「青龍三年」鏡 ― 1997/09/01 14:42
青龍三年銘の銅鏡が再び出土した。三年前、丹後半島の
大田五号墳に続いて、今回は大阪府高槻市の安満宮山古
墳で発掘された。
ここで話題となるのが、「青龍三年」(235年)なる魏の年号
である。つまり、魏志倭人伝に見られる、卑弥呼に贈られた
銅鏡百枚(景初三年、239年)がこれであろう、というのであ
る。そこから、邪馬台国は畿内に存在したことの証拠の一
つとして使われる。
しかし、これぐらいのことでは九州派の人々はたじろぎもせ
ずに言うのである。それは日本製である、と。
ブロンズを鋳型に流し込む際に用いられる鉛の同位体比
から産地同定を行うと、日本産の原料ではないことが分かる。
すると、材料は輸入した、あるいは工人もやって来たかもしれ
ないのだから、Made in Japan を否定するものではない、と
主張される。
このような議論が、銅鏡のみならず、魏志倭人伝の一字一
句に及び、邪馬台国論争は議論が沸騰することになる。
この議論に決着がつくとすれば、その決め手となる物証は
何であろうか?一つの可能性は、魏時代の遺跡の発掘調査
が進み、「地図」が発見されることは有力だと思う。でも・・・
大田五号墳に続いて、今回は大阪府高槻市の安満宮山古
墳で発掘された。
ここで話題となるのが、「青龍三年」(235年)なる魏の年号
である。つまり、魏志倭人伝に見られる、卑弥呼に贈られた
銅鏡百枚(景初三年、239年)がこれであろう、というのであ
る。そこから、邪馬台国は畿内に存在したことの証拠の一
つとして使われる。
しかし、これぐらいのことでは九州派の人々はたじろぎもせ
ずに言うのである。それは日本製である、と。
ブロンズを鋳型に流し込む際に用いられる鉛の同位体比
から産地同定を行うと、日本産の原料ではないことが分かる。
すると、材料は輸入した、あるいは工人もやって来たかもしれ
ないのだから、Made in Japan を否定するものではない、と
主張される。
このような議論が、銅鏡のみならず、魏志倭人伝の一字一
句に及び、邪馬台国論争は議論が沸騰することになる。
この議論に決着がつくとすれば、その決め手となる物証は
何であろうか?一つの可能性は、魏時代の遺跡の発掘調査
が進み、「地図」が発見されることは有力だと思う。でも・・・
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