『無名の順礼者』#82022/02/01 17:01

>第七の物語

>「勇気をだしなさい!私だ!恐がらなくてもいい」
 と主イエスは仰ってくださいます。迷いが起きるか
 もしれないという理由で内的生活を恐がったり、心
 配したりすることは無駄だということが分かります。
 己の罪を謙虚に認めること、霊的指導者に己の
 霊魂の状態を率直に打ち明けること、それと
 イメージを抜かした祈りこそが、実に多くの人たち
 が恐れ、そのために観想に憧れるのを躊躇する
 原因となっている惑わしに打ち勝つ砦です。

 「修道士の多くの者は、自分たちの心の中の思い
  違いは悪魔が吹き込んだものだということを見
  抜いていない。彼らは外面的な善行に熱心に専
  念しているが、知識と悟りの不足のために内的
  観想を蔑ろにしている」

>イメージ抜きの祈りとは何か?
 また、聖なる教父たちがそれほどまで力を入れて、
 その祈りに人を引き入れようとした理由は何か?

 観想を行っている時にはどんな種類のことだろう
 と空想は避けなければなりません。また光や、
 聖人、天使、キリストについての姿のようなも
 のは決して心に描いたり、受けてはならないの
 です。
 教父たちが力を込めてこれを警告した理由は、
 想像力というのは心に浮かんだ考えを易易と
 擬人化し得るので、観想に未熟なものはこうし
 たイメージに誘き寄せられてしまい、これらを
 恩寵の為せる業と考え、それで迷いに屈服す
 るのです。
 聖書は、悪魔は光の天使の姿をしてやって来
 ることができるという言葉で、この警告を確証
 しています。

『無名の順礼者』#8-22022/02/02 16:41


>神のみ前にある時は、心はごく自然に容易く
 イメージのない祈りに耐え、身を守ることがで
 きます。知力は、具体的でもなければ、目に
 見える形も持たない観念というものを知覚し、
 それに注意を留めることができるのです。
 霊魂、大気などを意識することが可能です。
 同様に、純粋に抽象的な形で神の不可能な
 存在を意識できるのです。

 人間というのは生来社会的な存在であり、
 他人を通して知的能力を発達させて行くもの
 なので、人間の霊的部分は他人に伝わるも
 のなのです。互いに助け合うことで、人間は
 今まで以上に信心深く、熱意に溢れ、しかも
 容易く事を行えるのです。ここにこそ、キリスト
 信者が互いの祈りを求め合い兄弟たちに
 自分たちのことを思い出してください、と願う
 共通した実践の理由があります。
 このことから、数多くの嘆願や執り成しは、
 この世の権力ある者の場合のように、こうす
 ることで神の御心を和らげようというのでは
 なく、祈りの精神と力は、祈りが捧げられる
 者たちを清め、照らし、神との一致への心構
 えをさせるものであるという理由で行うのです。
 地上に生活する者の相互の祈りが、それほ
 どまで実り多いものだとしたら、既に亡くなっ
 ている者たちへの祈りも、精神とこの世との
 間を取り持つ親密な一致であるために役に
 立つのは明らかです。

『無名の順礼者』#8-32022/02/03 16:46


>イエス・キリストは使徒ペトロに、
 「しかし、私はあなたのために、信仰がなく
  ならないように祈った。だから、あなたは
  立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやり
  なさい」(ルカ22:23)
 と仰いました。また、彼が牢に入れられていた時、
 「教会では彼のために熱心な祈りが神に
  捧げられていた」(使徒12:5)
 
 私たちの隣人のための祈りについては、
 「だから、主に癒やしていただくために、
  罪を告白し合い、互いのために祈りな
  さい」(ヤコブ5:16)

 「私たちのために祈ってください。私たち
  は、明らかな良心を持っていると確信し
  ており、すべてのことにおいて、立派に
  振る舞いたいと思っています」(ヘブライ13:18)

