ハツォール A地区1997/01/12 07:30

『ハツォール』(山本書店)


A地区:

XⅢ層(1A、前13世紀)で、ソロモンの城門(X層)の礎石下にお
いて、H地区のオートスタット神殿で出土したものと同一の仕上
げの美しいオートスタットが出土した。これは扉の抱き柱の一部
か建造物の入口のようであった。神殿は細長い長方形を呈し、
内法で東西16.2m、南北11.6mであった。入口の反対側にレンガ
と漆喰でしつらえられた台(南北5m、東西1.5m)が置かれ、多量
の奉納物が発見された。
この神殿は、MBA.Ⅱ(前18-16世紀)に創建されて、オートスタッ
トを用いた入口部分が後代になって神殿に加えられた。破壊され
た神殿の全域は壁から崩れ落ちたレンガの堆積で2mも覆われて
いた。この堆積の中から出土した最新の土器片はLBA.Ⅰ(XⅤ
層、前16-15世紀)に属していた。XⅣ層(1B層、前14世紀)、
XⅢ層(1A層、前13世紀)の遺物は出土していない。従って、
オートスタットは少なくともLBA.Ⅰに作られていたことになる。
   ※ H地区、1B・1A神殿オートスタット

この神殿は、最終的な破壊の後、再建されなかった。しかし、こ
の場所はおよび周辺の神聖性はXⅣ-XⅢ層(前14-13世紀)を
通じて保持されていた。
XⅣ層――頭部の丸い背の高い玄武岩角柱が頭を下にして立
       てられていた(C地区の石柱を逆さに立てた)
XⅢ層――小さな石碑と鉢(奉納物用)

神殿が二度と再建されなかったのであるとするならば、その穢れ
原因は何であろうか?

※ ウーリー「(アララク同時代神殿)ヤリム・リムの神殿にとり
        ついた穢れはその再使用を禁じた。神殿の場所は
        見捨てられ、廃墟は第Ⅳ、第Ⅴ層のゴミ捨て用の
        ピットで穴だらけにされてしまった」

この神殿は、また、近くに発見された王宮の一部であって、王宮
もまたはなはだしく破壊されかつ荒らされていた。この王宮は、
MBA.に建立されたと推測されるが、その後、青銅器時代の最上
層の廃墟址(前14-13世紀)の中で、H地区で触れた牝獅子の
オートスタットの前半分に遭遇した。これにより、上の町と下の町
のLBA.層を結び付け、ハツォールの王たちの宮殿がテル上に存
在していたことを立証してくれた。

地価貯水槽

宮殿と神殿の中間に発見された巨大施設。全長30mで、二つの
部分から成っている。一つは岩をくりぬいた下り傾斜のトンネルで
最深部がクローバ形の水槽(or 洞窟)で、他はトンネルに繋がる
通廊である。

XⅥ層(3層、前17-16世紀)
XⅦ層(4層、前18-17世紀、マリ文書) ヒクソス・スカラベ
小粘土板破片(不動産に関する刻文と、マリ時代のシュメール・
アッカド語辞書の一部)出土層とその場所は不明