平和を求める祈り2022/04/09 19:27

  from 『バチカン大使日記』 (中村芳夫)

>アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈り

 主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
 憎しみがあるところに愛を、
 いさかいがあるところにゆるしを、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望があるところに希望を、
 闇に光を、
 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

Thirst for Peace2022/04/10 12:40

   from 『バチカン大使日記』(中村芳夫)

>2016年9月20日、アッシジ国際平和会議
             (主催:聖エジディオ共同体)

  cf. アンドレア・リッカルディ『対話が世界を変える』(春風社)  

  「すべての宗教を再び結びつけ、カトリック教会を対話の
   奉仕者とし、金銭ではなく祈りと精神的信念から生まれ
   る宗教の弱い力を際立たせること、と自ら答えを導き出
   す。多くの出会いにより人は「苦しんでいるのは自分一
   人ではない」、「私の宗教だけでが宗教のすべてではな
   い」ということを学びます。これは普遍性の体験です。
   ・・・すべての宗教は、その内部に戦争・暴力への誘惑
   を秘めていますが、他者との遭遇は心の底にある善を
   外に現してくれます」
   
>リッカルディ挨拶

 「貧困の原因は戦争にあります。戦争をこの世界から永
  久になくしていきましょう。平和は、政治家や専門家や
  軍人によってもたらされるものではありません。我々は
  平和を渇望しています。平和は我々の祈りと対話に
  よってもたらされるはずです。我々は、もっと勇気を
  もって取り組んでいきましょう」

>コンスタンチノープル総主教バルトロメオ1世

 「平和は、何にも拘束されない対話によって達成される
  はず。平和を渇望するなら、平和に向けて行動しない
  といけません。宗教観の地道な対話が相互信頼と平
  和と和解をもたらすと私は信じています。対話は、多
  様な宗教・文化的背景を持つ人々を孤立から救う大
  切な手段です。戦争か平和か。
  結局のところ我々人間の選択になります。すなわち、
  平和は個人的選択か制度的選択になるのです。平和
  には、コミットメントと勇気と犠牲が必要です。それは、
  我々に対話と文化面の変化を求めるでしょう。
  だからこそ、宗教・政治のリーダーとともに、市民社会
  の代表が集い、平和を達成する方法を議論することの
  意義があるのです」

Thirst for Peace #22022/04/11 12:48

  from ibid.

>教皇フランシスコが語る「平和への渇望」

 「平和を求める巡礼者としてアッシジに来ました。
  私たちは平和を渇望しています。神の贈り物で
  ある平和を求めて祈りましょう。
  現代の最大の病である人々の無関心と闘いま
  しょう。この無関心というウィルスは、気力を失
  わせ、感受性をなくさせ、我々を麻痺させてしま
  う。さらに、宗教への熱意を損ない、新たな悲惨
  な異教徒的考えを蔓延させる。
  世界は心から平和を渇望しています。でも、たく
  さんの国において、戦争が人々に苦難をもたらし
  ています。私は、生活が壊された家族暴力しか
  知らない子どもたち、故郷を失ったお年寄りのこ
  とを思わざるを得ません。彼らも皆、平和を心か
  ら渇望しているのです。このような悲劇を忘れて
  はいけません。戦争に明日はないし、武力によ
  る暴力は日常の喜びを壊してしまうからです。
  アッシジから発信される平和の叫びは、単なる
  戦争への抗議ではありません。また、平和は
  交渉や政治的妥協や経済的取引の結果でも
  ありません。平和は、祈りの結果なのです。
  戦争、テロ、暴力はもう終わりにしましょう。
  人類が渇望している平和を導く水は、プライド
  や個人的関心や企業利益や武器取引の砂漠
  から流れてきません。神の名は暴力を正当化
  するために使うことはできません。戦争ではな
  く、平和だけが聖なるものなのです。平和は赦
  し。平和は歓迎。平和は協力。平和は教育です。
  我々の将来はともに生きることから生れて来ま
  す。私たちは不信感や原理主義や憎悪の重荷
  から解放されて、神への祈りと人々のための
  行動による平和の作り手になりましょう。
  ヨハネ・パウロ2世が30年前に言ったように、
  平和は専門家や学者や戦略家によって作られ
  るものではなく、全ての人によって作られるもの
  です。平和は人類が皆で負う責任でもあります。
  神が望み、人々が渇望する平和の作り手にな
  ることを今日再確認し、この責任を全うしま
  しょう」