 聖パウロは、互いのために捧げる相互の
 祈りが如何に必要であるかを私たちに教え
 ようとしており、どんなに聖化され、勇気に
 満ちた苦行僧であっても、他人の祈りによる
 霊的救いの必要性を認めている。これほど
 までに聖なる人が、謙虚に、隣人であるヘブ
 ライ人に彼らの祈りを自分の祈りに一致させ
 て欲しいと願っている、こうした姿勢を目にし
 ながら、自分の力と祈りだけに頼ろうとする
 のは何とも分別のないことではありませんか。

 聖パウロの寛大な精神は誰をも差別すること
 なく、平等に、すべての人の祈りを願っている
 のです。神の力は信仰薄き者の内に示され、
 祈ることでその信仰が完全になるということ
 が起こり得ます。

『無名の順礼者』#8-42022/02/04 14:47


>祈りは神に捧げるもの・・・

 神が求めておられるのは言葉ではなく、注意
 深く清らかな心ではないでしょうか?
 マタイ7:21、15:3、1コリント14:9・・・と、口先
 だけでの祈りの無益さを強く非難しています。
 ここで強調されているのは祈りを始終、長い期
 間を通して、休みなく唱えることなのですから、
 たとえ初めのうちは注意力や信仰に欠けてい
 るように見えるとしても、この「機械的な実践」
 がいつの間にか心の奥底からの真の求めと
 なり、心の一部となって、必然的に霊に良い
 感化を与え、養い、神と一致させてくれるの
 です。

 (聖書からの幾つかの引用に対しても)慎重な
 分析で解明すれば、キリストは舌を使っての偽
 善的な礼拝などを非難なさいましたけれども、
 高慢なファリサイ人たちは口だけで神への信仰
 を表し、心には信仰がなかったからです。
 この戒めは生きた信仰を持たない者たちに向け
 られたもので、
 「絶えず祈るのは、あなたたちの義務である。
  無気力になってはならない」
 というお言葉でキリストが厳格に、明確に命令
 された祈りには適用されません。
  cf. 1テモテ2:8、1テサロニケ5:17

『無名の順礼者』#8-62022/02/05 14:51


>祈りの力

 祈りは実に活動的で効力に富んでいるの
 で、祈りをしてから自分のしたことを行うよ
 うにすれば、祈りが適切で正しい行動を取
 らせてくれるものである。
 神をお喜ばせする信心深く聖なる生き方を
 するためには、愛ほど大切なものはない。
 先ず愛し、それから何でもしたいと思うこと
 をするがいい(聖アウグスチヌス)。

 何故なら、心が愛に満ちた者は、自分の
 愛している者の気持ちを害するようなこと
 をしようとは思わないからだ(祈りとはほと
 ばしる愛の行為だからこそ、こういうことも
 言える)。
 
 救いを得るには、規則正しく祈ることに優
 るものは多い。そうすれば祈りと聖性とに
 到達し、別人となることができるだろう。

 (イ)心に浮かぶ思いは祈りによって清め
    られるものであるから、祈ってからも
    のを思うがよい。祈りが心を照らし、
    不敬な思いを鎮め退散させる。
    「心を乱す思いを追い散らし、心を
     清めたいなら祈りによって実践す
     ることである」(シナイの聖グレゴリウス)
    「イエスのみ名によって心の思いに挑
     む敵を打ち負かすようにせよ」
     (聖ヨハネ・クリスマス)

 (ロ)先ず祈ってから、望むことを行うように
    するがよい。そうすれば行いは信心深
    く、良い結果をもたらすものとなり、救い
    に役立つことだろう。目的が何であるか
    に拘わらず始終祈ることは必ず報われ
    るのである。祈りには神のお力が備
    わっているからである。

 (ハ)祈るがいい。己の力で情欲に打ち克と
    うとして必死で頑張らぬことだ。祈りが
    人間の内にある情欲を滅ぼしてくれる。
    神は人間が祈りに専念するのを願って
    おられるのを信じることである。そうす
    れば祈りが救ってくれる(聖ヨハネ・カルパトス)

