八重桜2020/04/22 05:51


『ペスト』#8-12020/04/23 18:02


>(Fr.パヌルーS.J. 説教)

 皆さん、あながたは禍の中にいます。それは当然の報いなので
 あります。この災禍が初めて史上に現れたのは即ち、神の敵を
 打ち砕くためでありました。ファラオは永遠者の御心に逆らって
 おりましたが、その時、ペストが彼を跪かせたのであります。
 すべての歴史が始まって以来、神の災禍は心驕れる者共と盲
 たる者共をその足下に跪かせているのであります。今日、ペスト
 があなたがたに関わりを持つようになったとすれば、それは即ち
 反省すべき時が来たのであります。心正しき者はそれを恐れる
 ことはあり得ません。しかし邪なる人々は恐れ戦くべき理由があ
 るのであります。世界という宏大な穀倉の中で、仮借なき災厄
 の穀竿は人類の麦を打って、ついに藁が麦粒から離れるまで
 打ち続けるでありましょう。
 そこには麦粒よりもさらに多くの藁があり、選ばれた者よりもさら
 に多くの召し寄せられ者があるでありましょうが、しかもこの禍は
 神の望みたもうたものではないのであります。
 
 あまりにも長い間、この世は悪と結んでおりました。あまりにも長
 い間、神の慈悲の上に安住しておりました。ただ改悛しさえすれ
 ばよかった。どんなことでも許されていたのであります。しかも悔
 悛することにかけては、誰もが自信を持っておりました。いよいよ
 その時が来れば、きっと悔悛が感じられるに違いない。それまで
 のところ、一番楽な道は気の向くままに任せておくことだ。神の
 慈悲があとのところはいいようにしてくださるだろう。

 ところがです!
 
 そういうことは長く続き得なかったのです。

『ペスト』#8-22020/04/24 16:45


>実に長い間、この町の人々の上にその憐れみのお顔を
 臨ませ給うていられた神も、待つことに倦み、永劫の期待
 を裏切られて、今やその目を背け給うたのであります。神
 の御光を奪われて、私共は今後長くペストの暗黒の中に
 落ちてしまいました。・・・死の狩りたてが、今日私共の町
 の路上を駆け巡っているのであります。・・・この瞬間に、
 ペストはあなた方の家の中に入り、そこにいます。ペスト
 があなた方の方へ伸ばすその手は、如何なる地上の力も、
 また、かの空しい人智なるものといえども、あなた方がこ
 れを避けようなどとすることはできないのであります。

 そうです、反省すべき時が来たのであります。あなた方は、
 日曜日に神のみもとを訪れさえすれば、あとの日は自由だ
 と思っていた。しかし、神は生ぬるい方ではないのでありま
 す。あなた方の来ることに待ち疲れ給うた神は、災禍があ
 なた方を訪れるに任せ、およそ人類の歴史なるものが生
 まれて以来、罪ある町のことごとくに訪れた如く、それが
 訪れるに任せ給うたのであります。

 あなた方は今や、罪の何ものたるかを知り得るのです。
 この町があなた方とこの災禍を閉じ込めて囲いを閉ざした
 日以来、あなた方はちょうどそれらすべての罪を知った
 人々がしたように、一つの新たな眼を生き物や事物の上に
 向けているのであります。あなた方は今こそ、そして遂に、
 本質的なものに戻らねばならぬことを知ったのであります。

>私は皆さんを真理に行き着かせたい。そして喜びを持つ
 ことを皆さんに教えたいと思うのであります。忠告や友愛の
 手が皆さんを善へ押しやる手段であった時期は、もう過ぎ
 去りました。今日では、真理はもう命令であります。そして
 救済への道は、則ち赤い猪槍がそれを皆さんに指し示し、
 またそこへ押しやるのであります。
 ここにこそ、皆さん、あらゆるもののうちに善と悪とを置き、
 怒りと哀れみと、ペストと救済とを置き給うた神の慈悲が、
 遂に明らかに顕現されているのであります。皆さんを苦し
 めているこの災禍そのものが、皆さんを高め、道を示して
 くれるのであります。

『ペスト」#8-32020/04/25 15:51


>ずっと昔のことでありますが、アビシニアのキリスト教徒たち
 は、ペストというものを、永生をかちうるための、神から出た、
 有効な手段というふうに見ておりました。ペストに罹っていな
 い者たちは、自らペスト患者の毛布にくるまって・・・そこには
 実に傲慢にも近い、遺憾とすべき性急さが表れております。
 神以上に急いではならず、およそ神がひとたび永久に建て給
 うた不易の秩序を早めるようなどとすることは、すべて異端に
 導くものであります。