「焼き場に立つ少年」2022/04/12 07:43

  from 『バチカン大使日記』(中村芳夫)

>ジョー・オダネルが、終戦直後に長崎と広島の原爆
 投下後の状況を撮影した。彼の代表作が
 「焼き場に立つ少年」である。
 小学生ほどの少年が視線をまっすぐに向け、気をつけ
 のような姿勢で直立している。背負われている幼児
 は、目を閉じてぐったりと首を垂れている。実は、幼児
 は少年の弟で、既に死んでおり、少年は火葬の順番
 を待っているところにレンズを向けられたという。撮影
 地は長崎と考えられている。

>2017年末、教皇フランシスコが「焼き場に立つ少年」
 を印刷したカードに<戦争がもたらすもの>という言葉
 にFrabcescoと小さなサインを添え、教皇庁の主要な人
 たちと、世界の教会に配布していた。核兵器反対と長
 崎、広島への訪問。教皇の強い意思が感じ取れた。

>2019年11月23日17時40分。雨が降り、強い風が
 吹いている。そんな悪天候のなか、教皇はタラップを
 ゆっくりと下りてきた。
 11月24日、長崎市爆心地公園でスピーチ~西坂
 公園殉教者碑で祈りを捧げて、ミサ執行~広島平和
 記念公園「平和のための集い」に参加~羽田空港

爆心地公園での教皇スピーチ2022/04/13 08:55

    from 『バチカン大使日記』(中村芳夫)


>愛する兄弟姉妹の皆さん。
 
  この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在
  であるということを、悲しみと恐れとともに意識させて
  くれます。近年、浦上教会で見出された被爆十字架
  とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身
  の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、
  改めて思い起こさせてくれます。
  人の心にある最も深い望みの一つは、平和と安定
  への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有する
  ことは、この望みに対する最良の答えではありませ
  ん。それどころか、この望みをたえず試みにさらす
  ことになるのです。わたしたちの世界は、手に負え
  ない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信
  を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、
  確かなものにしようという解決策です。人と人の関係
  を蝕み、相互の対話を阻んでしまうものです。

  国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅
  の脅威を土台とした、どんな企てとも相容れないもの
  です。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共
  有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界
  的な倫理によってのみ実現可能となります。
  ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末
  をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡
  張競争に反対する声は、小さくとも常に上がってい
  ます。軍備拡張競争は貴重な資源の無駄使いです。
  本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保
  全に使われるべきものです。今日の世界では、何
  百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強い
  られています。しかし、武器の製造、改良、維持、
  商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は一層
  破壊的になっています。これらは神に歯向かうテロ
  行為です。
  核兵器から解放された平和な世界、それは、あら
  ゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望してい
  ることです。この理想を実現するには、すべての人
  の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、
  核兵器保有国も非保有国も、軍隊も民間も、国際
  機関もそうです。
  核兵器の脅威に対しては、一致団結して具体性を
  もって応じなくてはなりません。それは、現今の世界
  を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固
  な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。
  ・・・今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなく
  てはなりません。相互不信によって、兵器使用を
  制限する国際的な枠組みが崩壊する危険がある
  のです。わたしたちは多国間主義の衰退を目の
  当たりにしています。それは、兵器の技術革新に
  合ってさらに危険なことです。この指摘は相互の
  結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的
  を得ていないように見えるかもしれませんが、あ
  らゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでな
  く、力を注ぎ込むべき点でもあるのです。

爆心地公園での教皇スピーチ#22022/04/14 09:08


  カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現
  に向けて不退転の決意を固めています。それは、神
  に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する責
  務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不
  拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、たゆ
  むことなく、迅速に行動し、訴えていきます。・・・どう
  か、祈り、一致の促進の飽くなき探究、対話への粘り
  強い招きが、私たちが信を置く「武器」でありますよ
  うに。また、平和を真に保証する正義と連帯のある
  世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
  核兵器のない世界が可能であり必要であるという
  確信をもって、政治を司る指導者の皆さんにお願い
  します。核兵器は今日の国際的また国家の安全
  保障への脅威に関して私たちを守ってくれるもの
  ではない、そう心に刻んでください。人道的および
  環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的
  な破壊を考えなくてはなりません。核の理論に
  よって促される、恐れ、不信、敵意の増殖を止め
  なければなりません。
  今の地球の状態から見ると、その資源がどのよう
  に使われるのかを真剣に考察することが必要です。
  複雑で困難な持続可能な開発のための
  2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的
  発展という目的を達成するためにも、真剣に考察
  しなくてはなりません。・・・信頼関係と相互の発展
  とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況
  に対応できる指導者たちの協力を得ることが極め
  て重要です。責務には私たち皆が関わっています
  し、全員が必要とされています。今日、私たちが心
  を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心
  でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の
  声に耳を塞いでよい人はいません。対話することの
  できない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい
  人はどこにもいません。
  心を改めることができるよう、また、命の文化、赦し
  の文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日
  心を一つにして祈ってくださるようお願いします。
  共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め
  保証する兄弟愛です。・・・アッシジの聖フランシスコ
  に由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈り
  になると確信しています。

