『ペスト』#252020/05/16 12:44


  「僕(タルー)は、楽な暮らしから飛び出すと、18で貧乏を
   知った。僕の関心の的は死刑宣告というやつだった。
   僕は世間でよく言う政治運動をやるようになった。ペス
   ト患者になりたくなかった、それだけのことなんだ。僕
   は、自分の生きている社会は死刑宣告という基礎の
   上に成り立っていると信じ、これと戦うことによって殺
   人と闘うことができると信じた。・・・全精神をあげてま
   さにペストそのものと闘っていると信じていた間にも、
   少なくとも自分は、ついにペスト患者でなくなったこと
   はなかったのだ、ということを悟った。僕は自分が何
   千という人間の死に、間接に同意していたということ、
   不可避的にそういう死を引き起こすものであった行
   為や原理を善と認めることによって、その死を挑発
   さえもしていたということを知った。
   他の連中は、そんなことに煩わされていない様子だっ
   た。彼らと共にありながら、しかも一人ぼっちだった。
   僕が自分の疑念を表明したりすることがあると、彼ら
   は僕に向かって、今、何が闘われつつあるかを考え
   てみる必要があると言う。」

  「僕の問題は、いずれにしても、理屈をこねることじゃな
   かった。それは、つまりあの胸にあいた穴だったのだ。
   差し当たり、少なくとも僕に関する限りは、たった一つ
   の根拠でも<忌まわしい虐殺>に与えるようなことは
   絶対に拒否しようと、僕はこの頑強な盲目的態度を選
   んだのだ。もっとはっきり見極めがつくまでのこととして
   ね。・・・   
   随分長い間、僕は恥ずかしく思っていたものだ。たとい
   極めて間接的であったにしろ、また善意の意図からにせ
   よ、今度は自分が殺人者側に回っていたということが、
   死ぬほど恥ずかしかった。時が経つにつれて、僕は単純
   にそう気が付いたのだが、他の連中より立派な人々でさ
   え、今日では人を殺したり、あるいは殺させておいたりし
   ないではいられないし、それというのが、そいつは彼らの
   生きている論理の中に含まれていることだからで、我々
   は人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなし
   得ないのだ。
   我々は皆なペストの中にいるのだ。そこで誰に対しても
   不倶戴天の敵になるまいと努めているのだ。今後はもう
   ペスト患者にならないように、なすべきことをなさねばな
   らぬ。それこそ人々を労ることができるもの、彼らを救い
   得ないまでも、ともかくできるだけ危害を加えないように
   して、時には多少いいことさえしてやれるものなのだ。
   そうして、そういう理由で、僕は直接にしろ間接にしろ、
   良い理由からにしろ悪い理由からにしろ、人を死なせた
   り、死なせることを正当化したりする、一切のものを拒
   否しようと決心したのだ。」