 もっとはっきりすべてを見ることのできる私共の曇りなき精神
 にとっては、それはすべての苦悩の底に宿る、かの永生の
 無上の輝きを一層輝かしいものとするばかりであります。
 この輝き、それは解放に至る仄暗い道を照らすものでありま
 す。過つことなく悪を善に変え給う、神の御心を示現するもの
 であります。

 死と懊悩と叫喚のこの歩みを通じて、それは私共を本質的
 な静寂に、あらゆる生活の本義に導いてくれるのであります。
 これこそ、私が皆さんに齎したいと願った広大無辺の慰め
 なのであり、つまりこれを述べることによって、皆さんには心
 を和める生気を持ちへ帰っていただきたいのであります。

 神父は、ペストが神から出たものであることと、この災禍の
 懲戒的な性格を明らかにした。今日ほど、神父は万人に差
 し出された神の救いとキリスト者の希望とを感じたことはな
 いのである。
 彼はあらゆる希望を越えて、我が市民がこの日々の惨状と
 瀕死の人々の叫びにもかかわらず、キリスト者の唯一の言
 葉たる、すなわち愛の言葉を天に捧げるであろうことを期待
 している。その余のことは神がなし給うであろう。

『ペスト』#92020/04/26 16:24


>保険隊を実際以上に重要視して考えるつもりはない。なるほ
 ど多くの市民が今ではその役割を誇張したい誘惑に負けるで
 あろう。しかし、筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを
 認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪に捧げることにな
 ると、信じたいのである。何故なら、そうなると、美しい行為が
 それほどの価値を持つのは、それが稀であり、そして悪意と
 冷淡こそ人間の行為においてはるかに頻繁な原動力である
 ために他ならぬと推定することも許される。

 世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するもので
 あり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい
 多くの被害を与えることがあり得る。人間は邪悪であるより
 も善良であり、そして真実のところ、そのことは問題ではない。
 しかし、彼らは多少とも無知であり、そしてそれが則ち美徳あ
 るいは悪徳と呼ばれるところのものなのであって、最も救い
 のない悪徳とは、自らすべてを知っていると信じ、そこで自ら
 人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳に他ならないの
 である。殺人者の魂は、盲目なのであり、ありうる限りの明
 識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。

>保険隊に献身的に働いた人々も、事実そう大して奇特なこ
 とをしたわけではなく、つまり彼らはこれこそなすべき唯一の
 ことであるのを知っていたのであって、それを決意しないこ
 とのほうが、当時としてはむしろ信じられぬことだったかもし
 れないのである。

 こういう隊が作られたことは、市民たちが一層深くペストの中
 に入り込むことを助け、病疫が現に目の前にある以上は、そ
 れと戦うためになすべきことをなさねばならぬとということを、
 一部分、彼らに納得させたのである。こうしてペストが、ある
 人々の当然なすべき仕事となったため、ペストは現実にその
 あるがままの、則ちすべての人々に関わりのある事件として、
 眼に映ずるに至った。

 問題のすべては、できるだけ多くの人々をして、死んだり終局
 の別離を味わったりさせないようにすることであった。そのた
 めには、唯一つ、ペストと格闘するという方法以外にはなかっ
 たのである。

『ペスト』#102020/04/27 16:30


>リウーは受信機のスイッチを回してみることがあっった。す
 ると世界の果てから、幾千キロをよぎって、未知の友愛の幾
 つかの声が彼らも妻帯者であることを言おうと、無器用に努
 力し、そして事実それを言うのであるが、しかし同時に、自
 分の目で見ることのできぬ苦痛はどんな人間でも本当に分
 かち合うことはできないという、恐るべき無力さを証明するの
 であった。

>事実上、8月の半ばというこの時期には、ペストが一切を覆
 い尽くしたといってよかった。もうこの時には個人の運命とい
 うものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべ
 ての者が共にした様々の感情があるばかりであった。その
 最も大きなものは、恐怖と反応がそれに含まれていることも
 加えて、別離と追放の感情であった。
 それ故に筆者は、この暑熱と病疫の絶頂において、総括的
 な状況と、そして(例証的な意味で)生存者市民の暴行、死
 亡者の埋葬、引き離された恋人たちの苦しみなどについて
 書いておく。