 (ニ)ひたすら祈り、その他のことは気遣わ
    ないようにするがよい。苦労や不運を
    恐れてはならない。祈りがどんな時に
    も守り、力づけてくれるのだから。
    信仰心が足りなかったために溺れか
    けたペトロのことを思い出すがよい。
    牢の中で祈っていたパウロのこと・・・
    イエス・キリストの名によって唱える祈り
    の力と、効力と、普遍性を思い出す
    ことである。

 (ホ)どんなにぞんざいな祈りであろうと絶え
    間なく祈り、何事にも心を乱すことのな
    いように、心楽しく、安らいでいるように、
    祈りが生き方を導き、理解を与えてくれ
    るのだから。
    「祈りは罪に満たされた我々の内から
     生じたものではあっても、たちまちの 
     うちに罪は清められる」
      (聖ヨハネ・クリソストムス)
    「祈ろうと努力することは人間にもできる。
     しかし純粋に祈るという力は恩寵の賜
     である」(隠修士マルコ)

    故に、人間の力で可能なものを神に捧げ
    るがよい。絶えず祈るという捧げものを
    神に差し上げることから始めるのだ。そう
    すれば、神の全能の御力が人間の弱さを
    消し去ってくださるのである。無味乾燥で、
    気の散ったものではあっても絶えず祈る
    ことが習慣となり、第二の天性となるであ
    ろう。
    その時祈りは清らかで、熱意ある、力強
    いものに変えられる。

 (ヘ)己の時間をすっかり祈りに費やすとしたら、
    必然的に罪深い行いや、思いに耽る時間
    は残っていないことになる。

『無名の順礼者』#8-62022/02/06 15:01


>祈りには救いと完成に到達する手段が
 すべて含まれている。だが、祈りには絶え
 ず祈れという条件が伴っている。従って、
 始終唱え、途切れることのない祈りだけが
 大きな効力力を持っている。
 できる限り始終祈ることだ。始めたばかり
 の頃は、たとえ気が散ったとしても、全生
 涯を祈りに捧げよう。絶え間ない祈りは注
 意力を養い、祈りの量の多さは必ず質の
 向上へと導いてくれるものである。

 「喜びは、つまりこれが霊魂を誘い込むの
  であるが、希望が花開いた結果なので
  ある。そして、その希望についての黙想
  が心を満たしてくれる。・・・きっと実現す
  るという希望がある。これが結果として、
  この活動に喜びを見出すことになるの
  である」(シリアの聖イザーク)

 聖なる教父たちは、人間の意志の弱さと
 快楽を求める貪欲さを十分に心得ていた
 ので、祈りと神の助けへの信頼とから成っ
 て、物草のために祈りを疎かにする怠慢
 を打ち破り、自己の完成と神への愛に達
 する非常に易しい方法を教えています。
 霊のそういう聖なる状態についてできる
 だけ多く考えるように、また内的祈りの喜
 びを得ることがどんなに容易であり、どん
 なに素晴らしいことかを記して安心感を
 与えてくれる彼らの書いた書物を読むよ
 うに奨めています。

 心の優しさ、熱心さと精神的光、言葉に
 絶する恍惚状態、喜び、安心、深い安ら
 ぎ、幸福感、そして命への愛はすべて心
 の奥底からの祈りの成果です。
 そういうものについての黙想に没頭す
 ると、弱くて生温かった霊が熱意に燃
 え、強められ、祈りに上達するよう刺激
 され、いわば祈りの実践を試してみる
 ことに誘い込まれるのです。

河津桜2022/02/14 19:49


ミトコンドリア(覚)#12022/02/15 09:47


from 『LifeSpan』(デビッド・A・シンクレア、他)
      『長生きしたければミトコンドリアの声を聞け』(大谷肇)

>酸化ストレスとは? 
 
