セネカ#11-22020/06/29 08:31


 兎も角、直ちに哲学せよ!
 
 自然の求めるものはごく僅かで、賢者は自然に自分を
 合わせる。しかし、もし極度の大欠乏がやって来たら、
 彼は速やかに人生に別れを告げて、自分自身が重荷に
 なることを止めるだろう。しかし、如何に僅かで乏しか
 ろうと、生きて行くに足るだけの糧があるなら、彼はそれ
 で満足して、それ以上必需品のことで心配したり悩んだ
 りせず、胃や肩のことを案じて物を調えてやったりしない
 だろう。それよりもむしろ金持ちの多忙や、富へと急ぐ
 連中の忙しなさを、自分は何の心配もなく、朗らかに笑っ
 て、こう言うだろう。

 「何で君は自分の魂のことをそんなに長い間放って
  おくんだ?」

 ・「所願を成じて後、暇有りて道に向かはんとせば、所願
  尽くべからず」  (『徒然草』)
  世俗の中に身を置く限り、したいこと、欲しいものは次々
  に生じ、それらに忙殺されているうちにたちまち命終える
  期(ご)がやって来る。だから哲学であれ、宗教であれ、
  心を救うことだけに懸けようと決心をしたら、即座にそ
  の場でとびこまねばならない。

 幾日か期限を切って、その間は僅かの単純な食物と、粗い
 ごわごわの衣服とで暮らしてみて、こう自問する。これがあ
 の恐れていた生活か、と。何の心配もない時にこそ心をし
 て困難に備えさえ、運命が未だ好意を示しているうちに運
 命の暴力に対して強化しておくべきなのだ。
 固いベッド、ごわごわの衣服、固いパン。それらを三日から
 四日、時にはそれ以上の日数、試練だと思って我慢してみ
 たまえ。粗末な食事でも満足できることを知って、満足のた
 めには「幸運」など必要ないことを知るだろう。軽い、束の
 間の、何度でも新しくなければならない満足ではない、変え
 ることのないもっと確かな満足、即ち一欠片の大麦パンか
 らでさえも得ることが出来る満足を知ること。運命のどんな
 意地悪でさえも奪うことの出来ないものしか自分は頼りに
 しないことこそが、最高の満足なのだ。

 財産などなくとも幸福に暮らすことが出来ると確信した時
 が、財産とはいつ失くなるか分からぬものだと君が常に
 見做せるようになった時だ