「旅」(塔和子)2021/01/01 10:09


 この世の光に迎えられて
 長い旅は始まった
 母の膝から二歩三歩
 生きる旅に立ち会った私の足
 子供の頃は隣の町へ
 少し大きくなってからは
 ハンセン病の診察のために
 父に連れられ
 福岡 東京 大阪と
 各大学病院へ、それから
 数知れぬ小さな病院へ転々と
 受診の旅を重ね
 つづまりは島の療養所におちついたが
 そこは入ったら出られないところだった
 思えばそこで五十年
 黙々と日々を重ねて今日にいたった
 そして
 この度「らい予防法」という囲いの壁は
 とりはらわれ
 天下晴れて自由の身となった
 この喜びをだいて
 どこへ旅をしようか
 ここだあそこだ地の果てだ
 思いは湧くがついて行けない
 体になった
 けれどもまだ
 果たし得なかった楽しい旅の
 幻影を
 実現したいと
 こんなにも希っている

Y.2021 日の出2021/01/01 10:50


「自然のいとなみ」(塔和子)2021/01/02 10:26


 あんずの実がなっている
 若葉がそよいでいる
 幹の幹
 根の根をたどってみた見たとしても
 いったいどんな力でどんな知恵で
 あんずの木があんずで在りつづけ
 何の変異もおこさず
 花咲き実をならせ葉をよそがせ
 また
 その葉を落とし裸木になり
 同じことを年々くり返させているのか
 知ることはできない
 人も魚も
 力や知恵の参与しないところで
 子を産み
 人は人になり
 魚は魚になってゆく
 道端のいぬふぐりの花さえ
 こう咲くように咲かされて
 咲いている
 私はいまこのとき
 こもごもの生命と共に
 私であるより外にない私で在らされて立ち
 見渡せば
 ものみな
 己れであらされている
 己れを
 誇らしげにかざしている

「雲」(塔和子)2021/01/03 14:01


 意志もなく生まれた
 ひとひらの形
 形である間
 形であらねばならない痛み
 風にあおられて
 流れる意志もなく流れ
 出会った雲と手をつなぎ
 意志ではなく
 へだてられてゆく距離
 叫ぼうと
 わめこうと
 広い宇宙からは
 かえってくる声もない
 そして
 消える意志もなく
 一方的に消される
  さびしさを
   ただようもの

この頃2021/01/03 16:23


 神の声
 仏の心
 つゆ知らず
 マサカ魔坂を
 転げ落ち行く

「生さを」(塔和子)2021/01/04 09:05


 この寮園に住む人はみんな
 健康な社会から間引かれた人達で
 ふるさとでは死んだことになっている人さえいる
 しかし私はおだやかに平易に暮らしてた日
 これでいいのでしょうかと
 何物かに対してつぶやく
 遊んでいてもどこからも文句を言われない
 このさびしさ
 間引かれた身であれば
 静かに枯れるのが望ましい
 けれども
 いまはまだ
 悲しいと言っては涙し
 嬉しいと言っては笑いころげる
 この生さを
 静めてくれるものはなにもない

「音」(塔和子)2021/01/05 14:32


 私には聞こえるのです
 私の奥深くあって
 静かに流れている
   いのちの音が
 私がまだ始まらぬまえから
   始まっていたいのちの音
 座っていると
 その音は
 永遠の宇宙から
   愛しく哀しく
   私の皮膚に包まれて
   こだましせまってくるのです
 そして
 私は
 かまきりのような
 さびしい目をして
 じいっと
 それをきいているのです

「苦悩」(塔和子)2021/01/06 16:03


 私の中で
 おまえによらないで産まれる
 ものはない
 おまえの土地
 おまえの海の中から
 私の明るさは満ちる
 おまえを深くもつことによってのみ
 私であり
 周囲の色彩が華やかだ
 苦悩よ
 私の跳躍台よ
 おまえが確かな土地であるほど
 私は飛ぶ
 深い海であるほど
 私は浮き上がろうとする
 そしておまえは
 私がどこまで跳ねても
 戻ってくる中心
 おお
 なれ親しんだ顔
 いつの場合もそんなことをして
 楽しいかと
 私の中をのぞく
 奥の奥なる声よ
 私を救うものはただひとつ
 おまえであるような
 それでいて
 おまえは決して私を安らわせては
 くれない
 私の
 黒い土地
 黒い海

弦楽器(塔和子)2021/01/07 14:32


 私の中には絹糸のように
 細い細い糸があって
 ちょっとした他人のしぐさにも
 善意を感じたり
 悪意を感じたり
 また
 自分のしたことが他人に喜ばれたか
 傷つけてしまったのではないかと
 気づかい
 休むひまがない
   
   さわればぐしゃりとこわれるような
   このもろいもの
   他人のなかでもまれながら
   よくも生きてこられたものだと
   振り返って考える
   私
   細いほそい
   感情の糸が張られている
   弦楽器で
   見つめられていると思うだけでも
   鳴りはじめるもの

「触手」(塔和子)2021/01/08 15:33


 あの夜もしあなたが一錠の避妊薬
 を飲んでいたら
 私は産まれなかった
 この明るみにいるものは
 あなたの受胎ののっぴきならない
 結果
 母よ
 あなたの夜の満干は
 私の生のよろこび私の生の不安
 受胎の前の混沌につるされて
 ゆれる不安とよろこびは
 巻付く高さをさがす朝顔の
 ふるえる触手そっくり
 あの夜もし
 あなたの夫が不在だったら
 私は産まれなかった
 父の精液の中を浮遊して流れた
 であろう私が
 いまここにいる
 肉体として形になったばかりに
 あなたを母と呼び父を父と呼ぶ
 いじらしい関係ははじまって
 皿に盛られた赤いトマトを
 美味しいと思い
 服を着るとき似合うか
 似合わないかなど
 気をもみ
 ペンを持って考えにふける私
 このすべてのありなれた日常
 が私で
 手足や顔をさすってまぎれもない
 存在の実体に
 改めて会う
 そしていまは
 遠いふるさと土にかえった
 あなた達に
 まきつくすべのない片方の
 触手を伸ばすのです