『ペスト』#22020/04/14 17:58

>ジャン・タルーが取った最初のノートは、彼のオラン到着の日か
 ら始まっている。それは最初の書き出しから、町自体がこんなに
 も醜い町に来たことについての奇体な満足感を示している。・・・
 「今日、向かいの小柄な老人は困惑の体である。もう猫がいない
 のである。彼らは姿を隠してしまった」

 鼠が船から逃げ出して行く時に予想される不幸が、どんな不幸
 なのかは予見できなくとも予想することはできる。・・・この時期か
 ら、タルーの手帳は、公衆の間に既に不安を呼び起こしていた
 その正体不明の熱病について、やや詳細に硬い始めるのである。

>リウーは彼の懸念が往診の度毎に増大するのを感じた。・・・
 多くの場合、患者は凄まじい悪臭の中で死んでいくのであった。

 県庁と市庁は不審を抱き始めていた。医者たちがめいめい、
 2、3件以上の症例を知らないでいた間は、誰も動き出そうと考え
 るものはなかった。しかし、要するに、誰かが合計を出すことを思
 いつきさえすればよかったのである。合計は驚倒すべきもので
 あった。わずか数日の間に、死亡例は累増し、紛れもない流行病
 であることは明白となった。

 「どうもこれはペストのようですね」
 「ご承知かな、それに対してどう言われるか。それは気候の温
 和な国々からはもう何年も前に消滅してしまった」と、老医は
 言った。
 「消滅っていうのはどういうことを指すつもりですかね」と、リウー
 は答えた。
 「そうさ、忘れちゃいかんよ、パリでも未だ、やっと20年前にだ」

 天災というものは事実、ザラにあることであるが、しかし、そい
 つがこっちの頭上に降りかかってきた時は、容易に天災とは信
 じられない。この世には戦争と同じくらいの数のペストがあった。
 しかも、ペストや戦争がやってきた時、人々はいつも同じくらい
 無用意な状態にあった。

 愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう
 自分のことばかり考えていなければ、そのことに気づく筈であ
 る。・・・皆、自分のことばかり考えていたわけで、別の言い方を
 すれば、ヒューマニスト(人間中心主義者)であった。つまり、
 天災などというものを信じなかったのである。天災というものは
 人間の尺度とは一致しないから、天災は非現実的なもの、やが
 て過ぎ去る悪夢だと考えられる。
 ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人
 間のほうが過ぎ去っていくことになり、それも人間中心主義者
 たちが先ず第一にということになるのは、彼らは自分で用心と
 いうものをしなかったからである。
謙譲な心構えを忘れていたというだけのことであって、自分たち
 にとって、すべてはまた可能であると考えていたわけであるが、
 それはつまり天災は起こり得ないとみなすことであった。彼らは
 取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を抱いたりし
 ていた。ペストという未来も、移動も、議論も封じてしまうものな
 ど、どうして考えられたであろうか。彼らは自由であると信じて
 いたし、しかも、天災というものがある限り、何びとも決して自由
 ではあり得ないのである。

 ペストを認めたその後でも、医師リウーにとって、危険は依然、
 非現実的なものであった。一向に変わっていない市の様子を窓
 から眺めながら、彼はかの不安と称せられる、未来に対するほ
 のかな胸苦しさが身中に湧いてくるのさえ、殆ど感じるか感じな
 いくらいであった。

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