枝の主日2023/04/02 14:16


The TWELVE STEPS of Alcoholics Anonymous2021/06/21 18:36

 ※ 依存症でなくても、参考になりそうなので。。。

(1)私たちはアルコールに対して無力であり、思い通りに生きてい
  けなくなっていたことを認めた。

We admitted we were powerless over ALCOHOL --that
our lives had become unmanageable.

(2)自分を超えた大きな力が、私たちを健康に戻してくれると信じ
  るようになった。

Came to believe that a Power greater than ourselves could
restore us to sanity.

(3)私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮に委
  ねる決心をした。

Made a decision to turn our will and our lives over to the
care of GOD as we understood Him.

(4)恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に
  作った。

Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.

(5)神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の
  過ちの本質をありのままに認めた。

Admitted to GOD, to ourselves and another human being
the exact nature of our wrongs.

(6)こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がす
  べて整った。

Were entirely to have GOD remove all these defects of
character.


(7)私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。

Humbly asked Him to remove our shortcomings.

(8)私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人達全員に
  進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。

Made a list of all persons we had harmed and became willing
to make amend to them all.

(9)その人たちや他の人を傷つけない限り、機会あるたびに、そ
  の人たちに直接埋め合わせをした。

Make direct amends to such people wherever possible except
when to do so would injure them or others.

(10)自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認
   めた。

Continued to take personal inventory and when we were wrong
promptly admitted it.

(11)祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な
   触れ合いを深め、神の意志をしることと、それを実践する
   力だけを求めた。

Sought through prayer and meditation to improve our conscious
contact with GOD as we understood Him.

(12)これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、こ
   のメッセージをアルコホーリックに伝え、そして私たちのす
   べてのことにこの原理を実行しようと努力した。

Having had a spiritual awakening as a result of these steps,
we tried to carry this message to alcoholics and practice
these principles in all our affairs.

   (引用)「AAワールドサービス社の許可のもとに再録」

セネカ#11-22020/06/29 08:31


 兎も角、直ちに哲学せよ!
 
 自然の求めるものはごく僅かで、賢者は自然に自分を
 合わせる。しかし、もし極度の大欠乏がやって来たら、
 彼は速やかに人生に別れを告げて、自分自身が重荷に
 なることを止めるだろう。しかし、如何に僅かで乏しか
 ろうと、生きて行くに足るだけの糧があるなら、彼はそれ
 で満足して、それ以上必需品のことで心配したり悩んだ
 りせず、胃や肩のことを案じて物を調えてやったりしない
 だろう。それよりもむしろ金持ちの多忙や、富へと急ぐ
 連中の忙しなさを、自分は何の心配もなく、朗らかに笑っ
 て、こう言うだろう。

 「何で君は自分の魂のことをそんなに長い間放って
  おくんだ?」

 ・「所願を成じて後、暇有りて道に向かはんとせば、所願
  尽くべからず」  (『徒然草』)
  世俗の中に身を置く限り、したいこと、欲しいものは次々
  に生じ、それらに忙殺されているうちにたちまち命終える
  期(ご)がやって来る。だから哲学であれ、宗教であれ、
  心を救うことだけに懸けようと決心をしたら、即座にそ
  の場でとびこまねばならない。

 幾日か期限を切って、その間は僅かの単純な食物と、粗い
 ごわごわの衣服とで暮らしてみて、こう自問する。これがあ
 の恐れていた生活か、と。何の心配もない時にこそ心をし
 て困難に備えさえ、運命が未だ好意を示しているうちに運
 命の暴力に対して強化しておくべきなのだ。
 固いベッド、ごわごわの衣服、固いパン。それらを三日から
 四日、時にはそれ以上の日数、試練だと思って我慢してみ
 たまえ。粗末な食事でも満足できることを知って、満足のた
 めには「幸運」など必要ないことを知るだろう。軽い、束の
 間の、何度でも新しくなければならない満足ではない、変え
 ることのないもっと確かな満足、即ち一欠片の大麦パンか
 らでさえも得ることが出来る満足を知ること。運命のどんな
 意地悪でさえも奪うことの出来ないものしか自分は頼りに
 しないことこそが、最高の満足なのだ。

