『ペスト』#102020/04/27 16:30


>リウーは受信機のスイッチを回してみることがあっった。す
 ると世界の果てから、幾千キロをよぎって、未知の友愛の幾
 つかの声が彼らも妻帯者であることを言おうと、無器用に努
 力し、そして事実それを言うのであるが、しかし同時に、自
 分の目で見ることのできぬ苦痛はどんな人間でも本当に分
 かち合うことはできないという、恐るべき無力さを証明するの
 であった。

>事実上、8月の半ばというこの時期には、ペストが一切を覆
 い尽くしたといってよかった。もうこの時には個人の運命とい
 うものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべ
 ての者が共にした様々の感情があるばかりであった。その
 最も大きなものは、恐怖と反応がそれに含まれていることも
 加えて、別離と追放の感情であった。
 それ故に筆者は、この暑熱と病疫の絶頂において、総括的
 な状況と、そして(例証的な意味で)生存者市民の暴行、死
 亡者の埋葬、引き離された恋人たちの苦しみなどについて
 書いておく。

 市内それ自体の中でも、特に被害のひどい若干の区域を
 隔離して、そこからは必要欠くべからざる職務を持つ人間
 しか出ることを許さないようにすることが考えられた。
 ほぼこれと同時期にまた、特に市の西口あたりの別荘地
 において、火事が頻々と起こるようになるという事態が生
 じた。
 予防隔離から帰って来て、喪の哀しみと不幸に半狂乱に
 なった人々が、ペストを焼き殺すような幻想に駆られて、
 自分の家に火をつけるのであった。こういう企てを押さえ
 るのは非常に骨が折れ、それが頻発することは、・・・当
 局によって行われる家屋の消毒だけで、病毒汚染のあら
 ゆる危険を駆逐するに十分であることを如何に証明して
 みても空しく、その挙げ句、これらの罪なき放火者に対し
 て極めて厳重な刑罰を公布しなければならなかった。
 しかもおそらく、この不幸な人々をその時に逡巡させたも
 のは投獄という観念ではなく、すべての市民に共通の確
 信、つまり市の獄舎において指摘される極度の死亡率の
 結果、投獄の刑は死刑に等しいという確信であった。

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