セネカ#11 ― 2020/06/28 08:25
>手紙17・18:ゼロに戻るレッスン
「僕の財産が僕を引き留める。だから、僕が何の働き
もしなくなっても財産が十分にあって、貧乏が僕の負
担に、僕が人の負担にならぬよう、今のうちに調えて
おこうと思う」
そんなことを言うようでは君は未だ、君が心にかけている
哲学という善の力と能力がよく分かっていないようだ。
「君が求めていること、哲学の先送りをしてまでやり遂げ
ようとしているのは、貧乏を恐れないでも済むようにな
りたい、ということだ。では、逆に貧乏は求めるべきもの
だとしたら、どうかね?
多くの人にとって哲学に入ることを妨げたのは、実は富な
のだ。貧乏は自由で、何の心配もない。洪水警報が出て、
貧乏は何処へ逃げ出すかを考えるが、何を持ち出すかは
考えない。空腹は安くてすむが、奢った口は高くつく。貧乏
は差し当たりの要求が満たされさえすれば満足する。・・・
君が精神を自由にしたいなら、貧乏になるか、貧乏の真
似をしなければいけないんだ。求めることを少なくしようと
努めない限り学問は有効でなくなる。求めることが少ない
とは、自分の自由意志で行う貧乏だ。だから、「しかじか
の額に達したら、その時こそ本当に完全に哲学身を捧げ
よう」などという言い訳はやめるんだ。だがしかし、そう
やって君が先送りし、一番最後に手に入れようとしている
ものこそ、実は何よりも先に求めなければいけないものな
んだ。それからこそ始めるべきなんだ。・・・
ここで約束されているものは、何ものをも恐れぬ永遠の
自由だからだ。
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