 財産などなくとも幸福に暮らすことが出来ると確信した時
 が、財産とはいつ失くなるか分からぬものだと君が常に
 見做せるようになった時だ

セネカ#112020/06/28 08:25


>手紙17・18:ゼロに戻るレッスン

 「僕の財産が僕を引き留める。だから、僕が何の働き
  もしなくなっても財産が十分にあって、貧乏が僕の負
  担に、僕が人の負担にならぬよう、今のうちに調えて
  おこうと思う」

 そんなことを言うようでは君は未だ、君が心にかけている
 哲学という善の力と能力がよく分かっていないようだ。
 
 「君が求めていること、哲学の先送りをしてまでやり遂げ
  ようとしているのは、貧乏を恐れないでも済むようにな
  りたい、ということだ。では、逆に貧乏は求めるべきもの
  だとしたら、どうかね?
   
 多くの人にとって哲学に入ることを妨げたのは、実は富な
 のだ。貧乏は自由で、何の心配もない。洪水警報が出て、
 貧乏は何処へ逃げ出すかを考えるが、何を持ち出すかは
 考えない。空腹は安くてすむが、奢った口は高くつく。貧乏
 は差し当たりの要求が満たされさえすれば満足する。・・・

 君が精神を自由にしたいなら、貧乏になるか、貧乏の真
 似をしなければいけないんだ。求めることを少なくしようと
 努めない限り学問は有効でなくなる。求めることが少ない
 とは、自分の自由意志で行う貧乏だ。だから、「しかじか
 の額に達したら、その時こそ本当に完全に哲学身を捧げ
 よう」などという言い訳はやめるんだ。だがしかし、そう
 やって君が先送りし、一番最後に手に入れようとしている
 ものこそ、実は何よりも先に求めなければいけないものな
 んだ。それからこそ始めるべきなんだ。・・・

 ここで約束されているものは、何ものをも恐れぬ永遠の
 自由だからだ。

セネカ#10-22020/06/27 08:20


 我々はたいていの場合、事実よりは臆測で苦しむもの
 だからだ。風評というやつが、我々を引き摺り回す、い
 やむしろ人間一人ひとりを駆り立てる。・・・迷走する羊
 の群れが巻き起こした土煙を見て戦場から逃げ出した
 あの兵隊たちのように、我々も背を向けて逃げ出した
 り、根拠もないのに広がった何らかの噂で恐怖に陥れ
 られるんだ。
 どういうわけか、存在しないもののほうが余計に人を
 混乱するようだ。存在するものにはそれ自身の尺度が
 ある。ところが何であれ無知から生じたものは、人を勝
 手な想像とビクつく心の気紛れ溺れさせてしまう。
 だから妄想から来る恐怖くらい壊滅的で、どうしようもな
 いものはない。それ以外の恐怖には根拠がないが、この
 恐怖には理性がない。


 未来には何らかの災難が起こるかもしれないが、それ
 は今のところ現実にはない。何と多くの予期せぬ出来
 事が起こったことか!
 何と多くの予期していた出来事が起こらなかったことか!
 たとえ将来それが起こるとしても、今からその苦しみを
 先取りして何になる?
 それが本当に来た時に苦しんでも遅くなないだろう。
 君は希望と恐怖とをよく確かめよ!
 不確かなものはすべて自分にいいように考えよ!
 君の好むものを信じよ!
 
 人間の大部分は、災難に見舞われなくても、これからも
 確実に来ないと分かっていても、いつも落ち着きなく慌
 てている。そしてひとたび災難が起こったが最後、不安
 に陥らないでいられる者など一人もいないし、実際にふ
 さわしい尺度にまで恐怖を引き戻すことも出来ない。
 我々はかすかな風の音にも震えてしまう。・・・

セネカ#102020/06/26 08:08


>手紙13:理由なき恐怖に苦しむな

 ・「人は謂れなき恐怖によって苦しむな」

  大抵の人は、もしかすると間もなく自分に襲いかかる
  かもしれない災厄を予想して苦しんでいる。失職、病
  気、事故、盗難、老後の心配、等々、理由はいくらで
  もある。そんな不安の多くは来るかもしれないが、来
  ないかもしれない。それを来ない前から予感して怯え
  ることくらい愚かしいことはない。人は不確かなもの
  への怖れで苦しむべきではない。事態が来るなら来さ
  せればよい。その時に物事の実態をよく見極めれば
  いいのであって、すれば、大抵のことは大したことでは
  ないと分かる。自分の判断だけを信ずればいいのだ。

