『ペスト』#52020/04/17 16:57

>数日後に、何びともこの町から出られる望みはないことが明ら
 かになった時、人々は、病疫の始まる前に出て行った人たちの
 帰還は許されるかどうかということを、尋ねてみる気になったも
 のであった。数日の考慮の後、県庁は肯定をもって答えた。そ
 れに説明を加えて、復帰者はいかなる場合にも再び町から出る
 事はできないということを明確にした。
 それでも未だ、若干の家庭は事態を軽率に判断し、身内の者に
 再会したいという当面の欲求をあらゆる用心よりも先に立てて、
 相手にこの機会を利用することを勧めたのであった。

 しかし、極めて速やかに、ペストの虜となっていた人々は、それ
 によって近親者を危険に曝すことを理解し、あきらめてこの別離
 を忍ぼうとした。・・・別離は、もう明白に疫病の終わるまで終わ
 らないわけであった。そして、我々すべての者にとって、我々の
 生活をなしていた感情、しかも我々が十分知り尽くしていると思っ
 ていた感情が、一つの新たな相貌を呈してきた。

 妻や恋人に最大の信頼を抱いていた夫や愛人たちが、自ら嫉
 妬深い男であることを発見した。愛情に軽薄であると自認して
 いた男どもが、変わらぬ誠実さを取り戻した。母親のそばで暮
 らしながら、ろくにその顔を眺めようともしなかった息子たちが、
 絶えず思い出につきまとう彼女の顔の皺の一筋に、あらゆる
 不安と心惜しみを注ぐようになった。

 この出し抜けの、繋ぎ目のない将来の予想もつかぬ別離に
 我々はただうろたえさせられ、今なお極めて近くしかも既に
 極めて遠いその面影の思い出に抗する術も知らぬ状態で、
 今やその思い出が我々の日々を占領していたのである。
 事実上、我々は二重の苦しみをしていた。
 第一に我々自身の苦しみと、それから、息子、妻、恋人など、
 そこにいない者の身の上に想像される苦しみと。
 同時にまた、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々巡
 りするより仕方なくさせ、そして来る日も来る日も空しい追憶
 の遊戯にふけらさせたのである。・・・ペストが我が市民にも
 たらした最初のものは、つまり追放の状態であった。