少子社会の由来2006/09/03 15:55

先週の日経夕刊「明日への話題」に、山極・京大教授が
標記の題で一文を寄せています。

   人間の祖先は、ある時代に父親や親族が子育てに
  参加し、子どもをたくさん産めるようになった。・・・
   おそらく人間は家族をつくったことで多産になっ
  た。今それが崩壊し、母親が単独で子育てをするよ
  うになったことが少子を招いているのである。・・・

動物学的知見からの視点は、また、考古学的知見にも
合致します。野生動物では、目に見えるか見えないかの
小骨でも、それが損傷すれば食料獲得競争に敗れ、その
結果は死となります。
人間は、骨折部位の自然治癒痕のある自然死骨が見つかっ
ていることから、早い時期から福祉的活動を行っていたと
考えられています。極端な説では、木から落ちて草原に
迷い出たときから家族一緒であったといわれています。

この国では、行政が施策を立てるに際して、根拠のあや
ふやな社会科学を信用しすぎるきらいを感じます。少子化
の問題は特に顕著に現れています。
少子化は現代日本社会を正しく反映した結果だと考えれば、
そして問題が家庭や地域社会の復活にあるとするならば、
時計の針を逆に回し、私の感覚では、昭和40年代前半の生
活(経済)水準に戻せばよいのです。

図書館2006/09/04 08:44

従来であると、図書館は本を借りるところだったが、
最近は、プラスして資料を寄贈する先ともなった。

地元の図書館で郷土に関する史料展が開かれた折、
ついでに立ち寄ったところ「コピー史料」が並べて
あった。「これは?」と訊ねたところ、原本を
所蔵していないが展示に必要不可欠なので、拝借し
てこのようにした、との回答であった。

そこで、寄贈する旨告げたところ、館長がいきなり現
れた。

それから、我が家で発掘しては「一次資料」とか、
関係者間でしか流通しなかった「超レア本」を、
せっせと運んでいる。
この頃は、受け容れ担当の司書から、件名を告げる
コールがかかってくる。役所で仕事熱心な人に会う
のは気持ちがいいものである。

イベントや2006/09/05 06:07

来月は、文化祭に福祉祭、体育祭に子育て応援メッセと
めちゃくちゃな人生になってきた。

昨日はメッセのコンセプトと講師役の人選で、市内を
彷徨した。段々、古里の友が風の便りに連絡をよこし
てくるようになってきた。

昨日受付分は、能舞台のあるお寺が取り壊されること
になったので、観月能を企画したからお出かけ下さい
とのコンタクトであった。
彼女達とは「琵琶語りで聞く平家物語」自主公演の時
にご一緒させて頂いた。

昨今の日本は、男よりも女性のほうが義理堅い。

ダメダし2006/09/06 07:57

〈子育てメッセ〉用のチラシに使うイラストが描きあがって
きた。
パソコンに取り込んで、一部を切り取って角度を変えたり
していじってみた。そこにワードで必要記載事項を書き加
えた。肝腎のコンセプトのところは、吹き出しを使ったら、
もう頭が痺れてきた。
もういいだろうと、チーム・メンバーの若妻にメールで送った
ら、格段にカワイクなって返ってきた。

脳内でお休みしていた細胞がストライキを起こしている。

『時の回廊』2006/09/07 21:40

J.ハクスリー『時の回廊』(平凡社、1992)

『オリエント考古美術誌』中に、『飢えと光り』として紹介されて
いた本の新訳だと思われる。「中東歴史紀行」と副題があるよ
うに、可能な限り古い時代の光景に触れたくて、手にしてみた。

ただ、著者は生物学を素養の根幹として科学啓蒙的な活動を
展開された方であるがために関心の焦点が私と微妙にずれ、
少しく欲求不満が残った。

著者は、1946年にユネスコの初代事務局長に選ばれ、中東地
域を訪れた。第二次大戦の終戦直後に彼はその地で、森林の
消失、灌漑施設の放置などの荒廃を目撃することになった。彼
の持論である進化論的な歴史哲学との矛盾に最大の関心を寄
せている。著者は中東に再生可能な天然資源の乱用という、
現代に通じる意識をすでに表明している。
さらに、バス、飛行機、新聞、ラジオなどの近代産業的な通信
交通手段と伝統的な信仰生活との並存が思考様式にもたらす
攪乱を指摘している。

紀元前3000年頃には既に存在したと考えられているカナートと
呼ばれる地下導水システム、それは人類史の先駆け的存在の
灌漑施設であった。灼熱の太陽による蒸発を防ぐ工夫も施され
ていたシステムが崩壊してしまっていた。その原因として、度重
なる統治機構の崩壊により耕作地の維持技術が消失させられ
た、と著者は指摘する。

