バクチは人生の教科書である#22019/01/12 10:08

ガマンはやめよう:

僕らは焼け跡の中で、みんな不良少年だった。それがいつの間に
か高度成長になり・・・円高の波をくらって、・・・気がついてみたらモ
ヌケの殻の自分がいた。足元を見透かされ、要するに、戦後民主
主義のモルモットにすぎず、「一生懸命働けば報われる」というお
めでたい半生を送ってきた。

永井荷風は三十歳で慶応大学教授となったが、・・・女と別れると
きは、弁護士を介すのが荷風流であった。・・・一代の蕩児荷風は、
最後は、破れ畳の上で、誰にも看取られずに死んだ。それが不良
老人荷風の面目である。

愛と尊敬のない家庭なんて捨ててしまえ。・・・悲しいことに、「去
勢されたオス軍団」としての自覚のなかに、ひたすら無為の日々
を過ごす・・・先ず、最初にやることは会社を辞めることだ。・・・

不良の条件:

(1)バケることから始まった・・・自分をだます味・・・いつもニコ
ニコして、決して怒らず、・・・そのぶん偉そうに振る舞い・・・そ
のうち、「独善的だ」「カッコつけている」「自己中心的エゴイスト」
と言われるようになった。そのあげく、かたっぱしから、

(2)女に嫌われるようになった。
これが不思議と不良の快感なのであった。もともと女にはもてな
かったが、さらにもてなくなった。しかし、他人にアッと言われるよ
うな女には好かれたのである。・・・不良レベルが上がったように
感じた。・・・(会社を辞めたら)女も離れて行った。女は、雑誌編集
長としての僕に好意を寄せていただけで、僕個人に好意を寄せて
いたのではない。・・・当然のことを経験するのも不良の修行になる。

(3)会社を辞める・・・怖いものはなんにもない。ただ収入がなくな
るのが困った。・・・しかし、金がないというのは、やってみると、そ
れほどどうということはない。・・・それで、

(4)コジキをした。物乞いをするわけではなく、住所不定者で、
・・・新橋のガード下に坐って一日中寝ていると・・・不良の根性を
磨いたような気になった。世間の常識を裏側から眺めると、それま
で見えないものが見えてきた。それでも一年たつと飽きてしまって、

(5)再就職をした。・・・出版社を作って・・・宣伝のために

(6)テレビに出た・・・(年収1億円時代・・・金を使ってのやりたい
放題の不良)・・・

(7)吐血した・・・(入院)・・・(株でスッカラカン)・・・

(8)バイク乗りになる・・・ぼくは正常な社会人である。・・・フツー
に暮らしながらも、世間のルールに嵌められて、お仕着せの一生
を過ごすのが嫌なだけである。ちょっと不良になればいい。

(9)ビンボー・・・五十歳になったとき、もう、ムキになって金を稼ぐ
ことはない、と決意した。・・・本当に自分本位に生きるのはこれか
らで、なにをやってもいいのだ。
ゴーガンが安定した仕事を放棄して、ある日突然「画家になる」と
言い出した・・・

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