 君には勇気がある。君は運命に対して自分の力だけを
 信じてやって来た。そして運命と戦闘状態になって、自分
 の力を存分に試した後は、なおさらそうだからだ。
 人は多くの厄介事があっちにもこっちにも持ち上がり、時
 にはごく身近にまで迫って来た時でなければ、自分の力
 への揺るがぬ信頼を証明することは出来ないものだ。そ
 のようにして、本物の勇気、すなわち絶対に他人の支配
 下には入らぬことが試される。

 運命は既に何度も君よりも優勢になった。にもかかわら
 ず君は屈服しないで、直ちに飛び起き、前より激しく運
 命に立ち向かった。すなわち要求されるたびに君は勇
 敢であることを十分に示した。

 我々を実際に打ち負かすものより、我々を恐怖に陥れ
 るもののほうが多くて、我々は現実そのものによってよ
 りも、想像に苦しめられることのほうがよほど多いのだ。
 どういうことかと言えば、あるものは必要以上に我々を
 苦しめ、あるものはそれが必要になる前に我々を苦し
 め、あるものは怖れる必要なぞ全然ないのに我々を苦し
 めているということだ。我々は苦痛を誇張しているか、
 先取りしているか、空想しているか、そのいずれかなん
 だ。

 人々が君を取り囲んで、お前は不幸なのだと君に信じ
 込ませようとするような時は、君が聞いたことではなく、
 君が感じたことだけを考えよ。そして、君のことは君自
 身が一番よく知っているのだから、落ち着いてよく考え、
 「この連中が僕を気の毒がるのは何故だろう?」、「僕
 は何の理由もないのに苦しみ、悲しんで、悪でも何でも
 ないものを悪としているだけではないのか?」、「僕を
 不安に陥れているものが、存在しないものか、現実の
 ものか、そんなことを僕に知りようがないのではない
 か?」と自問する。

セネカ#92020/06/25 16:09


>手紙19:引退のすすめ

 ・material な断捨離(財産=拘束) 
  → spiritual な断捨離(公的活動=拘束)

 出来るなら君はその職務から直ちに引退し給え。
 出来ぬなら、強引に身を引き剥がせ!
 既に十分以上の時を我々は浪費してきた。いつでも旅立て
 る用意を始めようではないか。君は君自身を放棄するのか、
 君の持ち物の何かを放棄するのか。

 ・引退をネロに申し出る直前のセネカ自身の叫びのようだ。
  すべてを捨て(セネカはネロに全財産の献上を申し出た)
  て、己が魂のために生きよ。

セネカ#82020/06/24 16:11

>手紙12:老年

 どっちに顔を向けても、近頃僕は自分の老いのしるし
 ばかりみせつけられている。使い方さえ知っているな
 らば、老年は喜びに充ちたものだ。果物はダメになり
 かけた時が一番おいしい。どんな楽しみもが内に隠し
 ておく一番の喜びは、終わりに及んで最高に達する。
 老年は、終わりに傾いているが、未だ急速には沈ま
 ない時に一番楽しいものになる。死の閾際に立つ年
 齢でさえ喜びがある。それとも、喜びに代っていかな
 る欲求もない状態が来るのだ。様々な欲望を克服し
 て置き去りにするくらい愉快なことはありません。

 だから一日一日を、その日が日々の連なりの終わり
 の日であり、人生を完了させ充実させる日であるか
 のように、生きるべきなのだ。

 ・若い時のように人生の目標をずっと先に置いて今
  を犠牲にして過ごしたのでは、生きたことにならな
  い。今日一日が生涯の完了する日と思って生きて
  こそ、もし神が更に明日という日を付け加えてくだ
  さるならば、それを有り難くお受けする気になる。
  夜寝る前に「私は十分に生きた」と自分に言い聞
  かせられる人こそが、朝ごとに新しい日を恵まれ
  るのだ。

セネカ#7-22020/06/23 16:05


 「自分みたいに酷い目に遭った者はいないだろう。家族の
  者は何度自分が死んだと思って泣き悲しんだか、何度医
  者に見離されたことか!」
 などと嘆いて何になる。仮にそれらのことが本当だったとし
 ても、もうそれは過ぎ去ったことだ。自分がそうだったから
 と、過ぎた苦しみを新たに体験し直し、惨めになって、それ
 が何になる?

