『ペスト』(カミュ)#12020/04/13 09:39

>4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは診察室から出かけよう
 として、階段の真ん中で一匹の死んだ鼠に躓いた。・・・門番に注
 意したら、ミッシェル老人の反発にぶつかって、自分の発見に異
 様なもののあることがハッキリと感じられた。

 4月28日には報知通信者は約8千匹の鼠が拾集されたことを報じ、
 市中の不安は頂点に達した。

 ミッシェル老人は一人の司祭の腕に掴まっていた。その司祭は
 パヌルー神父という博学かつ戦闘的なイエズス会士で、宗教上
 のことに無関心な人の間にさえなかなか尊敬されていた。

>リウーが病人のもとに行ってみると、片手を腹に、もう一方の手
 を首のまわりに当て、ひどくしゃくりあげながら、薔薇色がかった
 液汁を汚物溜めの中に吐いていた。しばらく苦しみ続けたあげく、
 喘ぎ喘ぎ、門番はまた床に就いた。熱は39度5分で、頸部のリン
 パ腺と四肢が膿脹し、脇腹に黒っぽい斑点が二つ広がりかけて
 いた。・・・その晩、門番は譫言を言い始め、40度の熱を出しなが
 ら、鼠のことを口走った。リンパ腺はさらに大きくなり、触ってみる
 と堅く木のようになっていた。・・・「どうもこいつは隔離して、まっ
 たく特別な手当をやってみる必要があるな。病院に電話をかけ
 るから、救急車で連れて行こう」

 2時間の後、救急車の中で、医師と女房とは病人の顔を覗き込
 んでいた。いちめん菌状のぶつぶつで覆われた口から、きれぎ
 れの言葉が洩れていた。「鼠の奴!」と。土気色になり、唇は
 蝋のように、瞼は鉛色に、息はきれぎれに短く、リンパ腺に肉を
 引き裂かれ、寝床の奥に縮こまってまるでその寝床を体の上へ
 折り畳もうとするかのように、もしくはまた、地の底から来る何も
 のかに一瞬の休みもなく呼び立てられているかのように、門番
 は目に見えぬ重圧のもとに喘いでいた。女房は泣いていた。
 「死んでしまった」と、医師は言った。

>門番の死は、人を戸惑いさせるような数々の兆候に満ちた一
 時期の終了と、それに比較して更に困難な一時期(初めの頃の
 驚きが次第に恐慌に変わって行った時期)の発端とを画したも
 のであったということができる。つまり、この瞬間から、恐慌とそ
 れと共に反省とが始まった。