ドストエフスキーと妻アンナ#32021/01/24 08:15


>「書く」という行為も安全基地に

 安全基地とは、自分が求めた時に、ありのままに受け
 止めてくれる存在である。日記や文章を書くという行為
 は、黙って話を聞いてくれる話し相手に似ている。あり
 のままの思いを表現し、書き留めることは、吐き出す
 ことによるカタルシス効果とともに、自分を客観視す
 る練習にもなる。

 漱石、川端、太宰、谷崎潤一郎、三島由紀夫・・・
 名だたる作家の多くは、深刻な愛着障害を抱えて
 いた。彼らは書くという行為にしか、安全基地を見
 出だせなかったのかもしれない。それで抱えている
 ものを完全に克服できたわけではないが、少なくと
 も彼らの苦難を意味あるものにするには役立った
 に違いない。

 ドストエフスキーやヘッセのように、書くという行為に
 よって、自らの愛着障害を戦った人もいた。
 彼らは書くことによって、自分の味方を手に入れ、
 最終的に愛着障害との戦いおいて勝利を収めた。

 また、愛着は相互的な現象であるため、自分が他
 の存在に愛情や世話を与えることによっても、愛着
 システムは活性化し、自分の愛着の傷を癒やすこ
 とができる。