 市内それ自体の中でも、特に被害のひどい若干の区域を
 隔離して、そこからは必要欠くべからざる職務を持つ人間
 しか出ることを許さないようにすることが考えられた。
 ほぼこれと同時期にまた、特に市の西口あたりの別荘地
 において、火事が頻々と起こるようになるという事態が生
 じた。
 予防隔離から帰って来て、喪の哀しみと不幸に半狂乱に
 なった人々が、ペストを焼き殺すような幻想に駆られて、
 自分の家に火をつけるのであった。こういう企てを押さえ
 るのは非常に骨が折れ、それが頻発することは、・・・当
 局によって行われる家屋の消毒だけで、病毒汚染のあら
 ゆる危険を駆逐するに十分であることを如何に証明して
 みても空しく、その挙げ句、これらの罪なき放火者に対し
 て極めて厳重な刑罰を公布しなければならなかった。
 しかもおそらく、この不幸な人々をその時に逡巡させたも
 のは投獄という観念ではなく、すべての市民に共通の確
 信、つまり市の獄舎において指摘される極度の死亡率の
 結果、投獄の刑は死刑に等しいという確信であった。

『ペスト』#112020/04/28 16:12


>ペストは兵士、修道者、あるいは囚人など、すべて集団をなし
 て生活する習慣を身につけた人々に対して特に猛威をたくまし
 くするように思われた。ある種の拘禁者は隔離されているとは
 いえ、牢獄は一つの共同体であり、そしてそのことをよく証明す
 るものは、この市の牢獄において、看守たちも囚人に劣らず、
 病疫に対する年貢を納めたということである。
 ペスという一段高い見地からすれば、所長から最も軽微な拘
 禁者に至るまで、すべての者が逃れぬ運命を宣告された人
 間であり、そしておそらく初めて完全無欠の正義が牢獄内に
 行われたのである。・・・

 それに、刑務当局者は、教会関係や、またそれよりは控え目
 な程度で軍関係がやったようにはやれなかった。市内に二つ
 きりの修道院の会士は、事実、信心深い家々に臨時に分散
 宿泊させられていたのであった。同様に、兵営からは、そう
 できる時にはいつでも、少分隊が分遣されて、学校や公共の
 建物に駐屯させられていた。
 こうして、一見、攻囲された者の連帯性を住民に強制してい
 たと見られる病疫は、同時に、伝統的な結合を破壊し、また
 各個人をめいめいの孤独に追いやっていたのである。
 これは混乱を生み出した。これらのすべての状況が、ある種
 の人々の精神にもまた火事を生ぜしめたことは考えられる。
 市の各門口はまたしても、夜間、何回となく、しかも今度は
 武装された小集団によって襲撃された。衛兵所は強化され、
 こういう企てはかなり急速に跡を絶った。。それでもこれは、
 市内に一抹革命の息吹を生ぜしめるに十分であり、それが
 若干の暴力的な場面を誘発した。火災を被った、或いは保
 健上の理由から閉鎖された家屋が、略奪されたのである。

 たいていの場合は、突然の機会が、それまで立派な人物
 であった人々をけしからぬ行動に出させ、それが即座に見
 習われるのであった。

『ペスト』#122020/04/29 16:19


>戒厳令と消燈令とで完全な闇の中に沈んでしまった町は、こ
 の時もう生気を失った巨大な立方体の集合に過ぎず、その間
 にあって、忘れられた慈善家たちや、永久に青銅の中に封じ
 込まれたかつての大人物たちの無言の肖像だけが、石ある
 いは鉄製のそのまがいものの顔をもって、かつて人間であった
 ものの落ちぶれた面影を呼び起こそうとひとり試みているの
 であった。
 これらの陳腐な偶像は垂れ込めた空の下で、生気の絶えた
 四辻にその身をひけらかしていたが、無感覚な愚鈍者のよ
 うなその姿は、今や我々の突入した不動状態の時代、ある
 いは少なくともその終局の様相を、かなりよく象徴していた
 のである。

>しかし、暗夜はあらゆる人々の中にもあり、そして埋葬のこ
 とに関して伝えられる真相も伝説も、共に市民の心を安んず
 る体のものではなかった。
 この期間中を通じていつも埋葬があったことであり、そして
 埋葬について心を悩ますことも、すべての市民が余儀なくさ
 れた。(一例を示せば)海水浴は禁止されてしまっていたし、
 そして生きている人々の一緒に過ごす社会は、死者たちの
 社会に席を譲らねばならなくなることを、来る日も来る日も
 絶えず恐れていた。