この経済は人を殺します2022/04/15 16:38

   from 『バチカン大使日記』(中村芳夫)

>『使徒的勧告 福音の喜び』2013年:

 教皇フランシスコが思い描く理想液な経済とは何だろうか?

 「路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュース
  にはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば
  大きく報道されることなど、あってはならないのです」

 ここに、経済よりも、人を重んじてきた教皇の生き方、
 考え方と、現代社会が歩む現実との乖離が端的に
 表れているように思う。また教皇は、「主によってもた
 らされた大きな喜びは、誰も除外しない」とも述べて
 いる。これも教皇の生き方を貫く姿勢、すなわち
 包摂性 inclusion である。
 教皇は常に、経済、社会活動への全ての人の参加
 と、その成果が全ての人に行き渡るよう願っている。
 これが排他性の排除である。
 しかし現実社会では、・・・新自由主義経済体制は
 格差を生み、それを拡大させている。
 「経済における「トリクルダウン理論」を支持する人
 がいます。この理論は、自由市場によって促進される
 すべての経済成長は、世の中に平等を広げ、社会的
 包摂を生み出すと仮定しています。未だまったく立証
 されていないこの理論は、経済的権力を掌握する
 人々の善意と、主流の経済システムの神話化への、
 大雑把で無邪気な信頼を表しています。仮定された
 結果が生み出されるまでの間、排除された人々は待
 ち続けるのです。他者を排除する生活様式を維持す
 るために、また自己中心的な理想に陶酔するため
 に、無関心のグローバル化が進展したのです」

この経済は人を殺します#22022/04/16 16:45



>『使徒的勧告 福音の喜び』で、教皇が強く批判して
 いるのが、過剰消費経済と金融至上主義だ。前者に
 ついて、「飢えている人々がいるにも拘らず食料が捨
 てられている状況を、私たちは許すことができません」
 と素朴な怒りを記す。景気が後退すると、財政支出
 を増やし、費を刺激する政策がとられる。この過度に
 消費を刺激する経済対策は、地球の資源の浪費を促
 進し、真に必要な人への資源の活用を阻害する。教
 皇は続ける。「現代経済のメカニズムは消費の増進を
 促進しますが、格差と結ばれ抑えの効かない消費主
 義は、二重の損害を社会に与えます」。

 加えて人間らしい経済活動の実現を阻むと教皇が
 考えいているのが、貨幣を偶像化する金融至上主
 義である。

 「貨幣が自分たちの社会を支配することを、素直に
  受け入れてしまったのです。現在の金融危機は、
  その根源に深刻な人間性の危機(人間性優位
  の否定)があることを忘れさせてしまいます。
  私たちは新しい偶像を造ってしまったのです。
  ・・・貨幣は奉仕するものであって、支配するもの
  ではありません」

 「もはや、市場における見えざる力と見えざる手
  とに信を置くことはできません。公平な成長は
  経済成長を前提としつつも、それ以上の何かを
  求めています。特に、所得のより公平な分配、
  雇用機会の創出、単なる福祉国家的政策に
  よって得られるものを超えた貧しい人々の全人
  的向上へと向かう、決断、計画、仕組み、作業
  が必要とされるのです。私は無責任に大衆に
  迎合しているわけでは決してありませんが、
  もはや経済は利益向上のための労働市場縮
  小と、それによって生み出される新たな排除と
  いう、新手の毒の如き対策に頼ってはならない
  のです」

ローマ・カトリック教会の説く正当防衛2022/04/17 16:29

  from 『キリスト教と戦争』(石井明人)