今の日本はどうか。米余りに加えて、輸入圧力が重くのしかか
り、水田耕作放棄地を政策的に創出している。これにより、水
路の維持管理や、畦の草取りなどが虫食い状にないがしろに
されてくる。また、宅地等への転換も容易となった。結果、文化
的景観維持の法律が制定される始末となった。水田景観維持、
河川・水路等景観維持、集落景観維持などのお題目を並べて
地域関係住民の合意形成を図ろうとする。
その一方で、税収不足に喘ぐ地方自治体は工場や大規模スー
パーの導入に積極的である。いわば、関係者の考え方は四分
五裂の有様である。
守りたい景観は、水田稲作という主産業によってもたらされた、
単なる偶然の結果であったのだ。そこに、文化的景観を創り出
そうなどという営為はなかった。だから、耕作放棄をすればた
ちどころに景観を破壊する建物、雑草が姿を現す。人の心を
映しているのである。

ハックスリーは科学的に系統だった開発のために文化財、天
然資源等の調査を勧め、それにもとづく利用を説く。そのような
包括的な考え方が長期的な進化の道程に適う以上、彼らは一
体化を志向せざるを得なくなると結論づけた。彼らの多様性に
一応の留保を加えたが、やがて、共通の枠組みが成長するし
かない、というのである。それを旧訳では「光り」と訳したので
あろう。

現在の中東情勢は、デモクラシーを民主的進化と単純に考え
続けることに深刻な反省を促しているように思われる。

観月チャット2006/09/08 08:00

昨晩の満月、本当に美しかったですね。
白い雲にさえ浮き立つ、冴え冴えとした月でした。
チャットしながら、若妻さんたちに月見を促したら、
それぞれに見たようでした。ベランダ、2階の窓、
外に出た人、亭主を誘ってみた人、隣が邪魔して
見えないと叫んだ人。
人の世は斯くあるあるわけです。

おかしなことが進行中2006/09/13 12:58

老人センターに集うご高齢者は元気な方ばかりのよう
である。彼らは2~3館の公民館で文化活動をこなし、
その途中休憩地として此処に寄る。あるいは、一番風
呂や健康機器の整理札を目指して開館時刻前に並ぶ。
もちろん、お稽古事にも通ってくる。とにかく、私より、よっ
ぽど元気だ。

では、少し痴呆の気を見せ始めた方が出没する場所は、
何処だろうか。それが図書館なのである。昨今の図書
館の雑誌コーナーは快適なつくりになった。種類も多
い。誰も邪魔しない。しかし、座る前に失禁の跡がな
いのかどうかはチェックしたほうがよい。さらには、
固形物を踏まぬ注意も欠かせなくなった。
事例は、身奇麗に着飾り、可愛い帽子を被ったような
方でも、下着を身に着けていらっしゃらないことを教
えている。家族の方にお迎えを頼んだら、「一人で帰
れます」とのお答えであった。彼女は、変わらず毎日
通ってくるそうである。

『デザインの未来考古学』2006/09/13 20:56

物学研究会編 『デザインの未来考古学』TOTO出版、2000年

21世紀のスタートの年に、21世紀の発掘を目指した本書は、
必然的に21世紀的価値を提示しなければならない。それは
「21世紀を支配するキーワードの発見」となる。もちろん
それは、著者達の希求の表明にすぎなくても。

そのキーワード(s)を列挙してみる:
  超人の時代(組織は超人をサポートする仕組み)
  個性的人間の時代(標準思想の終焉)
  自発性の時代(全体性の崩壊)
  野生の時代(自然と人間の融和)
  寂しい人間(心の共同体を求める)
  幻想としての集団(大衆感覚的流行現象が不安定な時代を
  齎す)
  人と物の融合
  否定的反抗から肯定的挑発へ

これらが暗示している際だった特長は、個人にある。社会、会社
というような組織とか全体性というようなものは解体してしまい、
個の人間として、好奇心と希望と欠落感のなかで日々の生活を
過ごすことになる。対立のなかで、共生を続けなければならない
生命そのもののような社会が現前する、というのである。
「21世紀は多様な個人が競争しあい、協力しあう、お互いに挑発
しあうことで進化を続ける複雑な社会」となるそうである。

新巻2006/09/14 11:15


道産娘は
魚釣りとて
新巻を

18歳で渡道した娘は、わずか4年半で、すっかり
土着化してしまったようだ。「たくさん取れたか
ら送る」とメールは届いていたが、冷凍便からは
はや、新巻鮭が出てきた。少しは進歩したようで、
切身にさばいた後に、姿が崩れぬように薄いシー
トの上に並べ、元の姿に収めてあった。
それに、イクラは醤油漬けに加工済みであった。

ちなみに、鮭釣りは遊漁料を払って漁船に乗せて
もらうそうである。念のため。

到着の連絡をしたら、「IKEAに行きたいから、今年
は年末に帰る」と。

敬老会2006/09/18 08:34

敬老会
この日ばかりの
嫁だらけ

今日は地域の敬老会が催される。
仕事の関係で、召集されている。AV係である。
技術屋であった昔を思いだす一日でもある。

さて、敬老会に記念品はつきものである。元気な
お年寄は祝日にのんびりとはしていない。カレン
ダーで赤い日は、既に予定で埋まっている。また、
おみ足などに多少のトラブルを抱えている方々や、
あるいは介護保険を利用なされている方たちは、
来場されるはずもない。
したがって、会場に見えられる方たちは圧倒的に
「嫁」ということになってしまう。

では、そろりと行ってきましょう。