 明白な事実というものは恐るべき力を有するものであり、最
 後には常にすべてのものに打ち勝ってしまう。
 初めの頃、我々の葬式の特徴をなしたものは、迅速さという
 ことであった。すべての形式は簡略化され、そして一般的な
 形では葬儀の礼式というものは廃止されていた。
 病人は家族から遠く離れて死に、通夜は禁止されていたの
 で、結局、宵のうちに死んだ者はそのまま死体だけでその
 夜を通し、昼の間に死んだ者は時を移さず埋葬された。もち
 ろん家族には知らされたが、しかしたいていの場合は、その
 家族も、もし病人のそばで暮らしていた者なら、予防隔離に
 服しているので、そこから動くことができなかった。
 家族が故人と一緒に住んでいなかった場合には、その家族
 は指定された時刻に出向くのであったが、その時刻というの
 は遺体が清められ、棺に納められて墓地へ出発する時刻
 だったのである。
 広い物置小屋に死亡者たちの棺が収容されている。その廊
 下に、家族のものは既に蓋を打ち付けられてしまった棺が一
 つだけ置いてあるのを見出す。早速人は最も重要な事柄に
 移るのであるが、それは戸主にそれぞれの書類に署名させ
 ることである。次いで遺体を自動車に乗せる。身内の人々は
 許されているタクシーの一台に乗り、そして全速力で車は
 外部の街々を通って墓地に達する。入り口で憲兵が一行
 を止め・・・車は幾つもの墓穴が満たされるのを待っている
 一区画の近くまで行って停車する。一人の司祭が遺体を迎
 える。というのは、埋葬の儀式は教会では禁止されていた
 からである。
 棺が穴の底に当たり、司祭が灌水器を振ると、早くも最初の
 土が蓋の上に跳ね返る。
 救急車(大きな救急車を改造して棺を乗せている)は消毒液
 の散布を受けるために少し前に帰ってしまい、そしてショベル
 に掬われる粘土が次第に鈍くなる響きを立てている間に、家
 族の者たちはタクシーの中に潜り込む。15分後には家に帰り
 着いているのである。

『ペスト』#132020/04/30 16:29


>こうしてすべてはまさに最大限の速度と最小限の危険性を
 もって執り行われた。そして疑いもなく、少なくとも初めの頃
 は、家族の人々の自然の感情はそれによって傷つけられた。
 しかし、ペスト流行時においては、そういう考慮は到底斟酌
 していられなくなり、後には、幸いにも食料補給の問題が微
 妙になり、住民の関心はもっと直接な顧慮のほうに向かわ
 せられた。食っていこうと思えば、行列に並んだり、手続きを
 済ましたり、書式を整えたりしなければならぬことにすっかり
 手をとられて、人々は自分たちの周りで死んでいく者の死に
 方や、またいつか自分が死んでいく時の死に方など、考え
 ている暇がなかった。
 本来一つの災いである筈のこういう物質的困難が、後には
 一つの天恵たる性質を示した。

 棺が数少なくなり、屍体をくるむ布も、墓地内の場所も足り
 なくなった。何とか考えなければならなかった。いちばん簡
 単なのは、これも相変わらず実用性という理由からである
 が、葬式を一纏めにし・・・リウーの受け持ちに関して言え
 ば、その病院はこの時期には五つの棺は使用していた。
 それがいっぱいになってしまうと、救急車がそれを積んで
 行く。墓地では、棺は空にされ、鈍色をした遺体は、この
 用途のために改造された用具小屋の中で待っているので
 ある。棺は消毒液を散布されて、病院へ持ち帰られ、そし
 てこの手順が必要なだけ繰り返される。

 こういう処理面の成功があったにもかかわらず、こうなると
 この手続が帯びる不快な性格のために、県庁は身内の人々
 を葬式から遠ざけることを余儀なくされた。
 
 墓地のはずれの、乳香樹におおわれた裸地に、巨大な墓穴
 が二つ掘られていた。男子用の墓穴と女子用のそれとが決
 まっていた。

 この墓穴のそれぞれの底には、たっぷり厚い層をなした生石
 灰が、湯気をたててわきたっていた。穴の縁には、同じ石灰
 の山が、外の空気に向かって泡を吹き立たせている。救急車
 の往来が済んでしまうと、担架が行列をなして運ばれ、裸に
 されたやや捩れ気味の死体が、ほとんど相接して並びつつ穴
 の底へ滑り落とされ、そしてその瞬間、生石灰と次には土が
 その上に覆いかぶせられるのである。
 こういうすべての作業のためには人員が必要であり、そして
 しょっちゅう、まさにそれに事欠く状態にあった。・・・多くの者
 がペストで死亡した。どんなに用心してみても、いつかは感
 染してしまうのであった。しかし、驚くべきことは、病疫の全期
 間を通じて、この職業をやる人間に、ついに事欠くことがな
 かったということである。