>カトリック教会は、平和を望み、戦争を悪として強く
 非難してはいるものの、防衛としてのそれは権利で
 あるのみならず義務でもあるとして、条件付きの軍
 事行動には肯定的な立場を取っている。

 通称『現代世界憲章』(正式名『現代世界における
 教会に関する司牧憲章』)では、
 「平和とは、人間社会の創立者である神によって
  社会の中に刻み込まれ、つねにより完全な正義
  を求めて人間が実行に移さなければならない秩
  序の成果である」とされている。

 平和は建設され続けるものであるから、各自が激
 情を抑えることと、正当な権力による警戒が必要
 で、さらには人々が信頼をもって精神と才能の富を
 互いに分かち合い、兄弟愛を積極的に実践するこ
 とが求められている。

 教会は平和の大切さ(十戒;イエスの非暴力の
 姿勢など)を述べつつも、同時に正当防衛につい
 ては明確に肯定の立場を示している。

 「正当防衛は単に権利であるばかりではなく、他人
  の生命に責任を持つ者にとっては重大な義務と
  なります。共通善を防衛するには、不正な侵犯者
  の有害行為を封じる必要があります。合法的な
  権威を持つ者には、その責任上、自分の責任下
  にある市民共同体を侵犯者から守るためには
  武力さええも行使する権利があります」
    (『カテキズム』2265項)
 「戦争の危険が存在し、しかも十分な力と権限を
  持つ国際的権力が存在しない間は、平和的解決
  のあらゆる手段を講じたうえであれば、政府に
  対して正当防衛権を拒否することはできないで
  あろう。国家の元首ならびに国政の責任に参与
  する者は自分に託された国民の安全を守り、
  この重大事項を慎重に取り扱う義務がある」
    (『現代世界憲章』79項)

>軍事力行使の4条件

 1.国あるいは諸国家に及ぼす攻撃者側の破壊行
  為が持続的なものであり、しかも重大で明確なも
  のであること。
 2.他のすべての手段を使っても攻撃を終わらせる
  ことが不可能であるか効果をもたらさないという
  ことが明白であること。
 3.成功すると信じられるだけの十分な諸条件がそ
  ろっていること。
 4.武器を使用しても、除去しようとする害よりもさら
  に重大な害や混乱が生じないこと。現代兵器の
  破壊力は強大なので、当条件については極めて
  慎重に考慮すること。
     (『カテキズム』2309項)

ローマ・カトリック教会の説く正当防衛#22022/04/18 15:27


> (承前) 

 また、カトリック教会では、戦争を遂行するに
 あたっては、敵側の非戦闘員、負傷兵、捕虜
 などに対しては「人道的精神」をもって接しな
 ければならないとされている。都市や広い地
 域を無差別に攻撃することは「神と人間に対
 する犯罪」であるという。軍事行動の非人道
 性を抑止すること・・・に努力すべきだとも述べ
 られている。正しい条件のもとであれば武力
 行使は容認されるとしている以上、職業軍人
 として祖国防衛に従事することも十分に認め
 られている。軍務と信仰は必ずしも矛盾しない
 のである。

 「祖国への奉仕に専念して戦線に従事して
  いる者は、自分が諸国民の安全と自由の
  ための奉仕者であると考えるべきである。
  この任務に正しく従事している間、彼らは
  真に平和の確立に寄与している」
    (『現代世界憲章』79項)

>従軍チャプレン

 「軍人の霊魂の世話については、彼らの生活
  条件が特殊であるために、特別な配慮が必
  要とされる。したがって、各国に、力に応じて
  従軍司教代理区を設立しなければならない。
  従軍司教代理も従軍司祭も、ともに教区司教
  と一致協力して、この困難な仕事に熱心に献
  身しなければならない。したがって教区司教
  は、この重大な任務に適した、十分な数の司
  祭を従軍司教代理にゆだね、同時に軍人の
  霊魂の善を向上させるための事業を支援し
  なければならない」 (『教会における司教の
   司牧任務に関する教令』43項)

>良心的兵役拒否

 軍務に就くことや従軍チャプレンの存在が肯定
 されている一方で、良心的兵役拒否も認められ
 ている。

 「良心を理由に兵役を拒否する者については、
  彼が別な方法で人間の共同体に奉仕する用
  意があるかぎり、法をもって人間的な待遇が
  得られるよう定めることは正しいと思われる」
    (『現代世界憲章』79項)