『ペスト』#292020/05/20 14:56


>1月25日の週に至って、医事委員会に諮った上で、ついに
 県庁は疫病が防止されたものと見なされ得ることを宣した。
 市門はなお2周間閉鎖されたままとし、各種の予防措置は
 1ヶ月続行される。

> 「ああやっぱりそうなんだね」
  「いや、ただ用心にね」
  「隔離はどうするんだい、リウー」
  「別に確かな訳じゃないからね、果たしてペストかどうか」
  「血清を注射しときながら、同時に隔離を命じないなんて、
   初めて見たね」
  「お袋と二人で看病するよ」

 リウーはこの時初めて夜更けの散歩者が充満し、救急車の
 ベルの音がしないこの夜が、かつての日々の夜と同じ様であ
 ることに気が付いたのであった。そして病疫は市内の薄暗い
 深所から逃げ出し、この温かい部屋に身を潜めて、タルーの
 ぐったりと動かない体に、これを最後の攻撃を加えようとして
 いるかのように思われた。災禍の穀竿はもう市の空を掻き
 回してはいなかった。その代わり、この部屋の重く淀んだ空
 気の中で静かに唸り声を立てていたのである。

 リウーには、タルーが急に壁際に向き直り、あたかも体内の
 どこかで一本の肝心な絃が切れたかのように、うつろな呻き
 の内に息絶えたのも見えなかったのである。
 続いて訪れた夜は、戦いの夜ではなく沈黙の夜であった。
 世界から切り離されたこの部屋の、今服装を整えられたこの
 死体の頭上にリウーは既に幾夜ともしれぬ前、ペストを見下
 ろすテラスの上で、市門の襲撃に続いて生じた、あの驚くべ
 き静謐が漂っているのを感じた。
 既にあの頃にも、彼は、自分が人々を死ぬままに残してきた
 寝台から立ち昇る、あの沈黙のことを思ったものであった。
 それはどこでも同じ休止、同じ厳粛な合間、戦いの後に続く
 常に同じ鎮静であり、敗北の沈黙であった。しかし今やこの
 彼の友を包んでいるところの沈黙に至っては、実に濃密で
 あり、街頭と、ペストから解放された市内との沈黙に実に
 緊密に合致していて、リウーはまさに今度こそ決定的な敗
 北であることを感じた。リウーには、究極においてタルーが
 果たして平和を見出したかどうかは分からなかったが、しか
 し少なくともこの瞬間、自分自身にとってはもう決して平和は
 あり得ないだろうこと、同様にまた、息子ももぎ取られた母親
 や、友の死体を埋めた男にとって休戦などは存在しないこと
 だけは分かっているような気がした。