった。

もっとも、物忘れがなくなったわけではない。中身のあるものや、意
味通るものは、歳を取るほど暗記できるようになるのかもしれない。
80歳を超えて、今度は英詩の暗記をしたくなってきた。やりだすと
暗記するスピードがどんどん速くなって簡単に覚えることができる。

※ Anabel Lee は、ポーが40歳で亡くなった年(1849)に書かれた。
   ポー(20歳)=ヴィクトリア(6歳);結婚は27歳と13歳の時
   ヴィクトリアの享年は24歳
   She was a child and I was a child ...

  ポーは天才だった。飲んだくれの天才だけれども、
  ケルト的な空想性
  数学的な厳密性
  を兼ね備えた詩を生み出し、フランス象徴詩の先駆けのような
  存在。

>能力は鍛えられると教えてくれた露伴『努力論』

  「心は気を率い、気は血を率い
   血は身を率いるものである」

足を強くしようとするする人は、ただ、ブラブラ歩くのではなくて、
一歩一歩に心を入れれば良い。すると心に従って気が脚部に
注ぎ入り、さらに気に伴って血が脚部の筋肉に充ちるようになる。
露伴は、これは脳にも適用できるともいう。