 自分の味わった苦悩にあれやこれやを付け加えて、自分
 を偽っているだけのことではないのか?

 それだけではない、堪えるのが苦しくてならなかったこと
 でも、それに堪え通したことは快になる。かくして、剪定し
 なければならぬものが二種類ある。
 即ち、未来の災いに対する恐怖と、古い災いの思い出と。
 後者はもう何の関わりもなく、前者は未だ関係がないもの
 だ。

 「いつの日か、このことでさえ思い出すことが喜びになる
  日もあろう」

 自分の苦しみと戦うなら、君は勝つだろう。

 ・2000年間に人類の医学は非常な進歩を遂げたが、病苦
  と人間との関係は根本的に変わらない。そのことは技術
  の進歩と何の関わりもないのである。医学が救うのは肉
  体だが、病と相対するのは人間の心だ。

  (ハ)については、如何にそれがくだらないことかを・・・ど
  こそこ産の牡蠣が食えなくなったとか、馬の肉、猪の肉が
  食えないなどと言って嘆くような贅沢なしに暮らせなくなっ
  た連中にだけ、その欠乏が情けなく惨めに感じられるの
  だ。贅沢に溺れ、身体より心の病に罹った連中にだけ辛
  抱できないに過ぎない。

 そんなことにはすべて我々は容易に堪えてみせる。甘や
 かされた人々や贅沢に暮らしている人々、肉体よりもむし
 ろ心を病んでいる連中に耐え難く見えることすべてに。
 我々はただ死を恐怖することを止めさえすればいいのだ。
 その時、その時だけ、遂に”生”は嫌悪の対象ではなく、
 ”死”は恐怖の対象でなくなる。

 人は多くの様々な、重要な、神的な事柄に深入りするよう
 になれば、自分自身への嫌悪が人生を捕らえることはな
 くなる。自分自身への嫌悪を引き起こすのは常に、なにも
 しないのらくら暮らしだ。

セネカ#7-12020/06/22 15:58

>手紙78:病苦にうち克つには

 ・人間と病気の関係において、先ず病を堪え難いものにする
  三つの悪は、
  (イ)死の恐怖
  (ロ)肉体的な苦しみ
  (ハ)快楽の停止
  を挙げている。そうして(イ)については、「死を軽視せよ!」
  が、人生一般に対してと同様、病に対しても最良の薬であ
  るとする。

 死については既に十分に言ってきたので、ここでは一つだけ
 付け加える。
 ここで問題になっているのは、(病への恐ではなく)自然に
 対する恐怖だということだ。多くの人にとって病気が死を先
 延ばししてきたのであって、自分が今死にかけていると見え
 ることが、彼らにとって救済を意味したのだ。
 君は病気だから死ぬのではなく、君が生きているから死ぬ
 のだ。この事情は君が全快したからといって変わらない。
 健康になったからといって死を免れたわけではない。ただ
 病気から逃れただけだ。

 ここで病本来のあの嫌な面(ロ)について・・・病は非常に大
 きな苦しみを引き起こすが、病には中断があって、それが苦
 しみを堪えやすくするということだ。苦痛が最大限にまで高
 まると一つの終りが来る。どんな人間でも苦痛を強く、しかも
 長く感じ続けていられるほど強くはない。自然は我々への大
 いなる好意から、苦痛を堪えられるものにするか、短くするか
 してくれたのだ。
 更に言えば、どんな苦痛も中断するか、いずれにしろ鎮静
 するということがある。更にまた、苦痛が近づくぞと脅かす
 時は予防するし、実際にやってきた時には薬で抵抗するこ
 ともできる。

 何よりも君は、君の苦しみを自分でさらに悪くするな。嘆き
 で自分に重荷を負わせるな。痛みは、想像力が何も付け
 加えなければ軽いものだ。すべては想像力にかかってい
 る。名誉欲、浪費、所有欲がそれを目指すばかりではな
 い。苦痛をも我々は想像力によって感じるのだ。自分は
 こうだと思いこむ分だけ人は惨めになる。