 過食や運動不足により劣悪なミトコンドリアが増加すると、大量
 の活性酸素や、フリーラジカル(遊離基)が発生し、これが酸化
 ストレスとなり

    生体の酸化反応>生体の抗酸化反応

 となることで、生活習慣病や老化が進行・促進されます。
 また、生活習慣病により内臓脂肪の蓄積が進むことでも酸化
 ストレスは増進します。

 ※ スーパーオキシド(スーパーラジカル)、ヒドラキシラジ
   カル(同)、過酸化水素、一重項酸素、etc.


>フリーラジカルによる蛋白質、脂質、DNA損傷、――即ち、
 酸化ストレスを治療するために、抗酸化剤を用いることは
 本当に正しいのだろうか?
 (ライナス・ポーリング:量子化学の父)

 抗酸化剤はフリーラジカルと反応して、フリーラジカルを比較
 的安定な分子に変化させる。
 けれども、フリーラジカルに電子を渡した抗酸化剤は不安定
 なフリーラジカルに変身して、近くにある脂質と反応する。こ
 れが過酸化脂質となって、蛋白質やDNAを酸化し、「フリーラ
 ジカルの連鎖反応」を引き起こす。

 つまり、酸化ストレス予防には、体内でフリーラジカルを発生
 させないことのほうが大切となる。

>フリーラジカル産生工場⇒ミトコンドリア 

 クエン酸回路をうまく回す最も効果的な方法は「運動」!

 運動は、電子伝達系で電子の流れをスムーズにし、クエン
 酸回路を速やかに回転させてアセチルCoA の蓄積を防ぐ。

 ※ 糖尿病では、クエン酸回路が回り難いので、糖質を減  
   らす代わりに脂肪を摂り過ぎるとアセチルCoA が蓄積
   して、アシドーシスの危険性がある。
 ※ アセチルCoA はコレステロールの原材料で、LDL コレ
   ステロール増加の要因

 ミトコンドリアは活性酸素を取り除くために様々な活性酸素
 消去酵素を持っている。
   SOD(スーパーオキシド消去)
   カタラーゼ(過酸化水素除去)
                              
>フリーラジカルと老化 、酸素パラドックス (後述)

ミトコンドリア(覚)#22022/02/16 09:55


from 『LifeSpan』(デビッド・A・シンクレア、他)
『長生きしたければミトコンドリアの声を聞け』(大谷肇)


>内臓脂肪組織で炎症性サイトカインがつくられるのは?  

 飽食と運動不足⇒内臓脂肪細胞蓄積
 ⇒メタボリック・シンドローム

 内臓脂肪細胞⇒アディポ(脂肪)サイトカイン
 ⇒アディポネクチン(善玉アディポサイトカイン:脂肪の蓄積
   していない内臓脂肪組織)
 ~肥満に伴って脂肪細胞が肥大化する
 ⇒レプチン(善玉アディポサイトカイン)視床下部の満腹中枢
   に「これ以上食べるな」と指示
 ~指示を無視して食べ続ける~麻痺~食欲低下しなくなる
 ~肥大化した内臓脂肪細胞
 ⇒悪玉アディポサイトカイン(種々の炎症サイトカイン)が全身へ!

 ※ インターロイキン-6、腫瘍壊死因子-α、探究遊走因子-1、
    プラスミノーゲン活性化抑制因子-1

>内蔵脂肪細胞は、本来、飢餓に対する備えとして脂肪を蓄えて
 いる。けれども、「脂肪蓄積が単に良くない生活習慣の結果であ
 る」と分かった時に逆襲が始まる。

 脂肪細胞が肥大化すると、細胞内部まで十分に酸素が行き
 渡らなくなり、かつお互いの細胞がひしめき合った状態となり、
 ストレスが加わる
 ⇒アンジオテンシンⅡ(ストレスホルモン)産生と中性脂肪が
   脂肪酸に分解
 ⇒炎症性サイトカイン~脂肪組織にマクロファージなどの
   炎症細胞を引き寄せる
 ~炎症性サイトカインの悪循環